文化祭 １
晴れ渡った秋空の下、パン、パンと軽快な音を立てて花火があがる。
遂に文化祭がやってきた。
当日準備でいそしむ生徒達の間には、高揚感が見て取れる。カラフルなクラスＴシャツが廊下を彩り、立て看板が校舎内のあちこちに上がり始めている。
しかし、一年四組の教室内は朝から波乱で始まっていた。
「吉祥寺さん！どうかメイド役をやってください！！」
―――どうしてこうなった。
いなりは脳内でうめき声をあげていた。
◆◇◆
事の始まりは、一人の女子生徒の欠席連絡からだった。
これが特になんの役職もないクラスメイトだったならば、文化祭当日に風邪をこじらせてしまった可哀そうな子、で済んだだろう。しかし、何が問題だったのかといえば、その子はクラスの出し物である、喫茶店の従業員役の子だったのだ。
クラスの出し物、メイド喫茶の。
「聞いてねえだろメイド喫茶だって！！！？？」
開いた口が塞がらないとはこのことを言うにまさに違いない。
朝来てみれば、教室が東京の某所の店のように魔改造されているのだ。三人がしばい固まったのは言うまでもない。
しかも、一体全体どう判断したらそうなるのか、空いてしまった従業員役、すなわちメイド役の補填を持ち掛けてられたのである。
無論、いなりの答えは『絶対嫌』だ。
喫茶店ならばまだしも、メイド喫茶である。黒白基調のふわふわとしたエプロンとワンピースの合わさった、メイド服なるものを着なくてはならない。なにが面白くてそんな奇抜な格好をしなくてはならないのだ。
もとはと言えば、しっかりと学級内での話し合いを聞いていなかったいなり達にも非がある。だがしかし、それを込みでも妥協はできない。いなりは頑なに首を横に振り続けた。
しかし、眼鏡委員長はあきらめが悪かった。
「頼む！売り上げをあげるためにもメイド役をやってくれ！！」
「嫌です。」
「そこをなんとか！！」
「無理です。」
とまあ、先程からこのように眼鏡委員長といなりの攻防戦がひたすら続いていた。
「私以外にも女子生徒はいるでしょう。」
「他の女子は厨房スタッフや部活の出し物で忙しいから無理そうなんだ。それで、宣伝係から引っこ抜くことにした。」
「だからといって私でなくても。」
「いや、そこは吉祥寺さんでないと駄目なんです！！」
お互い一歩もひかないこの状況。
愁と黒羽を含め、周りの生徒達が何故か期待の眼差しを送る中でも、いなりは断固拒否の意思を示す。空気を読めとかそういうのは知ったことではない。
第一に、こんなフリルの多い洋服は自分には似合うはずがない。むしろ見苦しいものとなって、客を引くどころか遠ざけるのではないだろうか。
「あー、もう時間がない！お願いしますよ吉祥寺さん！！もう文化祭始まっちゃうから！！」
「いえ、あの、ちょっとま」
しかし、最後は眼鏡委員長の謎の圧に押し負けた。
衣装を無理やり手渡され、後ろにいつの間にか控えていた小道具係の子達によって、いなりは更衣室に引きずり込まれたのだった。
◆◇◆
「わーお、流石だね。」
「お前、それで秋葉原行けば一生食っていけるんじゃね？」
魔の更衣室からいなりが解放されたのは、およそ二十分後のことだった。着替えにしてはやけに長い時間高速されていたかのように思われるが、これは小道具係の子がいなりの髪型をいじったり、化粧をしたりと好き勝手に遊んでいたいたからである。
おかげで、小道具係の子達が満足する頃にはいなりは心身ともに疲弊していた。
「死にたいです・・・・・。」
現在のいなりの格好は、黒基調の膝丈ワンピースにフリルのついたエプロン、頭にはレースをあしらったカチューシャをつけている。
この本格的なメイドの衣装は、なんでもやはり某所のお店の常連であるクラスメイトがいるらしく、そこで貸し出してもらったらしい。
