26 バーナー卿のお願い
アルセールは王城の医務官の居室に向かっていた。その足取りからは緊急性を帯びた焦りがみえる。
今朝ほどバーナー伯爵から娘のパトリシアに関する書状を受け取り、生徒会で話し合ったばかりだというのに、夕方に差し掛かった頃、またバーナー伯爵から是非にも話したいことがある、と謁見申込みがあった。
しかも怪我をしたらしく、医務室で、と取次のものに言われて、アルセールの心中はとても穏やかとはいえない状況だ。
「なにがあった?!」
医務室に飛び込むなり、アルセールは愕然と口を開けた。普段は綺麗に整えられたバーナー伯爵の髪が焼けてチリチリと縮れていた。
どうやら服は着替え、ところどころに負ったらしい火傷のあとも回復魔法で治療したようだったが、まだうっすらと皮膚が赤くなっている。
「これは殿下、わざわざお呼び立てして大変申し訳ありません」
「そんなことは構わぬ、なにがあったのだ?」
見た目ほどの酷さではないようで、存外に元気そうなバーナー伯爵に安堵して、アルセールは彼の向かい側にあった椅子にどさりと腰を下ろした。
「正直、わたくしにもさっぱり理解できてないことばかりなのですが…」
バーナー伯爵にしては珍しい曖昧な口調にアルセールはこてんと首を傾げる。
「娘のパトリシアが倒れたと聞いて一旦下がらせていただいたのですが…」
「バーナー嬢が?大丈夫なのか?」
「はい、お気遣い感謝します。パトリシアは元気です。妖精と遊ぶんだ、と張り切っておりましたのでてっきり魔力切れかと思っていたのですが、どうやら魔力過剰供給だったようでして…」
「は?バーナー卿、今、なんと言った?」
瞠目するアルセールにバーナー伯爵の口元が僅かににやりと歪んだ。面白がっているのがアルセールにもわかったが、だからといって取り繕うほどの余裕もない。
「魔力過剰供給でございます」
慇懃な態度のバーナー伯爵をねめつけると、アルセールはそれはなんだ、と問い質した。
「わたくしもはじめて耳にしました。パトリシアが言うには妖精から力を貰ったのだそうですが、その量が少々多すぎたようで、それが原因で倒れたそうです」
飄々と話すバーナー伯爵の肩をアルセールは両手でがしりと掴んだ。
「すまない、私の勉強不足だろうか?まったく言っている意味がわからないのだが?」
「心中お察し致します」
眉根を下げて、さも痛み入るような態度だが、バーナー伯爵の眼だけは爛々と輝き、この場を可笑しがっていることが如実に現れていた。
「質問はなんなりと…」
「ではまず、バーナー嬢は妖精が見える、これは間違いないな?」
「はい」
「では遊ぶ、とは?」
「パトリシアは見えるだけでなく、話すことも触れることもできるようです」
「なんと!」
「そのせいなのか、彼女はオッドアイではなく両目が魔眼です」
「なんだと?!そのようなことがあるのか?」
「わたくしもはじめて知りました」
「それで妖精と遊べる、ということか?それで力を貰った、というのは?」
魔力量は個人差がある。しかもやったりとったりするものでもない。血縁関係があったりすると僅かな量ならやり取りしても問題ないが、そうでなければ拒否反応を示す。
大抵は寝込む程度のものだが、酷いときは死に至る。
だから簡単には魔力の授受はしない。
「妖精が言うにはパトリシアの魔力の器は大きいのだそうです。けれどパトリシアはそれを埋めるだけの魔力がない。だから空いている分を妖精の力で満たせば力一杯遊んでも魔力切れを起こさないだろう、と考えたようでして…」
「はぁ…?」
アルセールから力が抜けて、項垂れた。暫くその状態だったが、パッと顔を上げるとバーナー伯爵に鋭い視線を送った。
「それでなぜバーナー卿はそのような姿なのだ?」
皮膚の火傷はなんとか治したが、チリチリになった髪は伸びるまで諦めるしかない、とロベルトは嘆息した。せめて短く調えよう、と心に誓う。
「これですね…」
焼けた髪を一筋、指で摘まんで引っ張る。抵抗なくプツリと切れて、掌には残骸が残った。それをロベルトは悲しげに見つめる。
「パトリシアは妖精の力が使えるようになったんです」
「え?は?なんて?」
やっと少し落ち着いて普段の平常心に近いところまで持ち込んだ心臓がまた早鐘を打ちはじめて、アルセールの頬が上気した。
「指先から火を出し、竜巻を出現させ、水鉄砲になりました」
次から次へと紡がれるバーナー伯爵の言葉の一つ一つにアルセールの理解が追い付かない。
「おかげで私は水浸しになりまして、乾かそうと拭いていたところ、心地よい風が吹いて参りまして…」
それは本当に適度な風で、確かに身体は冷えるだろうが、ロベルトとしてはとても気持ちのいいものだった。ところが………
「その風にのって炎が吹き上がりまして、ご覧の有り様に……」
サラが温風にしようと親切心を起こした顛末が現在のバーナー伯爵である。
「それは、つまり?」
「おそらくパトリシアの妖精が善かれと思ってしてくれたんだと思うのですが、乾く前に燃えた、という……」
「いや、それは、実に、難儀な、ことであったな」
「はい、誠に…」
男2人、向かい合ったまま、無言が続く。
「その、つまりだな、バーナー嬢は妖精の力が使える魔眼を持つ、でいいのか?」
「現状、そのように捉えられます。そこで殿下にお願いがあるのです」
がばりと焼け焦げた頭を下げたバーナー伯爵の肩を持ち上げるように力を込めながら、アルセールはなんでも言うがよい、と鷹揚に受け入れた。
「このようなことが慣れるまで頻繁に起こるのは不安ですので、パトリシアに従者を付けようかと考えています。でも学園には…」
「立ち入りは難しい」
アルセールがバーナー伯爵の言葉を浮けてはっきりと断言した。
「なので、できれば殿下から…」
「わかった、私の方でバーナー嬢に警護のものを付けよう」
「ありがとうございます!」
安堵してロベルトはアルセールに縋り付くように礼を述べた。
気配に敏いものを付けなければ、とアルセールは考えて一人の騎士を思い浮かべた。おそらく文句は多いだろうが、適任であることは間違いない。
腕は立つし、真面目だし、なにより責任感が強い。きっとパトリシアをしっかりと護るだろう。
「安心しろ、バーナー嬢はしっかりと護る」
ダリアを助けて貰った恩もあるしな。
娘を案じる父親の背中を優しく叩いて、アルセールは頭に浮かぶ男をこのあとすぐにでも呼び出すことに決めた。