38 本気でジャンが邪魔 (ダグラス視点)
デュラント王立魔法学園門前でいつもの通りパトリシアを待っていた。早く会いたい気持ちがあとからあとから湧いてきて、胸が焦げ付くようだった。
彼女を乗せた馬車が遠くに見えたとき、僕は頬が緩んだのを自覚した。
こんなこと、母上が家を出ていってからはじめてだ。
僕の死んだ表情筋がパトリシアの存在によって甦ったんだ。
もう少し意識して、僕は笑顔を作ってみる。
パトリシアのことを思い浮かべるだけで、簡単にふわりと顔が緩む。
突然、周囲の女生徒から悲鳴が上がった。
驚いて視線を這わせば、口元を押さえた令嬢方がはしたなくも地面に蹲って僕を見ていた。
心なしか、その頬が紅い気がする。
あまりにも久々の迷惑な熱い視線に僕の眉根が自然に寄った。不愉快すぎて鼻にまで皺を寄せて僕は低く唸る。
すぐに蜘蛛の子を散らすように周囲から誰もいなくなった。
パトリシアの馬車が停まり、御者台からひらりと身軽に降りたジャンが僕に近付いて昨夜の彼女の様子を報告する。
「変わりなし」
何事もなかったようで、短い報告で僕らの会話は終了した。ジャンが馬車まで戻り、ドアを開けていつものようにパトリシアをエスコートする。
「ありがとう、ジャン」
柔らかな声が耳に心地いい。
あれが僕だけに向けばいいのに、と焦がれて思う。ジャンの手に触れた瞬間、痛みでも走ったようにパトリシアがビクリと身体を震わせて、顔を紅潮させた。
その様子に僕は無意識に眼を見開いた。
ジャンに寄りかかるようにして馬車から降りた彼女はその高貴な身を彼の胸に添わせてはにかむと、ジャンが愛おしげに彼女の頬に指を走らせた。
恥ずかしそうにパトリシアは俯いて、またね、と囁いてから僕のところに駆け足でやってきた。
今、見た光景はなんだったのか…
「おはようございます、ダグ様」
こてんと首を傾けて挨拶をするパトリシアはいつもの彼女だ。ジャンに向けていた蕩けるような瞳もなければ、頬を赤らめた儚げな雰囲気もない。
元気で優しいパトリシア。
「あぁ、おはよう」
なにがあったんだ?
昨日までの彼女からは感じられなかった、少女から女性へと蕾が膨らんで、今まさに開花しようとするような弾ける清涼な色気が迸っている。
でもその矛先は僕ではない。
彼女から視線をあげて門を見れば、やはり愛おしげにパトリシアを見送る甘いジャンの眼差しがあった。
本当に二人になにがあったんだ?
僕のなかに耐えようもない焦燥感が生まれた。
「パトリシア、次の休みに行く探索についてだが…」
僕が楽しみにしているパトリシアと過ごす約束をした休日。できればそこで一気に距離を詰めてしまいたい。そうでなければ彼女は永遠に僕から離れていきそうで、恐怖で吐き気が込み上げる。
きょとんとしたパトリシアが何度か瞬きをしてから、突然納得したように頷いた。
「昨日、ジャンが探索して噂のネタ元を見つけてくれたんです!だからダグ様のお手を煩わす必要もなくなったので、残念ですけど、王都探索はなく…」
「パトリシア!それなら僕とただ出掛けるだけでもいいだろうか?!」
食い気味か?
ちょっと焦りすぎたか?
いや、でもこのままだとジャンの思う壷じゃないか!
「ダグ様と、お出掛け、ですか?」
こてんとパトリシアの首が倒れる。
その可愛さに僕は身悶える。必死で表面は取り繕うから、先程練習した笑顔はない。
「あぁ、僕と出掛けるのはどうだろう…」
顎に指を当てて、う~ん、と可愛らしく唸りながら考えるパトリシアもまた目の保養、いや毒だろうか?
抱き締めたくなる欲望を最大出力の自制心でなんとか抑え込んだ。
「なにかご用がありますか?」
用がなければ誘えないのか?
それならなにか、用を、作らなければ!
ぐるぐる無駄に廻る思考回路をいじくり倒した僕の口から自分でも信じられない言葉が飛び出した。
しかも彼女の手を取ったうえで、跪いて!
「来月行われる学園舞踏会のパートナーとして僕にエスコートさせてほしいんだ、パトリシア」
「え?」
「今年、パトリシアはデビュタントだろう?僕には婚約者もないからエスコートする相手もない。パトリシアと是非出席したいと思ってるんだ」
「デビュタント?」
まさか自分のデビュタントを忘れていたとは言わないよな?
「そうですね、やだ!お母様もお父様も仰らないから忘れてました!」
パトリシアはそれがとても面白かったように明るく声を上げて笑った。
「なら、デビュタントの準備も?」
「アランお兄様が覚えてない限りはしてないと思います」
屈託なくパトリシアは言った。
デビュタントに命を掛けてもおかしくない貴族令嬢たちばかりの世界に娘のデビュタントを忘れた挙げ句、それを笑い飛ばす貴族令嬢などどこにいよう?
僕の前にいる。
可憐で、どこか儚げな愛しいパトリシア。
「ではこうしよう。僕のパートナーになって欲しいからパトリシアのデビュタントの準備はモーティマー侯爵家にさせてほしい。そのために、今度の休みは一緒に出掛けよう」
「それはもう、パートナーが私で決定事項な感じですか?」
不安そうにパトリシアの若草色よりも艶やかな瞳が揺れる。
「もちろん断ってくれても構わない、ただ、僕が相手は嫌か?」
嬉しいことにパトリシアは首を勢いよくぶんぶんと振ってくれた。そして耳まで紅くして俯く。
「嫌、なんて、全然、ないです」
「では決まりだ。僕のパートナーはパトリシア以外ない。さぁ、授業に遅れてしまう、行こうか」
僕は彼女の手をぎゅっと強く握ると、立ち上がって学舎に向かってゆっくりと歩き出した。