07.父と兄
コーネリアスは、アイザックからロゼッタを引きはがすようにして抱き上げる。
「どうしたのだ? 何かされたのか? こいつにいじめられたのなら正直に言うのだぞ!」
必死な様子で叫ぶコーネリアスだったが、アイザックはその態度に苛立ったようだ。眉間の間に皺を寄せると、唇を尖らせる。
「失敬ですね、人聞きの悪い。僕は何もしていませんよ」
不満げに答えるアイザックに対して、コーネリアスも険しい表情を向ける。
「何もしていないだと? そもそも、何故ここにいるのだ?」
責め立てるような口調で言われても、アイザックは怯まない。それどころか、逆に呆れた顔をした。
「そりゃあ、可愛い妹に会うために決まっているでしょう。父上は、そんなこともわからないんですか?」
そう言って、さも馬鹿にしたように肩をすくめてみせる。
コーネリアスは黙ったまま、冷ややかな目を向けた。しばらく無言のときが続く。
「お、おとうさま、おにいさまは悪くないです。わたしが勝手に……」
ロゼッタはおろおろしながら、間に割って入った。二人の間で板挟みになって、居心地が悪い。
沈黙を破ったのは、コーネリアスの大きなため息だった。
「アイザック、あまりロゼッタに近づくでない」
「お断りします。せっかく離宮から出てきて、会えるようになったのです。兄妹なんだから、仲良くするのは当たり前でしょう?」
アイザックは堂々と主張する。
コーネリアスは疲れ切った顔をしながら、こめかみを押さえていた。
「とにかく、ロゼッタが嫌がることはしてくれるな。この子は繊細なのだ。お前の強引さに、怯えてしまうだろう」
「おにいさまはこわくない……ですよ」
ロゼッタが否定すると、アイザックはくすりと微笑んだ。そして、愛おしそうに目を細める。
「ありがとう、ロゼッタ。きみは優しい子だね。人の心なんて持ち合わせていない父上が溺愛しているだけあるよ」
「アイザック、口を慎め」
コーネリアスは苦々しい表情で言った。
それを気にすることなく、アイザックはロゼッタを見つめる。
「きみの髪は僕と同じ、黄金色の髪だね。でも、瞳の色はけぶるような紫だ」
そう言って、アイザックはロゼッタの瞳を覗き込む。
「こんな紫の瞳、初めて見たよ。本当に綺麗な色だな。きっときみは特別なんだね。……父上もそうは思いませんか?」
「……ああ、そうだな」
これまで不機嫌そうだったコーネリアスだが、アイザックの言葉に素直に頷く。
その表情は何かを懐かしむような、それでいて切なそうなものだった。
「父上?」
アイザックは、不思議そうな顔をする。ロゼッタもコーネリアスの様子に違和感を覚えた。
だが、彼はすぐに取り繕ったように笑顔になる。
「何でもない」
そう言って、コーネリアスはロゼッタの頭を優しく撫でた。
「……アイザック。ロゼッタとこれからも会いたいというのなら、大切に扱え。そして、しっかりと守ってみせろ。それができるのであれば、今後もお前と会うことを許そう」
「ええ、もちろんです」
アイザックは胸に手を当てて、恭しくお辞儀をした。ロゼッタは彼らの一連のやりとりを聞きながら、自分が大切にされていることを実感していた。
今世では、きちんと愛されている。命の危険を感じることもなく過ごせるのだ。
そう思うと嬉しくて、そっと自分の胸を押さえた。
「アイザック、お前はそろそろ戻れ」
コーネリアスは、険しい顔つきで言った。
「はいはい、わかりましたよ」
アイザックは肩をすくめてから、ロゼッタに向き直る。そして、ぎゅっと小さな手を握った。
「ロゼッタ、またね」
微笑みながら言われて、ロゼッタも笑みを浮かべる。
「はい、またお会いできる日を楽しみにしています」
