53 次なる試練 (ダグラス視点)
僕は父上から廻されてきた領地に関する書類を前に頭を抱えていた。
モーティマー侯爵家本邸の僕の部屋。
デスクの上には面倒な書類が山盛り。
僕の向かい側には専属執事兼秘書兼侍従であるベルモントがやはり同じように領地にある屋敷の人事問題に頭を抱えていた。
「はぁ、なんでパトリシアはときどきあんなに男前になるんだ…」
ベルモントを悩ませている問題は書類にあるが、僕の頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜている問題はパトリシアにある。
彼女は普段は普通のご令嬢なのに、ときどき淑女らしからぬ行動に出る。しかもなぜかそれはかなり男前なものだ。
僕は裏庭の森ではじめて彼女と交わしたキスを思い出して、羞恥と歓喜に耐えきれずに髪を掻き乱して叫んでしまった。もう2週間も前のことなのに…
そして困ったことに、それ以降僕はパトリシアに触れることができなくなってしまっていた。
この悩みは深い。
「どうされました?ダグラス様?」
ベルモントが奇行に走る僕に視線を上げて訝しげに聞いてくる。
「いや、なんでもない、すまん、邪魔したな、ベル」
表情を出さないようにしてはいるが、きっとかなり紅潮してるだろう、と僕は俯いたまま、書類と格闘しているふりをした。
けれど脳内ではもう何度目になるのかわからないくらい、あのときのシチュエーションが再現されていた。
僕じゃなければダメだと言ったパトリシアの華奢な腕が僕の首を絡めとり、間近に見えた彼女の新緑よりも美しく力強く輝く瞳が細められ…
パトリシアの美しさに見惚れていた僕の唇に柔らかな彼女のがふわりと触れて…
脳を痺れさせる甘やかな香りが僕を包み込んで漂い、そっと離れていく彼女の気配に僕は抱き締めて離したくなかったのに、動けなかった。
あとは呆然とする僕の手を引いてパトリシアと一緒に教室へと戻ったような気がするだけ。
なぜ、あんなにも、パトリシアは大胆にできるのだろう。貴族令嬢は期待に胸を膨らませつつ、待つものではないのか?
「はぁ、でも好き…」
「ダグラス様?お仕事、されてます?」
胡乱な目付きで僕をねめつけながらベルモントが首を伸ばして僕の手元を確認してきた。当然のように進んでいない仕事にベルモントと眉を盛大に顰めてみせた。
「ダグラス様?悩みがあるならわたくしが聞きますよ? 」
「悩みなどない、幸せそのものだ」
淡々と言い切る声が上擦って真実味の欠片もない。
サヨウデスカ、と棒読みで呟くベルモントの眼には疑惑しか浮かんでいない。
僕はため息を溢して、眼前の書類をすべて棚上げにした。物理的にも、精神的にも。
どさりと音を立てて書類の山を未決済の籠に放り込むと、僕は真っ直ぐにベルモントを見遣った。
ベルモントに相談してみようか、とほんの一瞬気の迷いが生じた。けれどベルモントのことだ、ヘタレ過ぎますね、とか言われたら僕は立ち直れるだろうか?
そんな僕の心情にはお構いなしにベルモントが書類から眼を離さないまま、躊躇いなく爆弾を投下した。
「ダグラス様、パトリシア様のドレスを作られるとのことでしたので、本日マダムクレアの予約をお取りしております。午後からでございますので、パトリシア様と王都デートの準備を宜しくお願い致しますよ」
「は?」
驚愕に言葉を発せない僕に顔を上げたベルモントが訝しげに眉を顰めた。
「学園舞踏会をエスコートされるからドレスが必要だと以前仰ってましたよね?本日やっとマダムクレアの時間を確保できたのですけど、必要ありませんでしたか?」