裏八坂祭 2
―――大江山の酒呑童子
三大妖怪の一柱であり、九尾の狐、鞍馬の烏天狗とともにかつて平安京天神の変を起こし、京都を灰と化させようとした鬼。その実力は三大妖怪の中でも突出しており、引退してもなお最強の名を冠する妖怪だ。
(その大妖怪が今、目の前にお出ましか・・・・・。)
いなりは三大妖怪の娘であるが、みずめ以外の三大妖怪とは面識が今までなかった。
というのも、引退した大妖怪は現・四大妖怪と協力関係を築くことを掟によって固く禁じられている。これは以前黒羽が八重に指摘した、『四大妖怪は互いの土地には絶対不干渉』とほぼ同じ理由からだ。
力の大きい妖怪同士が協力関係を築くと、そこには必然的にパワーバランスの偏りが生まれてしまう。今でもなお最強を謳われ、伝説と化している三大妖怪ならばもってのほか。
そのため、みずめは引退した後、その土地を去って東へと移ってきたのだった。旧知の仲である妖怪が治める土地に移動したというのは、あくまで友人同士としての信頼から、というわけである。
また、裏八坂祭で何度か顔を合わせたことはあるだろうが、何も知らないいなりからしてみれば、どれも“母の知り合い”でしかない。顔は知ってるけど誰だかは知らない状態ができるわけだ。また、北斗のように完全記憶能力を持たないいなりの記憶能力で、一年一度会うだけの相手を覚えていられるかといえば、そうはいかない。
とにかく、いなりにとってはこれが三大妖怪、酒呑童子とのお互いを認識しての初めての対面であることには変わりなかった。
「よう嬢ちゃんら。大丈夫かい?」
ナンパ男のうち残り一人が悲鳴を上げて去っていくのを見届け、酒呑童子がくるりと振り返る。それによって、それまで酒呑童子の妖気に気圧されていたいなりははっと我に返った。横にいた八重も同じような状況であり、慌てて二人して頭を下げる。
「いや、こちらこそほんまおおきに。」
「助けていただきありがとうございます。」
すると、酒呑童子が「おん?」と首を傾げる。そして、いなりにじーっと顔を見つめてきた。
今は元がついてしまうが、八重も四大妖怪の名を冠するほどの大妖怪。そんな彼女までも圧倒するほどの圧倒的な存在感が酒呑童子にはあったのである。
二人の少し礼儀を欠いてしまった行動は、不可抗力というものだった。
酒呑童子もまたそれを気にするような不機嫌そうな気配はない。むしろ、その行動は何かを思い出そうとする意図が含まれていた。
しかし、大の大人が。それも身長差が二十センチはあろうかという男が少女に顔を近づけるというのは、第三者視点から見たら変質者に迫られているようにしか見えない。
実際、酒呑童子がナンパ男を片付ける場面を見ていなかった第三者の目にはそのように映っていた。
「お前さん、どーっかで見たことあるような顔をし」
その時。
酒呑童子の声が轟音によってかき消させれる。そして、姿ごと見えなくなってしまった。
否、地中にめり込んでいた。
もうもうと土埃が舞い、さっきまで酒呑童子が立っていたところに人影が現れる。いなりは後になって、その人影が酒呑童子の脳天に蹴りを入れたのだと分かった。
「手前、祭りだからってはしゃぐなっていったよな?別に女を捕まえるのはかまりゃしねえが、未成年に手を出すたぁどういうことだ?」
燃えるような赤毛に、額から出る左右非対称の双角。スタイルのいい体には似合わない物騒な刀を片手に、その女鬼は三大妖怪である酒呑童子の頭を足で一切の躊躇なく踏みつける。整った顔にも関わらず、その琥珀の眼には恐ろしい覇気があった。
どうやら酒呑童子とは知り合い以上の仲らしい。が、友好的とは程遠い雰囲気が感じられる。
「い、いやあ違うんじゃ違うんじゃこれはその・・・あの嬢ちゃんらを助けよう思ってだなあ?」
「それで?言い訳は終わりか?」
いなりと八重が弁解する間もなく、女鬼が土中に埋まった酒呑童子を片腕で引っ張り出す。
見間違いなんかではない。その細腕で、自分の体よりもニ十センチは上回ってるであろう大男の襟をつかみ上げて軽々と持ち上げているのである。
