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06.おにいさま

 アイザックと名乗った少年は、腕を組みながらロゼッタを見下ろした。その態度には、幼いながらも王族らしい威圧感が漂っている。


「あ、あの、おにいさま……ですか?」


 ロゼッタは、びくびくしながらアイザックを見つめる。

 自分に四つ年上の腹違いの兄がいることは知っていた。だが、母と共に離宮に押し込められていたロゼッタは、これまで会ったことがないのだ。

 すると、アイザックは黙り込んでしまった。何かを耐えるように目を閉じ、眉間に深い皺を刻む。


 しまったとロゼッタは焦る。おそらく、おにいさまなどと気安く呼んでしまったのが気に障ったのだろう。

 アイザックは、コーネリアスと王妃ブリジットの間に生まれた一人息子であり、王太子だ。

 腹違いの兄ではあるが、側妃の娘にすぎないロゼッタとは身分が違う。敬意を払うべき相手なのだ。


「……ご、ごめんなさい……えっと、王太子殿下……」


 ロゼッタは、縮こまりながら謝った。

 すると、アイザックが閉じていた目をかっと見開かせる。


「そんな呼び方はやめてくれ! おにいさまだ、おにいさまと呼びなさい!」


 突然大声を出したアイザックに、ロゼッタはびくりと体を震わせた。それでも、なるべく冷静に返事をする。


「あ、はい……ごめんなさい、おにいさま……」


 萎縮しながら答えると、アイザックは満足そうに頷く。


「うん、それでいい」


 アイザックは、穏やかに微笑んだ。

 その様子を見て、ロゼッタはほっと息をつく。

 どうやら、機嫌を直してくれたらしい。しかし、彼の真意はどこにあるのだろう。


「あの、おにいさまはどうしてここに……?」


 ロゼッタは、おずおずとアイザックに尋ねた。

 すると、アイザックは大げさにため息をつく。


「これまでずっと離宮に閉じ込められていたきみが、父上の宮殿で暮らしているというじゃないか。しかも寵愛を一身に受けて、僕はほったらかしだ。ふざけているよ!」


 アイザックは、苛立たしげに吐き捨てた。

 その勢いに、ロゼッタは思わず身をすくませる。

 これまで王太子として両親の愛を一身に受けてきたアイザックは、ロゼッタに父を奪われたという恨みを抱いているのだろう。

 自分は彼にとって邪魔者なのだ。

 そのことに気づいたロゼッタは、ぎゅっと拳を握る。


「あ、あの……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ロゼッタは、涙を流しながら謝る。

 アイザックには申し訳ないが、ようやく得られた父の愛を手放すなど、できようはずがない。

 もう、あんな絶望を味わうのは嫌だ。たとえ相手が兄であろうと、父を奪われるなんて、耐えられない。

 ロゼッタの目から、止めどなく涙が溢れてきた。


「う、うぅ……うぅ……」


 嗚咽を漏らすロゼッタに、アイザックは慌てて駆け寄った。


「ど、どうして泣くんだ?」


 うろたえたように、アイザックはロゼッタの顔を覗き込む。


「うぅ……ごめんなさい……でも、おとうさまを奪わないで……」


 ぼろぼろと涙を流しながら、ロゼッタは懇願するように言った。

 コーネリアスを奪われたくない。ようやく得られた幸せを手放したくない。そんな思いが溢れて止まらなかった。

 すると、アイザックは困惑の表情を浮かべる。


「な、何のことだい? 奪うって、父上を? あんなの、いらないよ! そんなのじゃなくて、僕はきみと会いたかったんだ!」


「え……?」


 ロゼッタは、目を丸くする。

 すると、アイザックは恥ずかしそうに頬を染めたあと、目を逸らした。


「だってさ、ずるいじゃないか……父上がきみを独占して、僕はのけ者だ。僕だってきみと過ごしたいのに、父上はきみを僕に会わせようとしないんだ」


 不貞腐れたように言うアイザックに、ロゼッタは呆気に取られた。それと同時に、胸の中に暖かいものが広がっていくのを感じる。

 彼が不機嫌に見えたのは、ロゼッタに対してではなく、コーネリアスに対しての不満だったようだ。

 ロゼッタは、涙で濡れた顔のまま小さく笑った。それを見て、アイザックも頬を緩ませる。


「やっと笑ってくれたね」


 言いながら、アイザックはにっこりと笑う。

 その笑顔は、どこかコーネリアスと似ていた。


「あの、おにいさま」


「なんだい?」


「わたしに会いたかったって……本当ですか……?」


 おずおずと問いかけると、アイザックは当然と言わんばかりに大きく頷いた。


「当たり前じゃないか。きみは僕の妹なんだから」


 アイザックは、ロゼッタの頭をそっと撫でた。その優しい手つきに、ロゼッタは目を細める。


「おにいさまは、わたしが邪魔じゃないんですか?」


 ロゼッタは、おそるおそる尋ねた。すると、アイザックはきょとんとした顔をしたあと、苦笑する。


