アイシテルと違い
広い原っぱと、大きな森。
その境目に小さな川が流れています。
そこに一軒の小さな家がありました。
住んでいるのは、これまた小さな男の子一人きり。
彼は今まで誰にも会った事がありません。
だから名前もないのです。
仮にアイシテルとしましょうか。
今日の原っぱは朝露が少しだけ多い気がしました。
アイシテルはそう思いました。
アイシテルは、昨日と同じように椅子に座って本を読んでいます。
本の題名は『赤い夜の夢』。
寓話じみた歴史の話です。
アイシテルには珍しく、何度も何度も読み返しています。
そして、少しずつ考えています。
今日は、何故人は争うのかと言う、難しい内容を考えています。
と言っても、アイシテルは簡単にしか考えません。
人は違うから争うのかもしれないな。
何と無く思い付いた事が、それぐらいです。
アイシテルは、物事を難しく考えません。
難しく考えて、それを見て誰かに聡明だと言われようなどと、考えてないからです。
そんな相手がいないからです。
アイシテルは、色んな人がいる事を知っています。
どうやら色んな人がいるらしい事は分かりました。
本に出てくる人と、自分が違うから。
ですが、自分が人と違うのだと言う事は思いせん。
比べる相手がいないからです。
アイシテルは、"違い"について考えます。
どんな違いがあるんだろう…。
『赤い夜の夢』に書かれている違いをまとめてみます。
身分。
立場。
人種。
考え。
性別。
どれも、アイシテルには良く解りません。
"違い"って、一番分からない事かもしれない。
今まで、自分に当てはめる事によって、アイシテルは様々な事を理解しようとしてきました。
ですが、"違い"だけは、それが出来ません。
アイシテルは一人きりなのですから。
違う事って悪い事なのかな?
違いによって、争いは起きる。
そうらしいと知ってしまうと、悪い事のような気がしてきます。
違う事は何で悪い?
アイシテルの周りには、アイシテルと違う人はいませんが、違う物は沢山あります。
草や木。
水や風。
太陽や月。
それらは、アイシテルが大好きな物ばかりです。
アイシテルの変わらない世界に、僅かながら変化を与えてくれる物です。
そう考えていると、アイシテルはある事を思い出しました。
アイシテルが嫌いな物、二つの"突き当たり"です。
蕀の棘を持っています。
他の草や木と明らかに違います。
そこに近付くと、アイシテルは傷ついてしまいます。
そうか、違う事は傷ついてしまうかもしれないから。
だから怖いんだ。
アイシテルは少し分かりました。
だけどやはり分かりません。
もう一つの"突き当たり"は、アイシテルを傷つけないのです。
ただ、真っ暗な世界が続いているばかり。
暗がりはアイシテルを傷つけない。
けれど、怖いし嫌いなのです。
真っ暗なのは、何も分からなくなってしまう。
だから怖い。
"違い"が分からなくなってしまう、無くなってしまうのも怖いんだ。
アイシテルはやっと分かりました。
分かった気になりました。
一先ず自分なりに納得したアイシテルは、"違い"の良い所について考えます。
自分と"違う"人がいる。
それは、やはり素敵な事のように思えるのです。
自分と違う事を考え、違う事をする誰かがいる。
もし自分と同じ人がいたとします。
もしアイシテルが、自分と同じ人に出会ったとしても、アイシテルはその人に「愛してる」と言えないでしょう。
アイシテルは自分の事を好きではありませんから。
もちろん、嫌いでもありません。
アイシテル自身が基準であり、その全てなのです。
アイシテルはまだ、自分の目からしか世界を見れません。
アイシテルの中にある物は、アイシテルの目には映りません。
違う事は怖いかもしれない。
でも、違わない事も怖いんだ。
だったら、違う方が良い。
自分とは違う誰かに会ってみたい。
自分とは違う誰かに「愛してる」と言いたい。
楽しい事、素敵な事を考えている方が、気持ち良いとアイシテルは改めて思いました。
そして、気持ち良いと眠くなってきます。
アイシテルはベッドに入り、目を閉じました。
窓の外では風が吹き、窓を軽く揺らしました。
その小さな変化さえも、アイシテルにとってはかけがえのない物でした。
違い、そして変化は、喜びと悲しみを生みます。
変わらない世界の、アイシテルの小さな変化は、"私"に何をもたらすのでしょう。
そう考える私もまた、今までとは違う"私"なのでしょう。
変わらなかったアイシテルの世界は、少しだけ動きだし初めました。