女鬼は蔑んだような目で酒呑童子を見据え、大きくその腕を振りかぶった。
「ちょお!ちょお待つんじゃ蘭!は、話せばわかる!だからちょ、待って、待っ」「聞く耳持たんこの女狂いぃぃいいいい!!」
さながら野球選手が投球するがごとく、酒呑童子が投げ飛ばされた。そして、あ~という間抜けと表現すべき声をあげて宙を滑空する。
あの酒呑童子がである。
繰り返そう。 最強の名を冠する大妖怪の酒呑童子が、である。
突然現れた女鬼に弁解するのも忘れて、いなりと八重はぽかーんとあっけにとられていた。
「いなり!八重!」
名前を呼ぶ声に、はっと我に返る。
愁だ。血相を変えてこちらめがけて走ってくる。少し遅れて北斗と黒羽もやってきていた。
いなりは男子三人と合流できたことに安堵したが、すぐにそれどころでなくなった。
駆け寄ってくる愁と、水平投射された酒呑童子がほぼ同じ一点めがけて進んでいるのが目に入ったのである。このままではかなり間抜けな衝突事故が起こる。
愁よりも後ろにいる北斗と黒羽はそのことに気づいたようで、急ブレーキをかけて止まる。しかし、いなりと八重の必死のストップのジェスチャーは愁に通じず。どんどん差が縮まっていく。
「愁!危ないです!!」
「莫迦野郎!上見ろ上!!」
落下まで目測残り三秒ほど。
いなりと八重はそっと目をつぶり、北斗は耳をふさぎ、黒羽は合掌する。
「大丈夫か?さっきなんか変な連中に絡まれているのを見つけて慌ててんげぁ!?」
予想通り。ゴチンという、かなり痛そうな衝撃音がして酒呑童子と愁が地に伏した。
◇◆◇
「・・・うちの馬鹿が大、変、迷惑をかけた。」
大変、の部分を強調して頭を下げる女鬼。その足元には大きなたんこぶをこさえた酒呑童子が頭部だけ出した状態で土中に埋まっていた。
「改めて名乗らせてもらおうか。あたしは茨木童子の蘭だ。んで、こいつが旦那の酒呑童子の夜叉。孫の愁が世話になってるね。」
―――茨木童子
酒呑童子の最も重要な家来といわれる鬼。有名な酒呑童子に対して人間界ではあまり名のしれていない妖怪だが、妖怪界で聞いたことのない者はいないほどの大物である。
(・・・と、ここまでしか自分の知識はないが、今彼女はなんと?)
旦那の酒呑童子。孫の愁。
確か愁は自身を酒呑童子の孫だと公言していた。別にこれは自慢でも何でもない。“大江山”という名字は酒呑童子を彷彿とさせるもの。常識のある妖怪がこの名を聞けば、この大妖怪の血縁者及び関係者であることは明白なのである。
そんなことははさておき。
酒呑童子の孫かつ、茨木童子の孫。それが意味することはすなわち―――
「この二人は夫婦なんだよー。」
黒羽の発言によって、肯定された自身の推察にいなりは合点した。
あのさいk・・・(以下省略)酒呑童子、夜叉を赤子のように取り扱う肝っ玉の据わった妖怪なんてそうそういない。少し前にぼこぼこにされたナンパ男のような運命を辿るのがオチである。
しかし、妻、しかもかつての仲間とくれば話は別だ。このように気の置けない仲、いや、尻に敷かれているのもうなづける。少々攻撃的過ぎるような気がしなくもないが、そこはツッコんだら負けというものだ。
また、愁と見比べてより納得した。顔立ちは夜叉そっくりなのだが、少し赤みがかった髪は蘭のものに違いない。瞳の色はどちらとも似ていないところ見ると、恐らく両親似なのだろう。
「よお、黒羽。一人好きのお前にしちゃ連れがいるなんて珍しいじゃねえか。」
ぼこりと手だけ器用に地中から出し、黒羽に向けて手をふる夜叉。その目は、黒羽の周りに固まるいなりらを観察するように見ている。
「そうかいー?別に他人嫌いしてるつもりはないんだけどなー。」
「去年まで部下すらつけずにぶらぶら歩いてたくせにか?」
「去年の僕とは一味違うってことだよー。」
「はん。どうだか。お前のことじゃ、なんかまた良からぬことでも企んどるつもりだろ?」
「さてさてー、なんのことやらー?」