「過去一消したい黒歴史になりそうです。」
「そんなに嫌なのか。」
「別に変じゃないのに。むしろ似合ってると思うよー。」
黒羽と愁はそういってはくれるが、あくまで友人のよしみとしての気遣いだろう。たたでさえ表情筋の死んでいるいなりの顔は、いっそう感情を削り落としたような状態だった。
こんな愛想の欠片もないメイドで、はたしてまともに動けるだろうかと不安に思うも、もう後の祭である。
時計の針は文化祭開始の九時をむかえた。
◆◇◆
「三番テーブル、ショートケーキ二つ、四番テーブル、ペットボトルのお茶二本入りました。」
「四名様ご来店です！席空いてる！？」
「ごめんなさい！二番テーブルの机片付け終わっていません！」
「五番テーブル空けてあります。それから一番テーブルのお客様の御連れの方が到着したようなので椅子を追加でいれておきます。」
「ありがとう吉祥寺さん！！」
しかし、もともとみずめの店で接客の手伝いをしているいなり。いざやってみれば、体が反射的に動いていた。
メイド服を着ているという点さえ除けば、やっていることは“まほろば”と変わらない。また、四組のメイド喫茶は思ったよりも客の出入りは盛んだった。
もはやメイドであることすら忘れて、いなりは黙々と店を回していた。
「おい、なんか一人だけやけにプロの動きのメイドがいるぞ。」
「何気にいなりってなんでもソツなくこなすよねー。」
一回りして宣伝から戻ってきた愁と黒羽が思わずそうこぼしたほどである。
四組のメイド喫茶はいなりの活躍があり、順調に客足を伸ばしているかのように思われた。
「やめてください！」
そんな時、従業員役の子の短い悲鳴を上げる。
彼女の近くのテーブル席には、柄の悪そうな数人の男子大学生グループが座わっていた。どうやらかなりタチの悪い客らしい。
「えー？いいじゃん別に、そういうお店なんでしょうここは？」
「ちょっとくらいサービスしてくれたって構わねえよなあ？」
大学生達の手が、従業員役の子を掴もうとした瞬間である。
ばさっと、オレンジ色の物体が彼等の頭に降りかかった。
「やめてくださいと彼女は言っているでしょう。」
大学生の頭上では、出来立てのナポリタンが湯気を立てていた。そして、仕掛けた張本人であるいなりの手には、ひっくり返った皿がある。
大学生達は、ようやく頭が自分達の置かれている状況を理解したようだ。大勢のいる前で頭からパスタをぶっかけられて怒らない人間はいない。大学生達の顔がみるみる真っ赤になり、目を引ん剝いてわめきだす。
「よくもやってくれたなこのアマ！！」
「ここはあくまで高校の文化祭です。そのようなマニアックなご要望は専門店でお願いします。」
騒ぎが広がり、他の客達が次々と席を立つ。クラスメイト達も、教師を呼びにいこうと教室から飛び出す。
そんな中、いなりは大学生達と睨み合った。
「よくも恥をかかせてくれたな・・・・・。年上に歯向かったらどうなるか体に教え込んでやる！！」
グループのうちの一人が、椅子を蹴り上げて立ち上がり、いなりに向かって拳を振り上げる。
だが、いなりはその腕をスパンとはじき落とす。そして、もう一方の腕をつかみ上げ、体ごと床に叩きつけた。背負い投げである。
派手に投げ飛ばされた大学生はどうやらこのグループのリーダー格だったようで、他の数人はげっと明らかに顔色を変えた。
「あなた方の横暴な態度は営業妨害とみなしました。お引き取り願います。」
ぱんぱんと手をはたき、これが最後だと言わんばかりにいなりはひっくり返った男を見下すいなり。
到着した教師陣が教室内の有様に目を白黒させる中、愁と黒羽だけが苦笑いを浮かべていた。
