陰陽寮 帰還
転送の術独特の浮遊感を感じながら、待つこと数秒。もう既に到着していてもよさそうな気がするが、どうも未だに浮かんでいる心地がする。
「ちょっと待って。これ僕たち浮かんでない?」
ぱっと、視界がひらけると目の前には木目。横にはさかさまの黒板。
「なんか転送場所空中にあんだけどおお!?」
愁の悲痛な叫びもあっけなく、重力に逆らえず三人は仲良く地面へ真っ逆さまにおちていく。
どしんという、悲惨な音が響き渡った。
「これはやられましたね。」
「あのチビ陰陽師・・・次あったらぜってーぶっ飛ばしてやる。」
愁を下敷きに、黒羽、いなりの順で三人は鏡餅よろしく床の上に積み重なった。慣れない転送術に頭痛を感じつつも、いなりは急いで立ち上がった。
三人が転送されて返されたのは八坂高校のどこかの教室のようだった。もう既に授業は終わってしまっているようで、それどころか窓からは橙に色づいた光が差し込んでいる。
「随分長い間向こうに行っていたようですね・・・。」
「ほんと、よくもまあアポなしで長時間拘束してくれたよねー。相変わらず礼儀の欠片もない連中だよなー。」
珍しく感情をあらわにして怒っている黒羽を見て、思わずいなりと愁は目をしばたく。
「黒羽がそんなに他人にイラついているとか珍しいな。いつもは知らぬ存ぜぬみたいな顔して受け流す癖に。」
「え、そうかいー?」
「はい。」
普段から、黒羽はにこにこと笑っている。思っていることも、感じていることも、皆その笑顔の下に隠れている。そのため、彼が腹の底で何を考えているのかは分からない。ある意味いなりとは別の意味で感情が読みにくいともいえる。
「まああの連中のことは置いといて・・・・・問題は仮想怨霊だねー。」
話を切り変えるように、黒羽は腕組みをして適当な椅子に腰かける。
「昔はいなかったのか?」
「怨霊ならしょっちゅういたよー。でも、昔と違って今は妖怪と人間の関係がかなり変わってきているからさ。」
愁の問いに、黒羽は頭をかきながら答える。
「そもそも、怨霊と仮想怨霊って根本的に違うんだよ。」
「と、言いますと?」
「怨霊っていうのは、人間の怨みとか怒りとかっていう他者に対する激しい怨念から生まれるものなんだ。でも、聞いた話仮想怨霊っていうのは人間の何かに対する恐怖心から生まれるって言うじゃん。ね?全然違うでしょー?」
「お、おう・・・・・?」
愁はわかりやすく誤魔化してうなづいた。その頭上に疑問符が浮かんでいるのが目に浮かぶ。
「とにかく仮想怨霊と怨霊は全然違うってことさ。それよりも、何が問題って仮想怨霊と妖怪が同一視されかねないことなんだよねー。」
「なるほど。」
いなりは黒羽の言葉に合点がいき、はっとする。
「何がまずいんだ?」
「仮想怨霊は人間からしてみれば、存在そのものが恐怖の対象です。そんなものが目に見えたら、真っ先にどうにかしようとするでしょう。」
「まあ普通そうだな。」
仮想怨霊は妖怪と異なり、人間の目に映る。人間の思念が生み出した存在であるため、考えれば当たり前のことであるが、この性質は非常に厄介だ。
「はたして、妖怪と仮想怨霊を一般の人間が区別できるでしょうか。」
「・・・!そういうことか!!」
妖怪と仮想怨霊。まるで違うこの二つの存在だが、それを一般人が理解できるはずがない。
しかし、単語の認知度で言えば妖怪の方が仮想怨霊よりも圧倒的に上だ。もしも何か悪さをする得体のしれない、人知を超えた存在がいるとしたら、人間は真っ先に妖怪を想像するだろう。
たとえその正体が、妖怪ではなく仮想怨霊だったとしても。
「何にも知らねえ人間はすべての原因を妖怪のせいにして、疎むようになるってことか。」
「妖怪の排除運動が起こりかねません。」
もしもそんな自体となれば、人間の目に妖怪は映らなくとも、相当な騒ぎとなれば見える者が動き出すはずだ。陰陽寮の陰陽師でなくとも、世の中にはフリーの退魔師はいる。彼等が無差別に妖怪を殺していけば、人間と妖怪の溝はさらに深まる。
「今まで保ってきた秩序が全て壊れかねない。今回の仮想怨霊騒動は、割と無視できないかもしれないんだよねー。」
「犯人をとっ捕まえるか?」
「それが一番の解決策だけどさ、たぶん無理だよー。あれでも陰陽寮は優秀な粒ぞろいだからねー。その目をかいくぐるってことは、相当な術者が裏にいるってことさ。それに、」
黒羽の声が、一段低くなる。紫を帯び始めた光が、僅かに見開かれた彼の瞳を照ら込んだ。
「勘違いしちゃいけないのは、僕達はあくまで妖怪だ。人間側の問題に首を突っ込むべきではない。」
静かな、だが、重みのある声が教室に響く。
それは、開きかけていた愁の口を塞ぐのに十分なものだった。
「まあとにかくそういうわけだー!仮想怨霊は陰陽寮に任せて、僕らは学業に専念しよう!」
しかし、重い空気も束の間。ぱあんと乾いた柏手が静寂を裂いた。
いつの間にやら黒羽の顔はいつものものに戻っている。
「それにまずは時計を見たほうがいいよー。何気にもう完全下校時刻三分前。」
「うお!?もう五時じゃねーか!!やっべえ校門しめらる!!」
後ろを振り向けば時計の針は五の文字の前で止まっていた。
せかされるままにバタバタと三人は荷物をまとめ、閉じる校門と用務員の間を滑り込み、帰路についた。