「どうして? 妹を嫌う兄がどこにいるんだい?」


 そう言われても、ロゼッタはにわかには信じられなかった。

 何せ、前世では兄から疎まれて、死地に放り出されたのだ。兄だからといって、無条件に妹を好いているわけがないと、ロゼッタは思っている。

 ロゼッタは、アイザックの目を見つめる。すると、彼は困ったように眉根を寄せた。


「そんな目で見ないでくれ。僕がきみを邪魔に思うわけが、ないだろう?」


 アイザックは、不満そうに唇を尖らせる。その様子から、彼が嘘をついているとは思えなかった。

 考えてみれば、押しも押されもせぬ王太子であるアイザックにとって、側妃の娘であるロゼッタなど、取るに足らない存在のはずだ。脅威にならないのだから、警戒する必要もないのだろう。

 ロゼッタはようやく肩の力を抜いて、微笑み返した。


「ありがとうございます、おにいさま……」


 ロゼッタの言葉を聞いて、アイザックは安堵の息を吐く。


「よかった。これからは兄妹として仲良くしよう」


 アイザックは穏やかに微笑むと、そっとロゼッタの手を取った。


「はい……!」


 ロゼッタは嬉しくなって、元気よく返事をした。


「ところで、何をしていたんだい? こんな何もない部屋、退屈じゃないかい?」


 アイザックは辺りを見回しながら、尋ねた。確かに、調度品は豪華だが、子どもの遊び道具といったものは置かれていない。


「あ……本を読んでいました……」


 ロゼッタは手にしていた本を差し出す。それは、コーネリアスが贈ってくれた本だ。


「ふうん……」


 アイザックは、ロゼッタが持っていた本を手に取った。そして、ぱらぱらとめくってみる。


「え……これ、読めるのかい?」


 驚いたように目を見開いて、アイザックは顔を上げた。それに対して、ロゼッタはこくりと首を縦に振る。


「すごいな……もうこんな本が読めるのか……きみは賢い子だね」


 アイザックは感心しながら、ロゼッタの頭を撫でる。

 褒められたことが照れくさくて、ロゼッタは俯きながら、少しだけ口角を上げる。

 前世の記憶がよみがえったときに、かつて学んだ文字や言語の知識も思い出した。おかげで、ロゼッタは不自由なくこの国の言葉が読み書きできる。


「こんな本を小さな子に与えるなんて、父上はどういう神経をしているんだろうと思ったけれど、なるほど……そういうことか」


 独り言のように呟いて、アイザックは納得したという風に何度か頷いていた。


「いずれ、きみが僕を補佐してくれればいいと思うんだ」


 アイザックの申し出に、ロゼッタは大きく瞬きをする。


「補佐……ですか……?」


「ああ。そうすれば、他の国に嫁ぐ必要はないだろう? というか、結婚なんてしなくていい」


 平然と言う彼に、ロゼッタは困惑する。

 王女というのは他国に嫁ぎ、同盟を結ぶための重要な役目を担うものと前世では教えられた。そして、実際に捨て駒として他国に送り込まれ、命を落としたのだ。

 今世でも、今は可愛がってもらっていたとしても、どうせいつかは駒として別の国へ嫁がされるのだろうと、漠然と思っていた。


 しかし、別の道があるというのか。

 希望の光が差し込んできて、ロゼッタの心は震えた。

 思わず、期待するようにアイザックの顔を見上げる。


「わたし……ずっと、ここにいてもいいの……?」


 期待してもいいのだろうか。その可能性に賭けてみても許されるのだろうか。そんな思いで、ロゼッタは胸を高鳴らせた。

 すると、アイザックは不思議そうに首を傾けたあと、にっこりと笑みを見せる。


「当然だよ」


 それが、どれほどロゼッタにとって嬉しい言葉だったか。おそらくアイザックは知らないのだろう。

 何も言葉にすることもできないほどの感動と喜びに襲われて、ロゼッタはただ黙って涙を流すだけだった。


「え、ちょっ……どうして泣くんだ!?」


 突然泣き出した妹を見て、慌てるアイザック。わたわたと両手を動かしたあと、ロゼッタを抱き寄せて背中をさすり始めた。

 そのぬくもりに、さらに涙が止まらない。

 こんなに幸福なことがあっていいものなのかと、ロゼッタは何度も思った。


「ごめんなさい……うぅ……ありがとうございます……」


 嗚咽を漏らしながらも礼を述べると、アイザックはさらに動揺し始めた。


「だ、大丈夫かい? どこか痛いところでもあるのか?」


「だいじょう……」


 言いかけたとき、扉が大きく開かれる。驚いて振り返ると、コーネリアスが立っていた。彼は、こちらを見て訝しげに眉根を寄せる。


「アイザック、ここで何を……ロゼッタを泣かせたのか!?」


 問いかけようとしたコーネリアスだが、ロゼッタが泣いていることに気づいて声を荒げる。そして、慌てて駆け寄ってきた。

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