16.王妃の戸惑い
ロゼッタの提案に、アイザックはぎょっと目を見開いた。そして、焦ったように声を上げる。
「い、いきなりすぎないかい? もう少し慎重にいったほうが……」
「大丈夫です」
アイザックがうろたえる姿にもめげることなく、ロゼッタはしっかりと頷く。それから、さらにぐい、と顔を近づけた。
「だって、悩んでいるうちに、どんどん時間だけ過ぎてしまいますし。あとになればなるほど、状況は悪くなっていくと思うんです。そうなったら、もう手遅れかもしれません」
ロゼッタの主張を聞くと、困り果てた様子でアイザックは眉根を寄せていた。
「確かにそれは……一理あるかな……」
渋々といった様子ながらも、肯定してくれるのを見てロゼッタは安堵の息をつく。
やはり何だかんだと言ったところで、妹に甘い兄なのだ。それを再確認できて嬉しかった。
アイザックはしばらくの間、腕を組んで真剣そうな表情で悩んでいたものの、やがて小さくため息をついた後に顔を上げた。
「仕方ない。それじゃあ、行こっか」
あっさりとそう言ってのけた彼に、ロゼッタはぽかんとした表情を浮かべてしまう。
「考えてみれば、半年後に建国祭がある。もし側妃を迎えるとなれば、そのときに正式に発表するだろう。何かするのであれば、猶予はあまりない」
決意した様子ではっきりと告げるアイザックに、ロゼッタはまた驚いてしまう。
つい先ほどまで、あまり乗り気でない素振りだったのに、一度決めてしまうと行動に迷いがない。決断力と実行力は、さすがの一言だった。
「はい! 行きましょう!」
ロゼッタは元気よく返事をする。
こうして、ロゼッタは兄が差し出してくれた手を握り締め、部屋を飛び出したのであった。
「あら。どうしたの。二人そろって」
アイザックと一緒に訪れたロゼッタの姿を見て、ブリジットは不思議そうに首を傾げる。
二人はそろって彼女の私室へとやって来たのだ。
ちょうどお茶の時間だったらしい。テーブルの上にはティーセットが置かれており、ブリジットの手にはカップがあった。
おそらくは、休憩しようとしていたところだったのだろう。そんな最中に、予告もなしにやって来たのである。驚くのも無理はないと思われた。
「母上に、お話ししたいことがございます」
ブリジットの様子を気にしながらも、アイザックはきっぱりと告げる。いつもよりも強めの口調で、緊張がうかがえた。
突然のことに、困惑の色を見せるブリジットではあったが、すぐに微笑む。
「話って……? とりあえず、座りなさいな。今、お茶を用意させるわね」
穏やかな声でそう促すと、ブリジットは侍女に向かって指示を出す。
ロゼッタとアイザックは一瞬顔を見合わせたが、すぐに促されたとおり近くの椅子に腰かけた。
すると、ややあってから三人分の茶菓子と共に、湯気の立つお茶が運ばれてくる。 ふわりと漂う香ばしく優しい匂いは、ほっと心を落ち着かせてくれるものだった。
「ほら、まずはこれを食べてちょうだい。とてもおいしいのよ」
にっこり笑ってそう勧められると、断ることなどできはしない。ロゼッタとアイザックはすぐに焼き菓子へ手を伸ばし、食べ始めた。
二人の様子を見てから、ブリジットはゆっくりと口を開く。
「それで、話って一体何なの? 何かあったのかしら?」
彼女からは、特に慌てふためいている様子が見られない。至って穏やかだ。
すでに侍女たちは部屋から退出しており、今は他に誰もいない。つまりは、人払いをしているということだ。
ということは、内密の話であるということがわかっているのだろう。
ブリジットの言葉を受けて、ロゼッタは姿勢を改める。そして、静かに問いかける。
「母さまは、おとうさまのことをどう思っていらっしゃいますか?」
単刀直入すぎるその質問を聞いて、アイザックがぎょっとして妹の顔を見る。
まさか、このように唐突な切り込み方をするなんて、予想していなかったのだろう。
驚きの余り言葉を失っている彼の様子を感じ取りながら、ロゼッタはじっとブリジットを見据える。
一方、突然そのようなことを聞かれて面食らったのは、質問を受けた側も同じようだった。彼女はわずかに目を見開きつつ、不思議そうな顔をしていたのだが、やがてにこりと笑う。
