11.夢幻妄想円舞曲
先陣切って奏でられるのはヴァイオリン。
続いてチェロ、ヴィオラが音楽に厚みを持たせ、軽やかに踊り手をダンスの世界へと誘い出す。
腰に回された手。もう片方の手は私の手を取り、戸惑う私を優しくリードする。
私のお相手は、もちろん殿下。
レッスンの時と同じように、軽やかに踊る殿下。ウッカリするとウットリしすぎてリズムに乗り損ねそうな私を、問題なくリードしてくださる。
(はあ、ステキ……)
これでもかとばかりに吊り下げられたシャンデリア。キラキラと光が舞い散ってるような大広間。柔らかで華やかな音楽も、私と殿下のためだけに奏でられる。
ああ、なんてステキなの。
この世界のすべてが、私と殿下のためだけに存在しているような。そんな錯覚。
周囲を取り巻く人々の視線なんか気にならない。ましてや、「キィィッ!!」となったご令嬢方の妬みなんて、今の私にとったら、とってもとっても些細なこと。
踊る殿下の熱い視線が私に降り注ぐ。ほのかに漂う殿下の香りが私の身体を包み込む。音楽に混じって聞こえるのは、殿下の吐息。
ああ、今、私、最高に幸せですっ!
この後、大地が崩れて呑み込まれようとも悔いはございませんっ!! ご令嬢方の嫉妬の視線で焼き殺されてもって……、ああ、ダメだ。呑み込まれても殺されてもいけない。
だって、私、あくまで護衛だから。
殿下に見染められてここで踊ってるわけじゃないから。
――ああ、なんてステキなんだリーゼファ。キミとなら、一晩中踊っていても飽きないよ。
――そんな殿下。恐れ多いですわ。
――本当は、こんなステキなキミを誰にも見せたくないんだ。キミと出会って、僕は、自分がどれほど狭量な男なのか、思い知ったよ。
――そんな。
――キミは知らないんだろうね。自分がどれほど素晴らしい女性かって。ほら、あそこの男たちを見てごらん。キミを一人占めしてる僕に羨望の眼差しを送ってきてるよ。
――恥ずかしいですわ、殿下。それ以上、おっしゃらないでくださいまし。
――本当はね、このまま僕の腕のなかに閉じ込めて、誰にも見られないようにしてしまいたいんだ。キミを誰かに見られてるって思うだけで、僕は、落ち着かなくなるんだ。
――殿下。
――ねえ、リーゼファ。こんな愚かな僕だけど、キミの瞳には僕だけを映しておいてくれないか。
(腰に回されていた手が、いつの間にか私の頬を包む)
――キミの耳は僕の声だけを。キミの目は僕の姿だけを。その唇は、僕の名前だけを囁いてくれないだろうか。
――殿下。
――二人っきりの時は、名前で呼んで? ね、リーゼファ。
――はい。ナディアードさま。
――――――って!
ダメッ! ダメダメダメッ! ダメッ!
妄想禁止っ!
今、こうしてる間にも、あの刺客がすぐそばに潜んでるかもしれないのよっ!
長手袋で隠された右手の傷跡を思う。
先日のあれは、「ご挨拶」なんてふざけたことを言ってた刺客。あれが挨拶なのだとしたら、次は本気。今日みたいな絶好のチャンスを逃すはずがない。今だって、どこかに潜伏して機会を狙ってる可能性だってある。
(気を引き締めなくては)
ダンスをしても、心まで浮かれ踊っていてはいけないのよ。
刺客のことを考えると、スッと頭の奥が冷えていく。
緩みかけ蕩けかけた脳みそが、いつもの騎士モードに戻っていく。ま、表情にいっさいの変化はないだろうけど。
いつだって、無表情、寡黙、安定の鉄壁仮面だからね。
ダンスの教師に、「もう少し笑ってみては」的なこと言われたけど、笑い方、知らないし。当然だけどニヤけ方も知らない。頭ン中がトロトロニヤニヤになっても、それを溢れ出させる方法を知らない。
まあ、それでいいっちゃあいいんだけど。
音楽が、最後の一音を奏でる。
優雅に踊っていた私と殿下。その一音のタイミングに合わせて動きを止める。一拍遅れて私のドレスの裾が広がり、そして落ち着きを取り戻す。
わき起こる拍手。称賛。
「さすが、リーゼファだね。楽しかったよ」
拍手に包まれるなか聞こえた殿下のお言葉。
「恐れ入ります」
私こそ、幸せ過ぎる時間を過ごさせていただきました。任務とはいえ、こんなに近くに殿下を感じられるなんて! 今日のことはすべて脳内の奥深~~~~くに刻み込んで、(多分)一生何度も再生して、思い出して、幸せの余韻に浸り続けると思います。一字一句、一挙手一投足、何一つ忘れることなく生きていくことをここに誓います。
「いやあ、ナディアード殿下。素晴らしいダンスでしたな」
拍手をしていた輪の中から一人の男性が近づいてきた。
