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居酒屋 まほろば

 時刻は夕刻過ぎ。昼と夜が混ざり合う、薄暮の時。

 橙と紫色の光がゲートの向こうの一列に並んだ灰色の店達を染め上げる。

 この時間になると、商店街には買い物客ではなく、会社帰りのサラリーマンらの姿が点々と見え始め、昼間の賑やかさは息をひそめる。

 シャッター街化した商店街で、ポツンと灯りをともした小さな居酒屋。紫色に染められた暖簾には、白く、細い文字で<まほろば>と刻まれている。

 その向こうからは店の大きさとは反対に、大きな笑い声が零れ出ていた。


「おーい、いなりちゃん!いつものヤツおかわり!」

「こっちは生4つ追加ね!」


 店内にはカウンターの他にテーブル席が三つ。その全てが客で埋まり、熱気が狭い店内に立ち込める。

 そんな大繁盛の店内を少女がテーブル席とカウンターを忙しく行き来し、カウンターでは女店主が客を会話で楽しませていた。


「かしこまりました。少々お待ち下さい。」


 少女―――いなりは手に持つオーダー表に手早く追加注文を書き込み、カウンター横のサーバーから、慣れた手つきでジョッキにビールを注いでいく。キンキンに冷えたビールは、白い泡を勢いよく立ててジョッキへと流れ込んだ。

 泡が噴き出るか噴き出ないかの絶妙な具合の所でレバーを切り上げ、一旦盆に置いた後、もう二つのジョッキも同じようにビールを注いでいく。

 そして、レバーを切り上げた瞬間。

 示し合わせたかのように、徳利がカウンターの方からすっと差し出された。


「はい。三吉さんの“鬼兜”でしょ?」


 カウンターの向こうからぱちりと片目をつぶって見せたのは、艶やかな女店主―――吉祥寺みずめである。

 普段は抜けていて、天然だと評される(主にいなりと佐助から)みずめだが、こうして店に立つと色っぽいお姉さまに早変わりする。

 流石はかつて日本の妖怪界を震撼させた、三大妖怪の一柱である九尾の狐。世の男という男を虜にする色香は伊達じゃない。

 いなりは少しだけ―――よく見ないとわからないほどだが―――口角をあげた。

 


―――居酒屋<まほろば>

 みずめといなりの(あやかし)親子2人で切り盛りする小さな居酒屋であり、客は全て妖怪だ。

 ここに訪れる妖怪は皆、社会で人間のように働いている。そこでの仕事と人間付き合いの疲れを癒しにやってくるのだ。 

 ちなみに、現代日本において彼等のように人間に化けて生活する妖怪は珍しくはない。

 近代に入ってから、妖怪の生活は大きく変わり、多くは人間社会で生活するようになった。

 この変化の大きな理由は妖怪も人間の通貨を使うようになったからだ。

 江戸時代あたりまで、妖怪は古い空き家や人里離れた山奥などと、適当な住処を探してそこに住んでいた。しかし、文明開化によって日本人の社会様式が変化したことにより、そういった妖怪の住処の多くは取り壊されたり、開発され、住む場所を見つけることが困難になった。そのため、人間と同様に働いて得た金銭で家を買う必要が出てきたのである。多くの妖怪はこうして衣食住をまかなっている一方で、保守的な妖怪はこの流れを嫌い、未だに廃墟に住み着く妖怪もいる。俗にいう、心霊スポットというやつである。

―――閑話休題(それはさておき)

 人間ならば仕事や人間関係の愚痴についてこぼすのだが、妖怪となるとさらにこれに妖怪同士での世間話も加わる。

 この店はこうした情報交換の場としても利用されるのだ。

 しかし、それは表向きの理由にすぎない。

 多くの客の本音はずばり、店主、みずめを拝みに来ることである。

 なにせ、()()九尾の狐だ。

 至高の宝玉を思わせる紅と瑠璃の金銀妖瞳(オッドアイ)の瞳。背まで流れる星河のように輝く銀髪。

 また、その所作一つ一つは艶やかで、娘であるいなりですらつい見とれるほど。彼女のたたえる微笑の前では百億の名画ですら子供のいたずら描きに見えるだろう。まさに立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。

