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邂逅

やっと登場です。

　その声で、妖犬の動きがピタリと止まった。

　妖犬は空中で身をひるがえし、後ろへ飛ぶ。そして、頭を下げ、体の姿勢を低くした。その姿はまるで、王に従う騎士の姿のよう。

　いなりはその光景に目を見張った。

『主、良いのですか？』

「俺は彼らから敵意を感じない。何も訳を聞かずに突っ込むのはよせ。」

『はっ。』

　声のする方を見ると、青年がいた。

　青いハチマキをしていることから、おそらく一組か二組の生徒であろう。色が白く、浮世離れしたような雰囲気を纏っていた。どこか、神聖さすらも感じられる。

　そして、その隣には大きな犬が居た。いなり達に襲いかかってきた妖犬とよく似ているが、その毛並みは黒い。白い妖犬と色違いの勾玉の首飾りをつけていた。

　犬が増えたことは別に問題ではない。そんな程度のことにいなりは驚いているのではない。

「彼、人間ですよね？」

「うん。ただ、見(・)え(・)る(・)人(・)っぽいねー。」

　先ほどまで三人と対峙していた白い犬は妖怪だ。そして、彼の隣の黒い犬もまた妖怪である。

　青年は、その妖怪の犬と会話をしていた。つまり、彼は見える人間だ。

「見たところ、陰陽師とか退魔師じゃなさそうだねー。」

「っつーことは一般人か？」

「見えてる時点で一般、ではないでしょうけど。」

　いなりはいつでも術が発動できるよう構える。黒羽と愁も、同じような状態だった。

　三人の妖力がその場の空気を重くする。

　一触即発。

　まさにそのような場面だ。　

「待ってくれ。お前らに危害を加えるつもりは一切ない。」

　緊張状態を破ったのは、青年だった。三人と妖犬の間に割って入り、妖犬をかばうような動きを見せる。

　焦っているようで、その額には冷や汗がにじんでいる。その様子から、嘘をついているわけではないと見てとれた。

「関わってしまった以上、説明しないわけにはいかないだろうな。すまないが、少し付き合ってはくれないか。」

　落ち着いた口調の問いかけに、三人は目配せをする。

「どうすんだ？」

「うーん。このまま何も見なかったことにするのは気持ち悪いしなあ。いなりはー？」

　いなりも黒羽の意見に同意だった。

　青年の行動からして、彼が嘘をついているようには思えない。もしも本気でいなり達を殺したかったのならば、妖犬の攻撃を止めなかったはずだ。

「私は彼の言葉を信用しますよ。」

「んじゃ、決まりだな。」

◇◆◇

　三人が連れてこられたのは、保健室だった。

　薄暗い教室内には消毒薬の匂いと洗剤の匂いが漂っている。養護教諭はグラウンドに張られた救護用テントの方にいるためここにはいない。だが、万が一大怪我を負った生徒が出た場合、いつでも担ぎ込めるよう鍵を開けられている。

（わざわざ保健室を選んだのは体育祭を途中で抜け出した言い訳をするためか。）

　いなり達は二つあるベッドのうち一つに腰掛け、青年は向かい合うようもう一方のベッドに腰をかけた。二匹は青年を挟むようにベッドではなく教室の床に座る。　

「一つ、確認したいことがある。お前らはなぜ、学校に通っている？」

「「「はい？」」」

　予想外の質問に三人とも首をかしげる。

「なぜって・・・・・学生はそれが普通だろ？」

「同じく。」

「そうそうー。」

　人間社会で生きていくには人間社会のルールに従わなければならない。それは一般の妖怪にも通用する。人間たちとうまくやっていくには、こちらが妥協するしかないのだ。

　すると、北斗はその答えに静かにうなづいた。

「それを聞いて安心した。お前らは大丈夫だ。」

　そう言った北斗の顔を心配そうにのぞき込む二匹の妖犬。何か言いたげな様子だが、北斗が先にしゃべりだした。

「俺は室咲(むろさき)　北斗(ほくと)。俺の実家は神社なんだが、生まれつき変なモノが見えた。・・・尾の先のわかれた猫、山のように大きな入道、唄うし(・)ゃ(・)れ(・)こ(・)う(・)べ(・)とか、そんなやつだ。初めは皆見えているんだと思っていたんだが、こいつらに会って、俺が見えているのは妖怪だと知った。」　