「ノーザンウォルドの大使だ」
ボソッと殿下が、身構えかけた私に教えてくださった。
「優雅な足取り、軽やかなリード。思わず見惚れてしまいましたよ」
「光栄です。大使殿」
「殿下がここまで素晴らしく成長なさっておられるとは。殿下の伯父君、我がノーザンウォルド国王も、殿下のことを自慢に思われることでしょう」
「伯父上はご健勝であらせられますか?」
「ええ。アウスティニアとの友好の懸け橋として嫁がれた、エルリーネさま。そのエルリーネさまが繋いでくださったご縁を、この先も大事にしたいと、日頃からおっしゃっておられます」
「それはありがたいことです。我がアウスティニアとノーザンウォルドの友好が、いつまでも続くことを、私も祈念していると、伯父上にお伝えください」
「ええ、必ず」
にこやかな殿下と大使の会話。
大使に特に不審な点は見当たらない。
「しかし殿下は、まこと、エルリーネさまに似たご容姿でいらっしゃいますな。その髪の色といい、瞳の色といい。亡きエルリーネさまのことが偲ばれます」
「それほど似ているでしょうか。私はあまり母のことを覚えておりませんので」
「ええ。よく似ていらっしゃいますよ。殿下が王女であったなら、生き写しであったことでしょう」
「それは。ノーザンウォルドの青いバラと謳われた母ほど美しくはないでしょう」
「いやいや。殿下なら、エルリーネさま同様、求婚者が引きも切らない状態になったでしょう。おっと、これは失言でしたかな。ハハハ……」
いやいやいやいや。
大使の言いたいこと、スッゴイわかる。
殿下が王女、つまり、女性だったら。
そりゃあもう、ものすごい求婚者の長蛇の列ができたと思う。王宮に入りきらない求婚者。最後尾なんて遠すぎて霞んで見えないっていう。今だって、ご令嬢の猛烈アタックをくらいまくってるぐらいだし。
その場合、私は女性だから堂々と殿下(この場合、王女殿下)の護衛につくわけだけど。
――いつもすまないね、リーゼファ。
――いえ、これも任務ですから。お気になさらずに。
――そうはいかないよ。リーゼファは、私のかわいい妹分だからね。
――妹、ですか?
――不満かい?
――いいえ。そんなことはありません。
――フフッ。私には妹がいないからね。代わりに甘やかされてくれるとうれしいな。
(ついっと私の顎を持ち上げる、王女殿下の細い指)
――ほら、今日のお菓子、マカロンだよ。リーゼファのために用意させたんだ。食べてくれるかな?
――は、はい。(ング)
(そのまま口に放りこまれたマカロン)
――おいしい?
――はい。とっても。(ドキドキしすぎて、味、わかんないけど)
――フフッ。よかった。
なーんてなんて展開が待ってたりとか?
流れるような銀色の髪の王女殿下。深い青色の瞳は憂いを帯びて神秘。たおやかな腰、溢れんばかりの胸。吸いつきたくなるような、透き通ったやわ肌。
しどけなく、ベッドに横たわる殿下。(なぜか、シミューズ一枚。肌と色気を強調) 肌にまとわりつく銀色の髪。無造作に掻き上げる、殿下の細い指先。
(いいっ! スッゴクいいっ! 王女になっても、殿下いいっ!)
鼻血だして、ぶっ倒れそう。(出ないけど)
ちょっとアブナイ、背徳感にまみれてる気がするけど、それでも「お姉さま♡」ってついていきたくなる。いや、ついていくわ! 絶対! メッチャ推せる!
「今宵は大使殿も存分に楽しんでいってください」
「ええ。お心遣い、ありがとうございます」
殿下のお言葉に、大使が軽く頭を下げる。
「――ナディアード殿下。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
ちょうどタイミングを見計らったように、歓談の間に入ってきた声。
「フェリシラ嬢……」
「次は、わたくしと踊っていただけませんこと?」
「ええ、喜んで」
一瞬にして、私、蚊帳の外。もちろん、大使も一緒。
「ああ、紹介いたします、大使殿。彼女は、フェリシラ・ローゼ・ソフィニア・デューリハルゼン。私の遠縁にあたる女性です」
「お初お目にかかりますわ、ノーザンウォルド大使さま」
「お会いできて光栄です。フェリシラさま」
スッと差し出されたフェリシラさまの手。当然のように受け止め、その手の甲に挨拶の口づけをする大使。この辺の素早い対応はさすが大使。
「さあ、参りましょう、殿下」
うれしそうに殿下に声をかけられるフェリシラさま。殿下も満更じゃないのか、彼女の手を腕にからませ、広間の中央へと歩いていく。
――私の幸せ時間(半ば強制的に)、これにて終了。




