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第6話 見抜くドラゴン

「あっ……」



「ああっ……」




 たったそれだけ。付け上がった態度を露わにした、どこからどう見ても上から目線の言葉。



 なのに……私は膝から崩れてしまい、目に強く手を押し付けた。






「ぶぅ? くはは、面ちろいでちゅね! おれちゃまが『てちた』を迎えに上がっただけなのに、顔がぐしゃぐしゃでちゅ!」

「うん……そうだね、面白いね、馬鹿みたい……」




 ジェイドが正面にやってきたのに気づいて、私は顔を上げる。翡翠色の瞳が私を出迎えてくれた。



 ……そうだった。いつも通りじゃなかった。何気ない日常に、彼が入り込んできたんだ。




「ジェイド……私がいなくて寂しくなかった?」

「ちゃびちくはなかったでちゅけど、つまんなかったでちゅ。今のおれちゃまには、まともにはなちができる人間が、お前ちかいないからでちゅ」

「そっか……お腹は空いていない?」

「リンゴを箱から出ちて食べていたのでちゅ! 美味かったでちゅ!」

「それはよかった……」



 他愛のない会話をしながら、私はふらふらと立つ。




 ……そういえば、昨日はジェイドと出会ってバタバタしていたから、日課のあれをやっていなかったな。



「ぶ? サリアよ、今から何をちゅるのでちゅ?」

「毎日の習慣だよ。ジェイドも見る?」

「むぅ……」



 ジェイドを抱っこして、昨日みたいにテーブルの上に乗せる。それから私は、立て掛けてあるカレンダーを持ってきた。





 一緒にペンも持ってきて、机に置いてから――今日の日付を塗り潰す。



「……」



 染み込ませたインクが全部なくなるように、強く紙に押し付けて。



 そうしてできたインクの染みが、このカレンダーにはたくさんある。



 一日の夕方になると必ずこうする。今日という日が二度と戻ってこないこと、そして婚約の日に着実に近付いていることを意識する、ある種の儀式のようなもの。






「……サリアよ。おれちゃまは本当に驚いたのでちゅ。まさかお前が、おれちゃまに断りもなく出ていくなんて」



 一連の行為を眺めていたジェイドが、不意にそう言った。






「……勝手に出ていったのはごめん。でも、すやすやと寝ていたんだもの」

「おれちゃまの気分を害ちなかったのは、いい配慮でちゅ。でもちょれはちょれとちて、一体何をちてたんでちゅか」

「仕事だよ……お仕事していたの。人間は仕事をしないと生きていけないの」



 ドラゴンであるジェイドに、このことがどこまで伝わるかな……



「ちごとが必要なのは、ちぇーめーなら誰だってちょーでちゅ。でもお前には、もう役割が与えられているはじゅ。おれちゃまの『てちた』でちゅ」

「『手下』になったからといって……生活が変わったわけじゃない。仕事をしなければならないのは、同じだよ」




「……ちょのちごととやらは、おれちゃまの『てちた』であることをちゃち置いてでも、ちなければならないことか?」





 その言葉を聞いた時、ずきりと心の奥が痛んだ気がした。





「……何、何が言いたいの」

「お前、この暦とやらをを塗り潰ちゅ時、目がちんでたでちゅ」

「……!」



「ちゅまりお前の人生の大半をちめているちごとというのは、やりたくないこと。違うか?」






 一瞬ジェイドの()()()()()()()()()手を抑えて――




 私は立ち上がり彼を抱き締めた。予想外のことだったのか、彼は目を丸くしていた。



「ぶ……?」

「何、何言ってんのジェイドは。仕事はやりたくないことなのが普通だよ? やりたいことを仕事にできるなんて、そんな都合のいい話あるわけないじゃん」




「仮にやりたいことを見つけたとして、そう簡単に仕事にできるわけがない。第一……私は今の仕事に感謝しているから」


「5年前に故郷が焼け落ちて、行く場所を失った私の、新しい居場所が今の仕事。そんな仕事を捨てるのは居場所を捨てるのと同じことだよ?」


「私は――もう一人でいるのは嫌だ――居場所がなくなって、世界を彷徨うのはごめんだ――」






 言及する暇も挟ませず、私は思いの丈を述べた。ある程度それが済んだ所で、ジェイドは私の身体を押していき、拘束から逃れようとした。


 随分と気が狂った行動だった――私もそれを自覚したので、ジェイドを解放する。




「うむ、サリアの言い分はよくわかったでちゅ。ま、言い分がわかっただけで、おれちゃまにできることは何もないのでちゅがね……」

「そ、そうなんだ……逆に、できるとしたら何をするつもりだったの?」



 聞く必要はないのにそんなことを聞いてしまう。



「決まってるでちゅ! サリアに仕事を与える人間共を駆逐ちて、おれちゃまのちょばにじゅーっといちゃちぇるのでちゅ! でも今のおれちゃまは赤ちゃん……ちょんなことできる力なんて皆無なのでちゅ」

