17 お父様に聞きましょ
日課のトレーニングを終わらすと私はアランお兄様のトレーニングルームから出て、マーガレットを呼んだ。
弘毅は体力面でも精神面でも鍛えるためにジム通いを習慣にしていた。デスクワークが多かったため、体型維持を考えて始めたトレーニングが性に合い、週に3回通っているうちに、身体だけではなく精神的にもいい影響があることに気付いてからはかなり本気で自分の身体と向き合ってきた。
パトリシアとして生まれ変わったときもアランお兄様のトレーニングルームを眼にして、すぐに身体を鍛えはじめた。
これからの『イベント邪魔しちゃうぞ作戦』を実施するにしてもひ弱なお嬢様だと無理があるかも、と思ったのもあるが、単純に鍛えたかった。
気持ちも身体もしっかりすれば弘毅とパトリシアの間で揺れる不安定な自分がバランスのとれた場所でうまく融合するのではないか、と期待したのもある。
僅か三月ではあったが弘毅はパトリシアを受け入れ始めた。弘毅の記憶に目覚める前のパトリシアとは違う女の子になってしまったかもしれないが、それでも今は【私】として考えられるようになってきた。
だから私は日課のトレーニングを欠かさない。
「湯浴みの準備はできております。パトリシア様、汗をお流し致します」
「さすが!マーガレット!!ありがとう」
湯浴みを済ませ、サッパリとした私は部屋着に着替えた。これもマダムクレアのデザインされた既製品だ。上下わかれたデザインだが、着てしまえばワンピースにしか見えない。スカートをふんわりと膨らませたため、上のブラウスは身体のラインぴったりに添うものだった。つるんペタンの私が着るとスレンダーな体型が露になってしまうのだが、ところどころにあしらわれたフリルが可愛さを演出してくれ、自分でもよく似合っていると思うお気に入りのひとつだ。
学園から帰宅後、すぐにトレーニングをしていたのですっかりお腹が空いてしまった。けれど夕食がもう少しだと言われておやつを反故にされたので、私はマーガレットの眼を盗んでキッチン横の侍女控部屋を覗きに行った。
「パトリシアお嬢様!」
私を見つけた侍女に人差し指を唇に当てて静かにするように頼んでから、そっと部屋に入った。
「お腹空いてしまったの」
力なく言えば、侍女は屈託なく笑って昼食の残りだという菓子パンを渡してくれた。
「今、お茶をお持ちしますからこちらへお座りになってください」
勧められた椅子に座って、私はパンを一口囓る。甘いクリームが口腔内にバニラの香りとともに広がって思わずうっとりと蕩けた。
「まぁまぁ、お嬢様ったら!」
いつもとは違うマグカップにやっぱりいつもとは違う種類の紅茶が並々と注がれる。私専用のものを控部屋に持ってくるわけにはいかなかったのだろう。
これは彼女たちがいつも使うものなのだ。
普段私が飲む紅茶よりは香りが劣るが、なぜだか美味しくて何杯でも飲めそうなほどに軽かった。
肉体労働だから水分補給は必須よね、と私は納得する。どっしりと重い紅茶よりもこれくらいライトなものをぐいぐい飲んだ方がきっといいんだろう、と。
でもときどきはティタイムを一緒に内緒でできたらいいな、とも私は考えていた。
「お嬢様、マーガレットが探してますよ、それに旦那様がお帰りになりました」
そっと耳打ちしてくれた侍女に礼を伝えると、私は勢いよく玄関に向かった。
「お父様!おかえりなさい!」
「ただいま、パティ。クラス分けはどうだった?」
飛び付く私を安定感たっぷりに抱き留めるとお父様は頭を何度も撫でる。纏ってきた外の空気の匂いをフンカフンカと嗅ぎながら私は相談があるんだと切り出した。
「なら、食事しながらにしよう。お腹空いたんだろう?それとももう、満たされたかな?」
ふわりと笑ってお父様は私の口端を親指で拭った。そしてパクリと舐め取る。
「クリームパンか!」
「お父様!内緒でお願いします!」
「では急いで着替えてこよう。我が家のお姫様が子ブタさんにならないためにも」
ハハハと笑い声をあげてお父様は私の頭にキスをひとつ落としてから部屋へと行った。
ちゃんと運動もしてるし、クリームパンは1個しか食べてないし、もうご飯まではなにも食べないわ!と思いながらも、恥ずかしさに私の顔は紅潮する。
玄関脇にある鏡を覗き込んで、もうクリームが付いてないか、しっかりと確認してから私はスキップで食堂に向かった。
目の前には夢のようなコラボスイーツ。
凍らせたプリンの表面がカラメリゼされていて、添えられたのは私の大好きなベリーとバニラアイス。
これで珈琲だったら最高なのに…
思わず用意された紅茶をじとりと睨んでしまう。
「それで相談とは?」
お父様に問われて、私はスイーツから眼を離して姿勢を糺した。お母様も持っていたフォークを音もたてずに置くと私に柔らかな眼差しを送った。
「はい、レディドロシー先生に魔眼だと判定されて光と闇の教室になりました」
途端にふたりの眉が下がり、がっかりと肩を落としたのがわかった。
魔眼が残念だったわけではない。わたしが土属性がいいと願っていたことを知っているから可哀想だと思ってくれたのだ。
「そうか、では私と同じなんだな、すまない、パティ」
「いいえ、私はお父様とお揃いで嬉しいです」
これは嘘。
きっとお父様も気付いてる。だって左目だけがやけに明るく光っているから。
「それで…魔眼の力は…わかったのか?」
「まだです」
実際、どう魔眼を発現させればいいのかすらわからない。だから相談したかったのだ。
「そうか、ではあとで一緒に試してみようか?」
「はい、ありがとうございます!」
私は溶けかけたアイスを急いで口に運んだ。