25 またパトリシアは倒れる
「なにしてるの?」
私は眼前でたった今お友達になったばかりの妖精たちを注視した。彼らはみんなにこにこと私に向けて掌を翳している。
『んー』
『僕たちと遊ぶ前に』
『力をあげようと思って!』
確かに集中してみれば、彼らの掌には熱が集まるように輝きを増した塊がある。これを私が貰えばいいのか?と小首を傾げてただ眺めていた。
『よし!』
『じゃあ!』
『受け取って!』
サラからは真っ赤に輝く光の玉が、フィーナからは渦巻く緑の竜巻が、そしてディーからは真夏の海の煌めきを宿した水球が私目掛けて飛んでくる。
「キャッ!」
思わず叫んだ私の胸にそれぞれが吸い込まれるように沈んでいき、直後、感じたことのない力の奔流が私のなかで暴れまわった。
眩暈が起きて、たぶん実際に眼球がぐるぐると回っているのだろう、込み上げる吐き気に耐えられず、私は地べたに膝をつく。
身体が何倍にも膨れ上がった錯覚を覚え、霞む視界に慌てた様子の妖精たちが見えた刹那、私は上も下も右も左もわからない本当の漆黒の闇に突き落とされていた。
あぁ、また遊べないのかなぁ…
暢気にそんなことを考えながら、妖精たちに心配しないで、と呟いたのはまったくの無意識だった。
「………シア!」
うっすらと光が射しているのか、薄闇のなか、私を呼ぶ声を頼りに覚束ない足取りで歩く。
「……トリシア!!」
明るい方へ、明るい方へと足が向く。
身体がとても重たいけれど、それでも私は行かなくてはならない焦燥感に突き動かされて脚を動かす。
「パトリシア!!!」
「お、父様……?」
「良かった!おまえが壊れてしまったかと……!」
がばりとベッドに横たわる私に覆い被さって抱き締めると、お父様は絞り出すように言葉を紡いだ。泣くのを必死に我慢しているのか、それとも恐怖と安堵からなのか、お父様の声がいつになく震えていた。
「庭で、倒れてて、ギルダが気付いて知らせてくれて、お母様が王城に、手紙、を……」
どうやら妖精たちから力を受け取ったあと、私は気を失ったらしい。あのときの気持ち悪さを思い出して、無意識に眉根が寄る。
倒れているところを庭師のギルダが見付けてくれてお母様に報せた、という感じだろうか。
「とにかくパトリシア!また魔力切れになるといけないから、魔眼をやめなさい!少し休んだくらいではすぐには魔力は溜まらない」
お父様に言われて、私ははじめて自分がまだ魔眼のままだったことに気付いて、周囲に視線を這わせた。すると部屋の片隅に妖精たちが身を寄せあって心配そうな表情を浮かべて私を窺っているのが見えた。
「お父様、これは魔力切れではないんです」
「は?」
「たぶん魔力過剰供給です」
「は?過剰?供給?え?」
聞いたことのない単語に戸惑うお父様にどう説明したらいいのか、私は迷った。おそらくまだ私が魔眼のままなのは過剰な魔力を放出するための措置だろう、と考えて、お父様にすべてを話すことに決めた。
「昨日の約束通りに妖精さんたちと遊ぼうとしたんです。でもお父様が魔力切れには気を付けなさい、と仰ったので、妖精さんにほどぼとに遊びたい、とお願いしました」
お父様はうんうん、と何度も頷く。
「そしたら妖精さんたちが私の魔力は少ないけど器は大きいから満たしてあげる、と力を分けてくれたんです」
「は?え?妖精の力?分けて貰ったぁ?!」
お父様の瞠目した顔が可笑しくて、私は不謹慎にも笑ってしまう。
「どういうことだ?え?妖精が力をくれた、のか?」
「はい、でもそれがちょっと多かったみたいで、眼が回って気持ち悪くなって、それで倒れちゃったんだと思います」
『ごめんねぇ、パトリシア』
『こいつの力加減が悪かったんだよ!』
『違うわよ!あんたでしょ!!』
『よしなさい、急に器がいっぱいになったからよ!』
