アイシテルと神様
広い原っぱと、大きな森。
その境目に小さな川が流れています。
そこに一軒の小さな家がありました。
住んでいるのは、これまた小さな男の子一人きり。
彼は今まで誰にも会った事がありません。
だから名前もないのです。
仮にアイシテルとしましょうか。
今日もいつもと変わらず、太陽はポカポカと照り、風は静かに野原の草花を揺らします。
アイシテルの家には、アイシテルには少し高い椅子があります。
ベッドの脇に添えられたそれに、アイシテルはちょこんと腰かけ、あまり動きません。
アイシテルは珍しく、同じ本を読み返していました。
本の題名は『赤い夜の夢』。
寓話めいた、歴史の話です。
初めて読んだ時は、あまりに分からない事が多すぎて、アイシテルは何も考えられませんでした。
そこで、分からない事を一つずつ、考えていこうと思ったのです。
アイシテルはまず、宗教について考える事にしました。
アイシテルは、そもそも宗教と云う物が良く分かりません。
そこで、まず宗教について書いている本を調べてみる事にしました。
太陽が昇っている間、ずっと読み続けました。
少しだけ分かって来たアイシテルは、こんなにも沢山の宗教がある事に驚きます。
そして、元は同じ物なのに、少し違っていれば、別の宗教となる事を不思議に思いました。
宗教の内容についても、少しだけ分かって来ました。
世界には神様と言う不思議な存在がいて、神様が見ているから悪い事をしちゃいけないと言う事です。
アイシテルは最初こう思いました。
神様がいるなら、神様に聞けば良いのに。
だけれど、どうやら神様とは、会う事も話す事も出来ないようなのです。
調べれば調べる程、宗教とは不思議な物に思えました。
会う事も、話す事も出来ないのに、どうして神様に祈ったり、助けを求めたりするんだろう。
アイシテルは誰かに助けて欲しいと思った事はありません。
誰かに会った事もないのですから。
誰かに、ましてや姿の見えないものにすがる気持ちなど、分かるはずがないのです。
アイシテルは一つの宗教について書いてある本を読んで、気が付いた事がありました。
宗教って、哲学に似てる。
哲学と言う言葉は、難しそうに聞こえるけど、アイシテルはその響きが好きでした。
だからアイシテルは、哲学については調べた事があります。
そうすると、哲学と言うのは、アイシテルが毎日している事に近い事が分かりました。
と言っても、そんなに深く理解している訳ではありません。
自分なりに考えてみる。
その事を哲学と言うんだと、アイシテルは思ったのです。
アイシテルの意味で言えば、アイシテルは毎日哲学をしています。
読んだ本について思った事。
分からなかった事を、アイシテルに出来る方法で、理解しようとしているからです。
宗教って言うのは、哲学なのかもしれない。
その思いが強くなりました。
どう生きるか。
どう考えるか。
何故なのか。
それを考えるための方法の一つなのかもしれない。
アイシテルはそう思いました。
アイシテルは色んな物に「愛してる」と言います。
「愛してる」と言う言葉しか言いません。
アイシテルがそう言い、色んな物を好きだと思おうとするのは、ただ自分の為です。
その方が楽しいから。
その方が気持ち良いから。
それが、自分の為ではなく"神様の為"になった物が、宗教なのではないか。
アイシテルには珍しく、分かった気になってきました。
でも、そうだとするとやはり分からないのです。
どうして宗教の為に争うのか。
宗教の為に悲しい気持ちを生まなければならないのか。
楽しい気持ちや、嬉しい気持ちになる為に、アイシテルの哲学はあるからです。
自分が気持ち良く生きる為の、手段として、アイシテルは哲学をするからです。
アイシテルにはやっぱり分かりません。
アイシテルは知りません。
人は時に、宗教や哲学を、自分の命より優先してしまう事を。
宗教や哲学の為に生き、それを守る事が、自分の存在を守る事と同義だと云う事を。
アイシテルは、珍しく分かったと思った事が、やはり分からなかった事にすねてしまいました。
僕には宗教は要らないや。
楽しく生きる為の、哲学の方が素敵だな。
悲しい気持ちになるなら、神様は要らないや。
自分なりに納得したアイシテルは、珍しく日が落ちきる少し前に、眠ってしまいました。
そんなアイシテルを、悲しい気持ちで見つめます。
アイシテルにとって、神様と同じ様な存在の"私"は、愛しいアイシテルに届かぬ思いを。
その夜、アイシテルの世界に初めて雨が降りました。
ほんの少しだけ。
明くる日、太陽が昇った時には、跡形も無く乾いてしまうくらい、ほんの少し。
アイシテルは、この世界に初めて雨が降った事に気付きません。
悲しい雨が降った事を知りません。