「あなたたちの父親としてなら、好きですよ」
それは明らかに模範解答としか言いようのない答えだった。嘘ではないのかもしれないが、本心を完全に隠している回答だ。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかなかった。ロゼッタはさらに追及するように言葉を続ける。
「では……母さまの元の婚約者の方と比べて、どちらが好きですか?」
ロゼッタがはっきりとそう告げると、ブリジットは少しの間、呆然とした表情で黙り込んでいた。やがて我に返ったようで、困ったように苦笑する。
「それは比べるものではないでしょう? そういう風に考えたことはなかったもの。それに、昔の話だから」
いかにも何でもないように語ろうとしていたものの、それが本音ではないことぐらい一目瞭然であった。
だからこそ、ロゼッタはさらに身を乗り出し、必死に訴えかける。
「お願いです、正直に教えてください」
「ロゼッタ……そんなに急いだら……」
「いいの」
アイザックの声を遮り、ロゼッタは力強く言い切る。そしてさらに前に出ると、はっきりと尋ねていった。
「わたし、母さまの力になりたいのです」
ロゼッタの勢いに押されたらしく、ブリジットは目を丸くしている。それから困ったように眉を下げていたが、すぐに微笑んで見せる。
「ありがとう。でも……」
そこまで呟いた後で、ブリジットは俯きながらしばらく沈黙してしまう。考え込むようにして、なかなか次の言葉を発しようとはしなかった。
そんな彼女を前にして、アイザックはどこか苦しげな様子で唇を引き結んでいる。
ロゼッタは自分も同じような表情になっているのを感じながら、胸元に手を当てていた。
長い長い間そうやって悩んでいたブリジットだったが、しばらくして顔を上げてロゼッタを見つめる。
その視線を受け止めながら、ロゼッタはただひたすらに待つ。
やがて、ふう、と小さく息を吐いて気持ちを整えた後で、彼女は口を開いた。
「そうね……あなたたちにも心配されてしまうくらい、今の状況が良くないことはわかっているの。このままだといけないと、わたくし自身、ずっと考えていたから」
そこで一度、言葉を切ると深いため息をつく。
「でもね、わたくしは国王陛下に嫌われているわ。わたくしでは無理なのよ。だから、もっと朗らかで優しい子が側妃になれば……きっと国王陛下を支えてくれると思うの」
弱々しくそう口にしながら、彼女は悲しげに微笑んだ。
その表情には諦めにも似た色が浮かんでおり、ロゼッタは何とも言えない気分になる。
「母上……」
アイザックは唖然としながら、ブリジットを見つめている。信じられないといった表情だ。
これまでの話を聞く限り、ブリジットはアイザックに厳しく接していたらしい。このように弱々しい姿など、初めて目にしたことだろう。普段の毅然とした態度とのあまりの違いに驚いてしまうのも無理はなかった。
「ごめんなさいね。こんな話をするつもりじゃなかったのだけど、どうしてかしら……あなたの目を見ていたら、つい余計なことまで話したくなってしまうのよね。駄目だわ」
ロゼッタを見つめながら力なく首を横に振るブリジットの様子には、哀愁すら感じられる。
彼女自身、自分が抱いていた思いの大きさに戸惑っているようでもあった。
「母さま……」
ロゼッタは思わず呟いていたが、どのような言葉をかけたらよいのか分からない。
ただ、何か声をかけなければいけないという思いが強く湧き起こり、困惑するばかりだ。
「あなたの紫色の瞳、あの子のことを思い出すわ。思えば、あのときから全てがおかしくなっていったのかもしれないわね……」
ぼそりと独白のように呟かれた言葉だったが、ロゼッタは聞き逃さなかった。
「それは……もしかして、処刑された王女のことですか? おとうさまの元婚約者だった……」
ロゼッタの言葉を聞いて、ブリジットは一瞬にして凍りついたように、固まってしまう。その顔に浮かんでいるのは、驚愕だ。
それからゆっくりとこちらを見上げ、じっと見つめてくる。
「あなた、どうしてそのことを知っているのかしら?」









