暑い日に来るもの
一度あることは二度も三度もある。
「暑い」
俺は汗ばんだ体を感じながら目を覚ました。
夏の暑さだけではない汗で服はじっとりしている。目と意識は覚めているのに、体だけが動かない。
またか、と思う。正確には金縛りだ。
子供の頃から、体力が落ちると「向こう側」に触れられる体質だった。大人になってからは、対処の仕方も覚え、恨むこともやめた。
「おい、そこにいるのは誰だ。俺の体をどうしたいのだ」
声がでているのか自分ではだしているつもりだが、口がまわらない。
少しすると返事がきた。
「わたくし、田中と申します。いつの間にか死んでしまったようで……心残りがあり、あなたなら望みを叶えてくれると聞きました」
頭の上の方から中年男性の声がした。死んでからこの世をふらふらしていたら、普通はここまで来られない。この部屋には結界も貼ってある。
俺は、表向きは弁護士の白井、裏では死者の依頼を引き受ける――そんな仕事をしている。
「話だけきく、俺を動かせるようにしろ。今すぐだ」
「わかりました」
男はすぐに俺の体を動かしてくれるようにした。とりあえず話はできるやつだと認識する。たいてい言うことをきいてくれるまではダメだというやつは自分を殴ってでも霊を引き剥がすが、痛みはあるしあまり得策ではない。
体を起こし、水を飲み、いつものようにコーヒーを淹れた。
「それで田中、俺にどうしてほしいのだ。言っておくが、話は聞くが体を貸すことはできない。言っている意味は分かるな?」
コーヒーを啜りながら淡々と話した。実際問題、死んでいる者にあまり親身になってはいけない。だが、何かあって俺のもとにきたのだから、話だけは聞くことにしている。よっぽどやばいやつではないことが前提だ。
田中は妻と娘と暮らしていた。死因は覚えていないらしい。
いつの間にか死んでいることに気付き、ふらふらさまよっているうちにわたしの噂をきいたそうだ。
「心残りは娘のことです。娘には幸せになってほしいんです。あの家や母親に縛られずに自由になってほしいのです。彼ならきっと娘を幸せにしてくれると信じています」
家と母親に縛られずに?少し事情があるようだが、あえて無視する。
「俺に言われても困る内容だな。死ぬ前に本人に言わなかったのか?」
田中の願いは、娘に結婚式をあげてほしいということだった。父親の葬式をした矢先、自分の結婚式を挙げるのは良くない、結婚を延期するといいだした。田中の家族が納得するかはわからない。だが、この依頼を引き受けるため、私は事務所に電話をかけた。
事務所には結界がはられており田中を連れてはいけない。とりあえず悪霊にあわないように家で待機してもらうことにした。
事務所の近くの駐車場に車を停め、暑い日差しの中を歩く。梅雨明け宣言とともに、とてつもない暑さになる。コンクリートジャングルという名称が似合うこの都内で霊と会話をしているなんて、本当に頭がいかれてしまったのかと言われてしまう。
「お、今日はめずらしく出勤しているじゃないか。この暑い中、どうしたんだ?俺に会いに来たのか?」
事務所のドアを開けて開口一番、どうしたのだと聞いてくるこの男は俺の上司だ。名前は山中。上司と言っても古くからの友人で堅苦しい言葉は使わない。
「どうしたんだじゃないだろう。俺だってこの暑い中、お前の顔を見にきたわけじゃない。依頼人を調べてもらおうと思ってわざわざここにきたんだ。変なことを言うんじゃない」
むすっとした声で俺は言い返した。俺の家にはパソコンがない。家では家電機器が長持ちしない。
「電話で話したとおりだ。田中悟という男の身辺について調べにきた。田中の依頼は娘に結婚式をあげてほしいようだ」
「結婚式ねぇ。よっぽどバージンロードを歩きたかったんだろうな」
山中はさほど興味なく呟いた。
