01.処刑、そして目覚め
「背信の罪により、レイアル王国王女ニーナを処刑する!」
ボールド王国王城の広間にて、高らかに告げられた死刑宣告に、ニーナは深く俯いた。
いつかこの日が来ることは、覚悟していた。
ニーナ自身に罪はない。
しかし、レイアル王国から人質として差し出され、敵国ボールド王国へ渡ったニーナは、故国の裏切りという罪を背負うことになった。
レイアル王国はボールド王国との約束をあっさりと破り、他国と組んで攻め入ってきたのだ。
最初からニーナは捨て駒だった。ボールド王国との友好関係を結んで欺くために必要だっただけで、用済みとなれば見捨てられる。
「……っ」
ニーナは震える唇を噛み締めた。
覚悟はしていた。それでも、心までは思いどおりにはなってくれない。
涙がこぼれそうだった。歯を食いしばって、必死にこらえる。
レイアル王国のために、涙を流してはいけない。最後まで、誇り高くあらねばならない。
助けを求めることも、抗議することも、全て諦めていた。
ニーナは顔を上げ、まっすぐに前を見据えた。
視線の先には、黄金色の髪をした青年がいる。ここボールド王国の第三王子であり、ニーナの婚約者だ。
その青年、コーネリアスは、静かにニーナを見下ろしていた。
婚約者である彼が自分をどう思っているのかは、わからない。怒りも悲しみも、その表情からは読み取れない。
コーネリアスは、しばしニーナの顔を見つめたあと、すっと視線を外して踵を返す。そして、広間を去っていった。
その様子に、ニーナはもう一度、唇を強く噛み締める。
彼がかすかに震えていたことなど、余裕のないニーナが気づくはずもなかった。
「コーネリアスさま……」
呆然と呟いた言葉は、誰に届くこともなく消えていく。
胸に広がる痛みに、ニーナは自嘲の笑みをこぼす。
紫色の瞳から涙がこぼれ落ちそうになるが、必死にこらえる。
いったい何を期待していたのだろうか。
婚約者とはいえ、コーネリアスとの仲は冷めきっていた。顔を合わせれば挨拶くらいはするが、その程度だ。
彼は人質として差し出された王女を、形だけの婚約者として、義務的に受け入れていたにすぎない。
そんなことはわかっていたはずなのに、ニーナはどこかで期待していた。
最後に、コーネリアスが何か声をかけてくれるのではないかと、淡い希望を抱いてしまったのだ。
助けてくれるなどとは、元より思っていない。
ただ、かつてボールド王国にやって来たばかりの頃、花が好きだと言ったニーナのために、小さな花束をくれたことがあった。たった一度きりの優しい記憶だ。
まるで優しい兄のように接してもらったことが嬉しくて、忘れられなかった。
それを思い出して、もしかしたら、と期待してしまった。ニーナは、自分の浅ましさに自嘲する。
期待などしてはいけないのに、どうしてこんなにも愚かなのか。
国王に王太子、第二王子も、冷淡な目つきでこちらを見ている。
王太子の婚約者だけは、同情するような目を向けてくれているようだったが、それも一瞬のことだろう。すぐにニーナへの興味をなくしてしまうはずだ。
彼女はニーナと違い、大国の王女であり、望まれて嫁ぐ身なのだから。
王太子が彼女に寄り添っているのを視界の端に捉えながら、ニーナはそっと目を伏せた。
「……本当に馬鹿ね、私は……誰にも愛されてなどいなかったのに」
家族に、国に、そして婚約者にも。
誰にも愛されてなどいなかったのに、愛されたいと願っていた。そんなことが叶うはずなどないのに。
もしも生まれ変わることができるのなら、温かい家族や、愛してくれる婚約者に恵まれた、幸福な女の子になりたい。
叶わない願いを抱きながら、ニーナは処刑場へと引かれていった。
その日のうちにニーナは処刑され、十四年の生涯を終えた。
* * *
ぼんやりとした意識が、だんだんとはっきりしてくる。
とても生々しい夢をみていたようだ。
首筋に当たる刃の感触も思い出せるほどに、現実味があった。
「ん……」
ゆっくりと目を開ける。
視界に入ってきたのは、暗い天井だった。
まだ夜なのだろうか。部屋の中はとても暗い。
「ここ、は……」
どこだろうか。どうしてこんなところで寝ているのだろうか。
記憶をたどろうとすると、頭の中が軋むように痛んだ。
無理に思い出そうとしても、ますます痛みに拍車がかかるだけで、頭を働かせることすらできない。
「いたい……」
思わず、右手で額を押さえる。
その途端、違和感に襲われた。
「え……なに、これ……」
自身の手が目に飛び込んできた。そのことに違和感を抱いたのだ。
いつも目にしていた、自分の手ではない。もっと小さな、子どものような手だ。
「なに、これ……」
もう一度、呟きが漏れる。
そして、気がついた。
「わたし、こえ、が……」
発した声は高く、まるで幼い子どもの声だった。
慌てて体を起こそうとして、そのまま毛布の上に倒れこんでしまう。小さい体には力などなく、起き上がろうとしてもなかなかうまくいかない。
「いったい、なにが……」
自分の身に何が起きたのか、まったくわからない。記憶が混乱しているというよりは、脳が考えることを拒絶しているようだった。
しかも、全身が痛くてたまらない。
体が痛いことも、その原因も、何もわからないのだ。
「いったい、どうして……」
わけがわからず、混乱している頭を振っていると、ふいに部屋の扉が開いた。
「まあ、ロゼッタ。目が覚めたのね!」
部屋に入ってきたのは、亜麻色の髪をした女性だった。
ロゼッタ、と確かに呼ばれた。そうだ、それが自分の名前だ。
ならば、ニーナとしての記憶は何なのだろうか。ニーナとロゼッタ、どちらの記憶が正しいのか。
混乱しながらも懸命に考えようとしていると、女性が近づいて覗き込んできた。
その途端、ロゼッタの全身に寒気が走る。
「あ、あ……」
震えが止まらない。歯の根も合わず、かちかちと音が鳴った。
女性に対してひどく怯える自分がいることに気づいて、戸惑う。
何故かはわからないけれど、恐ろしくてたまらなかった。この人には逆らうな、という脳の奥からの叫び声が聞こえる。
「お父さまがお見えになったのよ。あなたも嬉しいでしょう? 嬉しいわよね、ロゼッタ」
「お、とうさ、ま……?」
オウム返しに口にすると、女性はとても嬉しそうに笑った。
「そうよ、あなたのお父さま。ボールド王国の国王陛下よ」
耳を疑った。ニーナとして生きた自分を処刑した国、ボールド王国の国王が父親だというのか。
「あ、あ……」
ロゼッタが怯えていることなど気にも留めずに、女性はさらに顔を近づけてくる。
「さあ、ご挨拶なさい。あなたのお父さまよ」
ロゼッタが愕然としていると、部屋の扉の向こうから一人の男性がやって来た。 その姿を見た途端、全身の震えがさらにひどくなるのを自覚する。
「目覚めたか、ロゼッタ」
男性は、ロゼッタの怯える様子など気にした様子もなく、声をかけた。
薄明りに照らされたその顔は、ニーナの婚約者だったコーネリアスそのもので、ロゼッタはさらなる混乱に陥った。