　北斗は目を細めて二対の背中を撫でる。

　気持ちよさそうに目を細める二体。

『我は陽光(ようこう)。』

『我は影月(かげつ)という。我らは主の社の狛犬。』

　白い方が陽光、黒い方が影月というらしい。

　狛犬は、神社や寺院の入り口に置かれている犬の像が長い年月をかけて付喪神(つくもがみ)化したものだ。狛犬の妖力は本体である像が経た年月によってその強さは変わってくるのだが、この二体の妖力はなかなか強い。この学校に居つく妖怪の中でも古株の家鳴りが警戒するのもうなづけるほどだ。

『我々は社を護るとともに、その主を護るのも役目。この社ができた頃より、その神主の一族をお護りしてきた。』

　二体は朗読するように言葉を紡ぐ。

『主はその神主の一族が一人。そして、神巫でもある。』

「カンナギ？なんだそりゃ？」

　影月の言葉に愁が顔をしかめた。

　いなりも聞いたことのない言葉だった。　

『神巫(かんなぎ)とは、神獣を体に宿す人(もの)のこと。』

　低い声が、重々しく響く。　

―――神獣を宿す。

　言葉だけなら簡単に思える。だが、妖怪が憑依するとはわけが違う。妖怪と神獣は全くの別物だ。

　妖怪は妖術によって自然の事象に干渉することができる。ただ、それには妖力を消費する必要があり、事象への干渉の規模が大きいほど大量の妖力を消費する。そのため、妖怪一体につき、干渉できる事象はほぼ一つに限定される。それが系統であり、風の妖術を扱う妖怪が同時に水の妖術を扱えない理由だ。

　だが、神獣は違う。神獣は神に相当する存在であり、自然そのものから生み出されたモノ。対価なしに自然を操ることができ、世界の理(ことわり)にすら干渉することができる。

　そんな超越した存在たる神獣を体に宿すとは、何を意味するのか。

　神巫(かんなぎ)は、まさに現人神(あらひとかみ)のようだともいえる。

　いなりは目の前の青年が、神の使いとも言われる狛犬に丁重に扱われるのか納得した。

「俺がまだ陽光と影月と出会っていない頃、たまたま弱ってた彼奴と遭遇してだな、成り行きでなった。」

「道端の困ってる人を助ける感覚でそんな・・・。」

　神獣を彼奴呼ばわりしてるあたりで色々おかしい。そもそも、成り行きでなるような代物じゃあないだろ。

『しかし、神巫の多くは成長する前に殺されてしまう。』

　いなりは思わず北斗を見た。

　だが、北斗は何も言わず、静かに耳を傾けている。

　先ほどまでの阿保(アホ)みたいな展開が嘘のように静かになった。影月が陽光の後を継ぐ。

『その多くは妖怪によって、屠(ほふ)られる。理由は、神の力を得るため。』

『他の理由はだいたい妖怪にその力を恐れられるかだ。』

　静かだが、怒りのこもる声だ。

　一体、どれほどの妖怪が彼の身を狙ってきたのだろう。

『しかし、我らの主を喰らおうなぞ言語道断。』

『そもそも、神の力を手に入れようなど思い上がりも甚だしい。』

「だからと言って何も悪くない妖怪まで攻撃するのはおかしいだろ。」

　二体の頭を鷲掴みにし、無理やり頭を下げさせる北斗。お辞儀というか、ほぼ伏せの状態まで下げられている。

「俺もリレーの選抜選手に選ばれていたんだが、集合場所にお前らがいるのを見て、待ち伏せでもしてたんじゃないかと勘違いしたらしい。本当にすまなかった。」

　二体は納得のいかないような様子だが、主の命令に背くのも嫌なようで、されるがままになっている。

　北斗がその気になれば、いなり達を殺すことなんて造作もないだろう。しかし、それをせずにきちんと向き合って喋っていることから彼の誠実さがうかがえる。

　狛犬たちが彼を必死に護るのは、偏(ひとえ)に彼が神巫だから、という理由だけではないのだろう。

　狛犬と北斗のやり取りを微笑ましく思いながら、いなりの頭は冷静に分析を始める。顔に出さずに物事の深刻さを考えるのは、盤上の駆け引きを得意とする佐助譲りだった。　

　ずっと、気になっていたことをいなりは問う。

「ところで、一体何を飼っていらっしゃるんですか？」

　北斗は一瞬ためらうようなそぶりを見せたが、意を決したように口を開いた。

「麒麟(きりん)だ。」