「調べたらまた連絡する」
「ああ、頼んだ」
田中について調べた結果、自宅は都内からはなれた郊外にある。娘は父親の会社で庶務の仕事をしていたが、父親が死んで退職。家政婦も雇っているようなので、金銭的に余裕のある家庭のようだ。
自宅は夜になってから訪ねてみようと思う。二人共帰宅しているときに話したほうが手っ取り早いと思った。
ギラギラの太陽の中、事務所をでて駐車場へ向かう。今年の暑さは異常だった。
水分を取らないとまずい、そんな感覚だけが頭に残っていた。
「さてと、田中、いるか?」
俺は田中の気配がうっすらと感じ取ることができたので声をかけてみた。
「はい」
頭の上あたりから声が返ってきた。
「これからお前の家に行って、お前の娘に結婚式をあげるよう伝えるつもりだ。問題はないか」
「おねがいします」
「どんな結果になっても成仏するんだぞ」
「はい、あなたは大丈夫かもしれませんが、念のためお気をつけて」
田中は自分の家には入れない。想いが強すぎると、戻れなくなる。
そして新しく生まれ変わることができず、地縛霊となって成仏できないのだ。依頼主は亡くなっているのに、その願いを叶える仕事なんてどういう反応が返ってくるかはケースバイケースだ。
田中の家の目の前まできた。玄関の門もあり、古めかしい武家の屋敷のようだった。俺は家のドアチャイムを押した。
「はい」
インターホンごしに女の人の声がきこえる。年配の女性のようだった。
「夜分遅くに申し訳ありません。わたくし、田中様より依頼を受けました法律事務所の白井と申します。さとる様の件でご家族にお話があるのですが、お時間よろしいでしょうか?」
「え、なんですって。旦那様の弁護士の方ですか?奥様からそんな話は聞いておりませんが。あの、少々お待ちください」
動揺した声とバタバタと廊下を走っていく足音が、インターホンごしに聞こえた。しばらく待っていると玄関のカギがあき、声の女性があらわれた。エプロンをつけたこじんまりとした女性だ。
「あの、どうぞこちらへ。今、奥様を呼んでまいります」
奥様を呼ぶと言っているということは、この女性は家政婦のようだ。この家に入った時に感じた何か錆びた匂いがかすかにしたが、この部屋が一番におう。10分くらい待っていると、田中の妻がはいってきた。
「田中の妻です。主人の弁護士の方がどういったご用件でしょうか」
きつい香水の匂いがした。彼女の周囲の空気が、目に見えないほど濃く歪む。
「突然のご訪問ですみません。改めまして、白井ともうします。ご主人の悟様から遺言の依頼を受け、それをお伝えしにまいりました」
「遺言?主人はそんなこと一言もいっていませんでしたが。それで、主人は何といっていたんですか?遺産分与とかですか?それとも借金とかですか?まさか隠し子とか?」
妻は矢継ぎ早に聞いてきた。
俺は一呼吸おき、メガネを掛け直してからゆっくりと告げた。向こうのペースにのまれてはいけない。
「ご主人の遺言ですが、娘さんも同席していただきたいのですが、今はご自宅にいらっしゃいますか?」
田中の妻の眉が少しあがった。そしてきつい口調で声を出す。
「ええ、今呼んできます。ちょっと、さくらを呼んできてちょうだい」
「はい」
家政婦は田中の妻の言葉に従って娘をつれてきた。
「さくらさんをお呼びしました」
部屋に入ってきた田中の娘のさくらは黒髪でメガネをかけ下を向いている。とても気弱そうにみえた。この母親と娘の関係が一瞬でわかるくらい冷たい空気がただよう。母親のようなどろどろとした攻撃的な空気とは違い、娘の周りには空気すら感じない。疲れきって娘の生気が感じられなかった。
しかし、娘の肩にちいさなあやかしがぴょんぴょんはねているのがわかった。このあやかしは娘を心配しているようだった。娘は気付いているのだろうか?
