陰陽寮 1
人間の中には極まれに、妖怪を見ることのできる者が生まれる。
妖怪を見ることができるというのはつまり、霊力が強いということ。
妖怪が妖力を持っているように、人間も自然と通じる力を持っている。それが霊力だ。妖力のように自然の事象を書き換えたり捻じ曲げたりするほどの力ではなく、所謂直観力的なもの。虫の知らせや予知夢の類なんかが霊力によって無意識に引き起こされた現象である。
すなわち、霊力が強いと自然現象に対する感性が強くなる。自然現象に近い存在である妖怪を視認することができるようになるのだ。
そして、強い霊力は妖力を打ち消す、すなわち妖を祓うことができる。
強い霊力を持ち、妖怪を祓う術を扱う人々のことを、人は陰陽師と呼んだ。
「手前達は先日起きた連続怪事件の重要参考人になっている。こっちに攻撃を仕掛けた瞬間それなりの対応をさせてもらう。大人しく同行しろ。」
かつて人間は、妖怪を忌み嫌い、恐れた。そして、その対抗手段として飛鳥時代に作られたのが対妖怪組織・陰陽寮である。ここには妖怪を祓う力を持つ陰陽師が集められ、妖怪の討伐を生業としていたという。
この組織は明治までは国の正式な機関として機能したが、科学技術の発展によって妖怪・悪霊その他もろもろの不可思議な存在が世間で否定されるようになってから、陰陽寮は表向きには廃止された。
しかし実際のところ、妖怪はいる。現代社会の風潮から御伽噺の中だけの存在とされているが、人ならざるもの達は確かに存在している。そのため、陰陽師達の存在意義は今でも失われていない。陰陽寮は警察組織に吸収され、今でも隠れて政府公認組織として動いている。
人の生活を脅かす妖怪を討伐するための機関として。
それが、警視庁特殊組織陰陽寮だ。
(まさかこんなところでお目にかかるとは思わなかった。)
妖怪ならば、陰陽寮の存在は誰でも知っている。しかし、実際に見たこと・会ったことがあるかと言われれば話は別だ。陰陽寮の陰陽師達が討伐・処分するのは人間に危害を及ぼした妖怪だけであり、人間に紛れて暮らしている、あるいは裏社会で生きる妖怪達は黙認されている。
つまり、陰陽師に出会った時というのは彼らがその妖怪を討伐する、殺すとき。妖怪にとって、彼等は絶対に出会いたくない敵であり、因縁の相手だ。
いなりは部屋の扉までの距離を横目で確認する。
距離的には一飛び。だが、その隙を作れない。
「この部屋を範囲として出入りを制限する結界を作った。こっから逃げようと考えても無駄だぞ。」
「へえ、随分手厚い歓迎じゃねえか。」
挑発するように軽口をたたく愁。その額には机を挟んで銃口が向けられている。
にらみ合う二名。
しかし、その緊張を気の抜けた声が破った。
「まーまー、テツ。そんなかっかすんなって。余計警戒させてどうすんのさ。」
青年の後ろに立っていた男だ。
男は青年の構える拳銃を手でつかみ、無理やり下げる。
「おい、そこの鬼っ子と狐っ子、俺らは別にお前らを殺しに来たわけじゃねえよ。ただちっとばかし、茶飲みに付き合ってもらいたくってね。」
「はあ?」
男の言葉にいなりは目を見開いた。
愁は聞き返したが、答えのかわり返ってきたのは映画・ドラマ等でおなじみのサクラの記章が輝く手帳だった。
「どーも、陰陽師の刀岐 恭介でーす。ほれ、証拠。ニセモノじゃねーぞ。」
刀岐に促され、青年も不満そうに胸ポケットから手帳を取り出した。名乗りはしなかったが、不機嫌そうな顔の上に『久遠 虎徹』と示されている。
「あれ、コイツ中学生じゃねえのか。」