とぼけたように黒羽が腕を上下させる。それを見て、夜叉は「胡散くせーっ。」と苦虫を嚙み潰したような顔を作ってみせる。
その演技じみた仕草を見て、まるで悪友同士のようだといなりは心の中で思った。ここに稀代の悪女と呼ばれるみずめが入ったら、もっとそれらしくはなるであろう。
「まあ、いいさ。お前に詮索しても無駄なこたぁわかりきってるからな。んで、そこの人間の坊主含んでそいつ等は一体誰なんじゃ?」
やはり、面をつけていても誤魔化しきれなかったようだ。
面とは、本来の姿を隠すもの。素顔の上に別の顔をかぶせることで、他者の目を欺く役割を持つ。しかし、それはあくまで隠すだけであり、姿そのものを変えることはできない。目が良い者―――他妖怪の妖気を視覚できるもの―――には通用しない。これは一般妖怪だとできない芸当だが、大妖怪級の妖怪ならば誰でもできることだ。
ずばり言ってしまえば、北斗が人間であることがバレたのである。
バレてしまっては付けている意味はほぼない。面を顔の横にずらし、北斗は素顔を見せる。
「今僕が通ってる高校の友人さー。神楽狸の八重、半妖の妖狐の吉祥寺いなり、人間の室咲北斗。彼は妖怪が見える人間なんだー。ちなみに北斗の影のにいるのは彼の神社の狛犬達。」
ダイジェストのように、必要最低限簡潔に紹介されるいなり達。北斗に至っては説明不足な点がある気がするが、黒羽はそれ以上何も言わなかった。
「へえ、お前が好きそうな面白そうな連中じゃねえか。」
その言葉に、北斗は少し驚いたようだ。人間であることに少し何か言われるとでも思っていたのか、拍子抜けしたような表情をしている。
蘭はそれに気づいたようで、ふっと笑って答える。
「別に不思議じゃないさ。実際、あたしらの息子や友人は人間と結ばれたからね。」
その言葉に、愁がぴくりと肩を揺らす。あまり両親の話をされるのは得意でないのか、珍しく苦笑いを浮かべていた。
「確かにあたしらは人間と敵対こそしちゃいたが、それは妖怪を敵とする人間に限っての話さ。人間を皆嫌ってるわけじゃない。むしろ、仲良くやっていきたいと思ってる方だと思うね。」
それを聞いて、北斗の影の中からあふれ出ていた殺気に近い警戒が消える。北斗自身も安心したようである。
すると、蘭は満足そうにうなづいた。どうやら影の中からの視線も把握済みだったようだ。
「さてと。お詫びと付き合いを兼ねて、どうだい?一緒にこの後飯でも食べないか?」
思いがけない誘いに、全員が目を見開く。それは、黒羽と愁も含めてである。
「お邪魔してしまってよろしいんですか?」
「いいっていいって。たぶん、飯は食べきれないくらいあるだろうから。それに、古い友人と孫が世話になってんだ。その礼だと思ってくれていい。」
そういって、蘭が男前な笑みを浮かべる。
さばさばとした蘭からは、八重とどこか似ている雰囲気を感じていたが、それともまた違った印象を覚える。八重は喧嘩っ早く、清々しいまでに我を行くスタイルだが、蘭はどちらかというと落ち着いた、姉御肌といった具合だ。
「なら遠慮なく混ざらせてもらおっかー。」
屋台を一巡りしたとはいえ、まだまだお腹に余裕はあるし、ここで断ってしまうのも申し訳ない。
黒羽の言葉に全員がうなづき、同行させてもらうことにした。しかし、八重はなぜか気まずそうな顔をしている。
「なんか自分らとおると常識が狂うてくるような気ぃするんやけど・・・・・。」
「そう言うお前もそれなり妖怪だろうが。」
「うちは元、や。」
八重のいう常識というのは、妖怪の中での一般常識の事を指す。北斗の返答はそれを理解してものだった。
「妖怪の最盛期といわれる平安の時代に最強と呼ばれとった方々や。四大妖怪とは格がちゃう。そんな雲の上の存在がこないにもほいほいと出てこられると色々感覚狂うねん。」
「それは俺も同じだ。御伽草子を目の前で繰り広げられている気分になる。」
しかし、二人のこぼした感想は周りの耳に入らず。
愁の「早く行こうぜ!」という呼びかけにゆるゆると肩を落とし、二人は後を追いかけたのだった。