途端に喧嘩を始めた妖精たちに私は微笑んだ。
「大丈夫よ、ディー。今は眼も回ってないし、気持ち悪くもないの。それよりなんだかとっても力が湧いてくる感じがするのよ、フィーナ、サラ」
『ホント?』
『じゃあ、僕たちの』
『力が馴染んだかもね』
『相性が良かったのかしら?』
『そうだよ、そうだよ!』
『ねぇ、使ってみて!』
『私たちの力!』
『使ってみて!』
「パトリシア?どうした?」
突然虚空に向かって話し出した私を訝しげに窺ったお父様に私は妖精たちが話していることを教えた。するとキラキラと瞳を輝かせて、お父様は好奇心旺盛になにができるのか、と問うてきた。
「使う、て、どうしたらいいの?」
『魔法はイメージ』
『僕たちの力もイメージだよ』
『まずは指先に炎を想像して!私が手伝う!』
サラがパタパタと私の傍に飛んできたので、私は人差し指だけを立ててみた。その指先にサラが留まって、ほらほら、と手招きする。
「火を起こす」
ぽそりと呟いて、私は指先をマッチに見立ててイメージした。するとサラが嬉しそうに身を震わせた。その直後、ポッという音ともに私の指先に小さな炎が現れた。
「おぉ!」
お父様が大袈裟に眼を丸くして驚く。
『上手だわ!』
『じゃ、今度は僕だよ。パトリシア、指先に旋風をイメージして!』
サラが私の指から飛び立つと、フィーナが今度は同じところに留まる。
旋風…
考えても風は見えないからイメージが掴みにくい。木々を揺らすのも風、水面を波立たせるのも風、髪を巻き上げるのも、雲が流れていくのも風。
でも風には形がない。
だから私は無意識に竜巻をイメージしてしまった。
突如、私の指から竜巻が発生すると周囲のものを巻き込んで暴れ出した。
「おぉ?!」
『わぁ!』
お父様が叫び、竜巻に巻き込まれて飛んでいくフィーナがはしゃぐ。
「ごめんなさい!」
慌てて私は竜巻を消して、飛んでいったフィーナに謝った。
『気にしないで、パトリシア!』
パタパタと羽を動かして楽しそうにフィーナは笑う。そんなフィーナには構うことなく、ディーが私の指先に留まった。
『パトリシア、私は水を司るの、水鉄砲をイメージして』
お兄様がよく木をくり貫いて作ってくれた水鉄砲を思い浮かべる。注射器のような形のそれはシリンジを押すと楽しくなるほど遠くまで水が飛んだ。
『とっても上手だわ』
ディーが誉めた刹那、私の指からあり得ない量の水が飛び出した。ベッドサイドで私の様子を見ていたお父様に水指鉄砲が向いていて、頭からぐっしょりと水を被った。
「おぉ…」
あら、水も滴る良い男の出来上がり!
「ご、ごめんなさい、お父様!」
私はマーガレットを呼ぶとタオルを持ってくるようにお願いする。部屋の惨状とお父様のびしょ濡れ姿に息をのんだマーガレットが急いでタオルをお父様に渡した。
「いや、なるほど、うん、わかった、よくわかったよ」
髪をわしゃわしゃ拭きながらお父様は呆然とした様子で呟いてから、私の頬を一度するりと撫でて部屋から出ていった。
「風邪、ひかないかしら?」
『大丈夫だよ、僕の風でピューと乾かしておくから!』
フィーナがお父様を追うように出ていく。するとサラが風だけだと寒いから、とフィーナのあとを追いかけていった。
あの2人に任せて大丈夫かしら?と首を捻ったとき、遠くからお父様の悲鳴が聞こえてきたけど、私は空耳だと思うことにした。
「パトリシアお嬢様、紅茶でもいかがです?」
マーガレットに私は頷いて、それから上目遣いで彼女を窺った。
「なんですか、その眼は。珈琲はダメですよ」
警戒心も露にマーガレットが牽制するので、私は苦笑する。
「違うわ、たまには一緒にどうかな、て。ねぇ、いいでしょ、一緒にお茶しましょ!」
潤んだ瞳のマーガレットに妖精たち用の小さなサブレの用意も頼むと、私は僅かな時間、ベッドに沈むことにした。