「誰か中学生だ。こちとら二年前に成人済みなんだよ。」
手帳を覗き込んだ愁の頭を鷲掴み、青年、虎徹が銃口をこめかみにつきつける。虎徹の額には青筋がピキピキと浮かんでいた。
しかし、近づいてみると愁よりも頭一つ分小さいのがよりはっきりとわかてしまう。要するに、チビなのだ。
「刀岐さん、こいつら撃っちまっていいですかね。いいですよね。先っちょまでならセーフですよね。」
「駄目に決まってんだろ。つーか銃の先ってどこだよ。」
「少し穴が空くだけです。」
「それ貫通してるじゃねえか。完全に見事な通風孔開いてるよ。」
ゴリゴリと愁の額に銃を押し当てる虎徹をまあまあと刀岐が引きはがす。
愁はいってぇ、と何の緊張感もなく額をさすっていた。挙句の果てに、彼奴なんで怒ってんだ?といなりに尋ねてくる始末だ。黒羽は吹き出していて話にならない。
仕方なしにいなりが愁に耳うちする。
「いいですか、彼は自分の身長にコンプレックスを持っています。なので、触れないであげてください。」
「こんぷれっくすってなんだ?」
「劣等感のことです。つまり、彼は自分がチビであることに引け目を感じているんですよ。」
「なるほど。」
「おい聞こえてんぞ。マジで祓うぞ半妖怪。」
小声で会話していたはずが、聞こえてしまっていたらしい。黒羽はそれ知って何も言わなかったのか、はたして言うことができなかったのか。机にバンバンと手を叩いて突っ伏していた。
虎徹の青筋がぴくぴくと動き、声が震えている。ただでさえ目つきの悪い三白眼が、さらに険悪になっていた。
「あー、だからテツ落ち着けって。クールダウンクールダウン。話が全然進んでねえぞー。」
「ちっ。わかりました。」
そういえば、この陰陽師二人組はいなり達に何かしら用事があってきたはずだった。すっかり忘れていた。
「おい、さっさと来い。話になんねえだろ。」
「来いって、どこに?」
「さっきから言ってんだろ。お前らは事件の重要参考人だ。その事情聴取をこれから取りに行くんだよ。」
取りに行くってどこに?と、愁が首をひねり、いなりがさあと答える。黒羽は復活してにこにこと笑っていたが、教えてくれる気はなさそうだ。
「あ゛ー、もうめんどくせえなぁ!」
遂に、三人の理解力と空気を読む力の低さに虎徹が痺れを切らした。
吐き捨てるように言って、虎徹は床にめがけて弾を一発発砲する。しかし、不思議なことにサプレッサーをつけていないにもかかわらず、何も音はしない。
無音で放たれた弾丸は着弾すると、床にめり込まずに淡く発光し始めた。否、発光しているのは銃弾ではなく、銃弾に細かく刻まれた文字である。光を放ちながら文字が動き出し、弾丸を中心として幾何学的な模様を床に描く。
「わーお、陰陽師達も随分成長したねー。昔は胡散臭そうな棒とか護符とか使ってたくせに。」
「へー、三大妖怪サマに褒められるとは光栄なこった。」
「は?待て待て、なにこれ?なんか黒魔術でも始めんの?」
「違います。これは、転送術です。」
いなりが言ったと同時に、視界がぼやけた。
空間が揺らぎ、目に映る色彩が混ざる。船酔いのような感覚に、いなりは不快感を覚え目を閉じる。しかし、身体全体で感じる浮遊感だけはそのままだ。
浮遊感がなくなり、ようやく体に正しい重力が戻ってきた時。いなりが再び目を開けると、そこには応接室ではなく、巨大な鉄扉が立ちはだかっていた。
「おら着いたぞ。さっさと中は入れ。」
鉄扉には等距離に札が張られ、中央には桜田門の文字が力強く刻まれている。
「いや、どこだよここ。」
「陰陽寮本部・警視庁地下五階だ。」