ロゼッタが言うと、アイザックは満足そうに頷く。そして、くるりと背を向けて扉の方へと向かった。
それから彼は、扉を開けながら振り返った。その視線はまっすぐにコーネリアスへと向けられている。
「父上、もう少し子ども部屋らしくなさってはいかがですか。ここは、子どもの遊ぶようなものはないのでしょう? これではロゼッタが可哀想だ」
「……考えておこう」
コーネリアスが苦々しげに返答すると、アイザックは得意そうに微笑んだあと部屋を出た。
「おにいさまって、すごいですね」
扉が閉まると、ロゼッタは感想を漏らした。すると、コーネリアスは苦笑しながら頷く。
「あの子は小さな頃からできた子だ。優秀ではあるが、少々手が焼ける」
彼はそう言って、頭を押さえた。ロゼッタはコーネリアスが苦悩している姿に、思わず笑ってしまう。
何だかんだと言ったところで、彼もアイザックを愛しているのだろう。そうでなければ、ああも気安く接することを許さないはずだ。
「ふふ、おとうさまはおにいさまのこと、嫌いではないんですね」
楽しげに言うと、コーネリアスはぴくりと反応した。そして、何かを言いかけて口を閉じる。だが、わずかに視線を逸らすと、諦めに似た微笑みを浮かべた。
「……まあ、そうだな」
「よかった。わたし、おにいさまのことが好きなんです」
ロゼッタが無邪気に言うと、コーネリアスは驚いたように目を見開いたあと、目を細めた。
「……そうか」
素っ気ない返事だったが、彼の穏やかな表情を見ればわかる。彼は今、嬉しいと思っているのだろう。
「おとうさま、笑った方が素敵ですよ」
素直な気持ちを伝えると、彼は戸惑ったようにロゼッタの頭を撫でた。
「そう、か?」
「はい、とっても!」
コーネリアスが照れたような、嬉しそうな笑みを浮かべる。ロゼッタは嬉しくなって、満面の笑みを浮かべた。
そのうち、またアイザックも遊びに来てくれるだろう。ロゼッタはその日を楽しみに待つことにした。
そして翌日、アイザックは早速ロゼッタのもとを訪れた。
また一人で本を読んでいたロゼッタは、本を置いて立ち上がる。
「やあ、ロゼッタ。元気にしていたかい?」
彼は笑顔で部屋に入ってくると、ロゼッタのもとまでやってきて両手を広げる。そして、そのままぎゅっとロゼッタを抱き締めてきた。
「……おにいさま」
ロゼッタが困惑していると、アイザックは咳払いをして力を緩める。そして、今度は壊れ物を扱うようにそっと触れてきた。
「申し訳ない、きみがあまりにも可愛らしかったから、つい強く抱き締めてしまった」
まったく悪いと思っていない様子でそう告げると、彼はにっこりと笑う。
幼さと大人っぽさの同居するアイザックに、ロゼッタは苦笑した。
「おにいさまはお忙しいのではないですか? おとうさまに叱られてしまうかも……」
「大丈夫だよ。今日のするべきことは全部終わらせて、しっかり時間を作ってきているから」
アイザックは胸を張って答える。そして、彼は両手を広げて、その背にある扉を示した。
「さあ、出かけようか。今日は良い天気だから、庭園を散策しよう」
「え、でも……」
戸惑うロゼッタの手を取ると、彼は扉へ向かって歩き出す。その足取りは軽く、楽しげだった。
これまでロゼッタは、離宮の外へ出たことがない。父の宮殿に来てからも、部屋から出ることはほとんどなかった。
つまり、こうして誰かと出掛けるのは、初めてのことなのだ。
見知らぬ世界へ踏み出すことに、不安と期待が入り交じる。ロゼッタは、ぎゅっとアイザックの手を握り締めた。
「大丈夫、僕がついているよ」
アイザックは優しく微笑んで、ロゼッタを安心させるように頭を撫でる。
そのぬくもりに励まされながら、ロゼッタは兄と共に部屋を出た。