「母さん、父さんの遺言がどうとかって言っていたけど。父さんから何か聞いていたの?」
娘は小さな声で発する。
「私にもわからないわよ!あの人から何も聞いていなかったし、生きている時も迷惑だったけど、死んでも迷惑な人だったなんて、本当に人として最低ね!あなたもこんな父親に似て大変ね」
娘に対しても優しい言葉をかける雰囲気は皆無だった。
娘はずっと下を向いていた。田中の家にただよう黒い空気にこの家族は気付いているのだろうか。俺は静かに呼吸を続け、このどす黒い空気に飲まれないように注意を払う。咳を一つして、メガネをかけなおし、口を開く。
「悟様の遺言ですが、娘のさくらさんに結婚式をあげてほしいとのことです」
「え」
下を向いていた娘が顔をあげ、一言驚いた声をあげる。
「それが……死んだあの人の遺言?さくらの結婚のこと?本当なんですか?」
妻も驚いた声をあげた。
「はい」
俺は顔色を変えずに返事をする。この遺言書は田中に一時的に体をかし、遺言書を書いて貰ったものだ。サインの筆跡鑑定をした場合、間違いなく田中本人が書いた字となっているはずだ。
一瞬、間があった。それからぽかんとしていた田中の妻が下を向き、口元が笑っているようにみえたのは気のせいだろうか。気持ちが悪い空気がこの部屋中にただよう。
「まさか、さくらの結婚のことがあの人の最後の願いだなんて。本当に最後までよくわからない人。結婚はいずれつりあう相手と結婚させます。でもこの間の男はだめよ。田中家を継ぐにふさわしい人物じゃないと」
妻は歪んだ顔でわらってそういった。娘は何も言葉にはださなかったが、全身が震えているようにみえた。
「さくらさんのご意見も聞きたいのですが」
俺はさくらの顔を見た。さくらは下をむいたままで何も言わなかった。肩にのったあやかしがこちらを見る。
「すみません。娘は人見知りでして。これ以上お話することはありません。おひきとりいただけますか」
「そうですか。わかりました。ご主人のご依頼は伝えましたので私はこれで失礼します」
妻は俺を部屋から追い出すように障子を開けた。妻の周りに黒い何かが一気に濃くなる。
「用件はそれだけですね。それでは二度とうちに来ないでください」
とても冷たい声に私は妻の顔も見ず、一礼すると田中の家を後にした。玄関が閉まる瞬間、さくらが一瞬顔をあげたように見えたが、冷たいドアの前に何もできることもなく、重い足取りで仕方なく家にかえることにした。
死んだ人間の依頼を受けるべきではないと毎度ながら思う。今回は田中の妻の強い香水の匂いと家に充満した悪い気が肺まで届き、とても気分が悪くなった。家に帰り、まずはシャワーを浴びた。ビールを片手に田中に話しかけた。
「田中、依頼は……」
「はい。ありがとうございます」
「お前の願いは伝えた。あとは娘がどうするかだ」
田中がうっすらと消えていく。田中の中で心残りが一つなくなったのだ。妻のことは気になるが、これ以上かかわらないほうがいいと俺は思っている。
「さてと、寝るか」
事件はその夜に起きた。
「もしもし、警察ですか。私、人をさしました」
右肩から血をながしながら手には血の付いた刃物をにぎりしめ、左手には電話の子機をもち、警察の番号を押して話す女の声はとても震えていた。女のそばには血を流して倒れている顔を歪めた田中の妻がいた。
次の朝、日差しが照りつける窓のカーテンを恨めしく思いながら事務所からの電話の着信音がアラームとなった。最初は無視しようと思ったが、あまりに長く鳴り響くのでしかたなくでた。
「ん、朝からなんのようだ」
「今何時だと思っている。おい、起きているか?」
山中からだった。
「ああ、お前か」
「お前に依頼をしてきた田中の家で事件が起きた。母親が刺されたようだ。娘も切られているようで病院にいる。家には警察がきているようだ」
「なんだって」
眠りこけていた頭がいきなり目覚めた。
「今朝、田中の家の家政婦から電話があった。助けてほしいと」
俺の中では田中の件は終わったことにしようとしていたのだ。いまさら助けを求められてもどうしようもない。しかし心と体は別のように布団から起きて支度をしはじめた。
「わかった。病院を教えてくれ」
「お前はそういうと思ったよ」
病院の受付で病室を教えてもらい、部屋の前まで行くと、廊下の椅子にすわる女が見えた。エプロンをつけていないが家政婦だと気付いた。下を向いているので顔は見えず、しかし震えているように見えた。
「白井さん。いきなり事務所に電話してすみません。私、動揺してしまって」
家政婦は立ち上がり、震えている手を抑えていた。
「それはいいんだ、それよりあなたは怪我はありませんでしたか?」
「はい。私は住み込みではないので、大丈夫です。それよりきてくださってありがとうございます。昨日お会いしたばかりで、しかも冷たくあしらったのにこうして頼ってしまって申し訳ありません」