「ちゃんと弁えているんだね」

「力に驕らず、冷ちぇいな判断ができるのもちゅよさの内でちゅ。むぅ……話ちていたら腹がちゅいてきたのでちゅ!」





 そう言うとジェイドは、テーブルからぴょんと飛び降りて――



 部屋の隅に置いてあったリンゴの箱を、頭でぐりぐり押しながら、はいはいをしてきた。





「……」

「む? どうちたでちゅサリア。おれちゃまにリンゴを食べられることが、今になって嫌になってきたでちゅか?」

「いや、それはいいんだけど……力があるなあって」



 人間の赤ちゃんだったら考えられないよ。物が入っている箱を頭でぐりぐり押してくるなんて。なんという力だ。



「ま、おれちゃまの力はまだまだ戻っていないでちゅけど……それでも前にちゅちゅんではいるのでちゅ。日に日に力が溢れているのを感じるのでちゅー♪」

「それってリンゴ食べているからかな? 栄養源といったら、それぐらいしか考えられないけど」



 果物は確かに栄養はあるけど、それって体調を整える方の栄養だからなあ。筋肉をつける栄養はない。



「リンゴは単に美味いだけの木の実でちゅ。おれちゃまの力となる物は、別にちょんじゃいちゅるのでちゅ」

「それって何? まさか空気とか?」

「んー……わちゅれた! のでちゅ!」

「ええーっ?」



 こ、ここに来てまさかの……忘れているってことは、どうでもいいってことなのかも?


 いやいやどうでもよくない。自分の栄養源がわからなくなったら、何を食べればいいのかもわからないじゃないか。



「おれちゃまは眠っていた期間が長かったのでちゅ。だからわちゅれてちまったのでちゅ。でもリンゴでないことだけはたちかでちゅ」

「そっか……何を食べれば大きくなれるのか、わかればよかったんだけどなあ」

「ちょんなことちってどーちゅるのでちゅ?」

「ふふふ……」



 自分でも変なことを考えていると思って、思わず笑みがこぼれてしまった。



「……ジェイドが大きくなれるご飯を作って、大きくなる為のお手伝い、できたらいいなあって」




 私の言葉を聞いて、ジェイドは一瞬固まっていた。まるでありえない物を見るように私を見ていた。



 徐々にその硬直は解かれていき――しまいにはくははと声を上げて笑い始めた。




「くっ、くははははははは!! ちょ、ちょ~でちゅか!! ちゅちょーな心掛けでちゅ!! おれちゃまが力を取り戻ちゅ手伝いをしてくれるなんて!!」

「うん。だってあなたは凄いドラゴンなんでしょ? 大きくなったらどうなるのか……私、興味ある」



 これは紛れもなく本心だった。


 いつの間にか私の日々を生きる目標は、聖女として救われる人々の笑顔よりも。


 婚約者のルーファウス様が声をかけてくださることよりも。




 この自分の実力を信じてやまない赤ちゃんドラゴンが、どんな風に成長するのかを観察することに移ろいつつあったのである。




「はぐはぐ……ちっかち、ちゃちゅがにおれちゃまが沢山リンゴを食べたから、残っている数が心もとなくなってきたでちゅねー」



 ジェイドは少しばかり膝立ちをして、箱の中を見ながらそう呟く。



「だったら今度買いに行こうか。今は……木曜日だから明後日かな。その日はお休みだから、町に行けるよ」

「む! ちょうちたらおれちゃまといっちょにいてくれるんでちゅか!!」



 膝立ちのまま私の方までやってきて、そして肩をがしっと掴んできた。その目は爛々と輝いている。



「そうだね、一緒にお出かけ。楽しみにしててね」

「ちゅるでちゅー! はー、早く休みとやらが来いでちゅー!」




 ――買い物に行く日の日付は、黒く塗り潰さないでおこうかな。

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