申し訳なさそうに頭を下げる。
「それは大丈夫です。それで容体は?」
「奥様は手遅れでした。しかしさくらさんは一命をとりとめました。ですが意識はまだ戻っておりません」
「警察はなんて?」
「朝、家に行ったら警察の方々がいて、夜中、電話で人をさしたと若い女性の声で通報があり、かけつけたら、奥様とさくらさんが倒れていたと言っていました。さくらさんの手には刃物が握りしめられていたと……」
「でも、あのさくらさんが奥様をさすなんてありえません」
家政婦は少し間を置いて話し始めた。
「でも、さくらさんは仕事先の方とお付き合いされていました。一度、相手の方が家にきたことがあります。しかし奥様が追い出したことがあり、さくらさんは何も文句を言わず……とてもお優しい方なんです」
今日も外は40度を超える暑さだった。病院から事務所に戻り、ひととおりの出来事を山中に報告をした。
「なるほどね。それで、お前の意見は?」
胸の奥に、嫌な引っかかりだけが残った。
「山中、田中の家庭のこと、もう少ししらべてくれないか?さくらが付き合っているらしいという人物についてもちょっと調べてほしい」
「わかった」
「助かる」
言葉少なに事務所をでようとしたら、立ちくらみがした。汗がひたいからつたい、寒気がする。この事務所のエアコンが効きすぎているのだろうか。
「少し休んでいけ」
山中が立ち上がり私の腕をつかみソファに座らせた。
「大丈夫だ」
「お前の大丈夫はあてにならない」
確かに、悪い気にあてられたかもしれない。仕方なく事務所でしばらく休んでいると、田中家について少しだけわかったことがあった。
田中の妻の両親は資産家で、妻は自由奔放に生きてきた。私利私欲で人やお金を使い、恨みも買っていた。それにひきかえ旦那と娘は堅実な性格で波風立てぬよう暮らしてきた。妻はそれが気に入らなかった……どうやら家政婦が言っていたことは正しかったようだ。
そしてさくらが付き合っているという男の人物もわかった。以前さくらが勤めていた会社の職場の先輩で、木村という男。俺はこの男の自宅まで行ってみることにした。
腕時間は昼を過ぎ2時をさしていた。とまらない汗をぬぐう。自宅のマンションから木村がでてきたので、声をかけた。
「すみません」
一瞬ビックリして振り返った木村は一見、ごく普通のどこにでもいるような一般人に見えた。
「何か」
「田中さくらさんの知り合いの白井と申します。弁護士をしております。ちょっとお話きかせていただけませんか?」
俺は名刺をだした。
「弁護士?一体僕に何のようですか」
「今、さくらさんの依頼で、さくらさんの父親と母親のことについて調べています。あなたはさくらさんとは会社の同僚でしたよね」
「そうです。さくらの父親が死んですぐにさくらは退職してしまって、僕達付き合っていたので連絡はとっていましたが、落ち着くまで少し距離をおこうって彼女が。僕は彼女の意思を尊重しているんです」
一昨日のさくらの家の事件を彼は知っているだろうか。
「さくらさんも心を痛めています。ちなみに一昨日の夜はご自宅にいらっしゃいましたか?」
「一昨日ですか?たしか友人とバーで飲んでいました。何かあったんですか?」
「そうですか、さくらさんのご両親について何かさくらさんから聞いていたこととかありましたか?」
「家に帰りたくないと、よく言っていたかな」
「さくらさんのご自宅には行かれたことは?」
一瞬、木村の顔の目が細まった。間を置いて、優しい口調で答えた。
「さくらを家まで送った時に一度だけありますが随分前ですが。もういいですか?僕、これから用事があるので」
「お時間とらせてしまいすみません。ありがとうございました」
「いいえ」
立ち去る木村の足元から黒い何かがでていた。俺は暑さでその影を見逃していた。
数日後、山中から電話がかかってきた。
「何かあったか?」
「田中の家の家政婦から電話がかかってきた。さくらがいなくなったらしい」
「そうか」
俺は冷静に返事をした。
「驚かないんだな、もしかしてあてがあるのか?」
「たぶん、木村のところに行ったかもしれない」
木村との会話で、職場近くのビリヤード場やバーによく行っていたと聞いた。
「ちょっといくつか探してみる」
「わかった。俺も行く。場所を教えてくれ」
「いや、大丈夫だ。何かあれば連絡する」
山中はため息をつく。
「お前の大丈夫はあてにならない。いつかの雪の日みたいに、どこかわからない倉庫の脇で倒れていたら、探しようがないぞ。携帯は必ず持ってろ」
「ああ、わかった」
山中からの電話を切り、さくらの会社の近くにあるビリヤード場へ向かった。
木村とさくらはビリヤード場の裏にある倉庫にいた。鉄骨音が響く倉庫は、梱包会社の倉庫で、今も使われているようだった。足音を立てないように積まれた段ボールに隠れて聞き耳を立てた。
「木村さん、ごめんなさい。私が相談したせいで、あなたに迷惑をかけてしまった」
「何を言っているんだ?君を助けられるのは僕だけだ。僕と一緒に生きていこう」
「私、あなたにこんなことをしてもらうために相談したわけじゃありません。お願いします。自首してください」
さくらは、木村の足元から影が伸び木村の背中全体にのしかかる悪霊に向かって告げる。
「さくら、何を言っているんだ」
木村の眼光は奇妙な動きをしていた。
「あの女は人間じゃない。人間の形をした鬼、だから僕が退治したんだよ。まるで現代の鬼退治する桃太郎のように」
そう話す木村の顔は別人になっていた。さくらは恐怖で言葉がでなかった。
「お前も殺してやる」
木村の体は悪霊に完全に乗っ取られてしまったようだ。さくらの首にてをかける。
「木村さん、本当にごめんなさい」
さくらの目には涙がたまり、謝りながら無抵抗のまま立っていた。
「そこまでだ」
「誰だ!」
木村が叫んだ。
さくらも驚いた声で俺の名を呼んだ。
「あなたは、白井さん?」
「木村、お前はさくらの母親とさくらを傷つけた。取り憑かれていようが、やったことは消えない」
俺は木村の後ろにいる悪霊を指差して淡々と話す。
ナイフをだし、さくらの首にあてる。
「僕は、僕はさくらを守ったんだ。ただ、それだけだ」
木村の顔と声が別人になる。取り憑かれた悪霊たちが、さくらの母親への怨念で木村をうごかしているようだった。
「あの女は何人もの人間を不幸にしてきた。だから終わりにするんだ。あの女の娘もいかしておけぬ」
首にあてられたナイフが食い込み、血が流れる。さくらは涙を流しながら木村の力強く締め付ける手に自分の手をそえた。いつの間にかさくらの肩にあのピンポン玉くらいのあやかしがいた。ふっと木村が正気に戻った。
「さ、くら」
木村はちいさくつぶやき、さくらを拘束している力が弱まった。
俺は札を使い、木村の体についた悪霊を除霊しようと試みようとした。
だがその時、体の自由を奪われた。このタイミングでなぜと頭のなかで叫ぶ。
「白井さん、お借りします」
さくらの父、田中だった。娘を助けようと俺の体を乗っ取ったようだ。意識が保てず、俺の声ではなく、田中の声で叫んでいた。
「さくら!」
「その声、お父さん?」
「なぜお前がここにいる!お前は私が殺したはずだ!」
「お前たちに殺されたことを思い出したんだ。私は家に帰ってきて意識がもうろうとしていた。気付いたら彼が目の前にいて、そして私の心臓はとまった。しかしすでに彼は悪霊に体を乗っ取られていたのだと、今ならわかる。あの家にいる大きな悪霊に。さくらをはなせ」
「こいつを殺してこの不幸の連鎖をとめるんだ!そしたら私たちは救われる」
悪霊たちの怨念がさくらを殺せと首だけではなく、腕からも血がでる。
「やめろ!そんなことをしてもお前たちは救われない!」
俺の持つ除霊の札と田中のさくらを想う力と霊力が強く、悪霊たちを木村からひきはなす。
「うっ」
我に返った木村はナイフをおとし、膝から崩れ落ちる。
「木村さん、しっかりしてください!死なないで!」
さくらは泣きながら声をかけた。さくらの肩に乗っていたピンポン玉くらいのあやかしが体を浄化しはじめたのだ。普通なら助からない。だが、木村は生きていた。
「さくら、僕は……そうだ、僕は君のお父さんとお母さんを。あの出来事は夢かと思っていたのだが、どうやら本当のようだ。さくら、お別れだ。本当にすまなかった」
「木村さん、私はあなたを愛しています。だから、いつまでもまっています」
「ありがとう。さくら、愛している」
「お父さん、ありがとう」
二人は抱きしめあっていた。俺はふらふらと倉庫をでていった。悪霊は札の力で消えていった。燃えていく札とともに――。
暑さのせいか、胸の奥に残ったものが何だったのか、もう考えたくなかった。
「白井さん、すみませんでした。でも、これで成仏できる。ありがとうございました」
田中の声が聞こえたが、返事することもできなかった。
気がつくとどこかの公園の茂みに倒れていた。ここまで自力でなんとかきたみたいだ。路上ではなかったから、人に見つからずにすんだようだ。もう一眠りしようと思った矢先、ガサガサと何かが来る音がした。
まずい、体力も何も残っていない。今回ばかりは運がなかったと思っていたが、足音は山中だった。
「おい、生きているか?毎回探すの大変なんだから携帯の電源くらいいれておけ」
「……すまない」
「すまないと思っているならちゃんと連絡しろ。お前、命が一つしかないの自覚してるか?」
「……わかっている」
「車まで少しあるから担ぐぞ」
山中に担がれ、車にのる。エアコンがきいた車内はとても心地よかった。
いつの間にか寝てしまっていたようだ。寝息をたてている。
「……生きてるな」
ようやく眠りにつけそうだ。