 だが、誰も彼女を射止めようなんて馬鹿な真似はしない。なにせ、彼女は本当の意味で()()の美女だ。

 他の三大妖怪二柱とともに朝廷に乗り込み、一夜にして京の都を壊滅状態に追い込んだ過去を持つ。この時にみずめは先に単身で朝廷に乗り込み、情報収集に徹していた。

 それが後世に色々と後付けされできたのが、妲己や玉藻御前という稀代の悪女像だ。

 別にみずめが天皇や海の向こうの天帝をかどわかして悪政をそそのかしたわけではない・・・・・と本人は主張している。

 しかし、色仕掛けを使ったことに関しては直接否定をしていないので、案外間違ってはいないんじゃないかと、いなりは心の深くで思っていたりする。

 ・・・・・とにかく、薔薇に棘があるように、うかつに彼女を口説こうものなら炭にされかねないということだ。そもそも、みずめは既婚者であるし、夫婦仲は子供のいなりですら砂糖を吐きかけるほどの良い。

 難攻不落とは、まさにこのことをいうのだと、改めていなりは実感した。


「それにしても、いなりちゃんもついに花の女子高生かー。オジサンも年とったもんだねえ。」


 しみじみとそうこぼしたのは、ちょうどいなりから徳利を受け取った中年の見た目をした大柄な男。三吉という名の鬼であり、いなりがこの店で手伝い始める前からの常連客だ。

 無精髭ぶしょうひげをはやし、頭にはねじり鉢巻き。大きな祭の文字を背負った青い半被(はっぴ)を着ているが、別に今日が祭当日というわけではない。自称「祭馬鹿」、だそうだ。


「それに、随分みずめさんに似てきたじゃあないかい。いやあ、吉原の花魁をもしのぐ別嬪(べっぴん)さん二人に甲斐甲斐しくお酌してもらえるだなんて、オジサンもう死んじまうんじゃねえか?」

「こらこら、三吉さん。あんたが死んじまったら店の金蔓が減っちまうじゃあないですか。」

「あらやだご隠居様。お口がうまいんですから。」


 芝居がかった仕草で額に手を当てる三吉を諫めたのは、カウンターに座る初老の男性。

 彼もまた常連客の一人であり、落ち着いた物腰と、上品な態度は紳士然としている。

 地味だが、上等な着物をいつも身にまとっているため、いなりとみずめも含め、他の常連客達から“ご隠居”という愛称で親しまれている。 

 彼がどんな妖怪かをいなりは知らないが、みずめも一目置いているのを見ると、そこそこ良い立場の(あやかし)なのかもしれない。

 

「ちょっとー、みずめさーん。金蔓っての否定してくれねーのかい?」

「あら、なんのことです?」

「マージか。愛人候補にも置かれていなかっただなんて、オジサン悲しい。」


 知らん顔をするみずめに、大袈裟に肩をがっくしと下げる三吉。

 愛人だなんて普通娘のいる前でする話ではないが、彼の場合はそれが冗談前提のため、いなりはそこまで気にならなかった。


「つか、そんな話じゃなくてだ!いなりちゃん帰り路とか大丈夫か?いくら田舎っつても、不審者の数も減るわけじゃねーからなあ。」


 自分で話をそらしておきながら、ノリツッコミで軌道を修正する三吉。

 どうやら普通に心配してくれていたようである。

 この店の常連客は、いなりが店を手伝い始めた頃から娘のように可愛がっている。高校の入学式の日に佐助を含めてちょっとしたお祝いをしてもらったのはいい思い出だ。


「大丈夫ですよ。最近会うのは学校妖怪や友人の妖怪達だけですから。」

「いやそうじゃなくて、人間の方ね!?」


 その時、ぶっと後ろの方で吹き出す音がした。振り返ると、ゴホゴホとむせているご隠居をみずめがあらあらと言って介抱をしている。

 いなりも慌ててコップに水を汲んでくる。


「あのねー、いくら妖怪だからとはいえ女の子が一人歩いてたら普通に危険だからなあ?」

「いなりって変なところで鈍いのよねえ・・・。」


 頬に手をやり、はあと呆れたようにため息をつくみずめ。そんな些細な仕草ですら、物憂うようにしか見えないのは美女の特権である。

 しかし、普段ならば見とれてるはずの三吉はいなりの方をみずめと同じく白けた目で見ていた。


「はあ・・・。」


 しかし、彼らが何を言っているのかわからなかったいなりは、盆を抱えたまま首をかしげた。

 そんないなりの様子を見て、さらに半目になる三吉とみずめ。

 この循環に終止符を打ったのは、気管に入り込んだ酒との格闘で勝利したご隠居であった。

 

「兎にも角にも、最近はどちらでも物騒な世の中になってますから気を付けてくださいね。」

「どちらでもというと?」

「どうもここのところ、裏が騒がしいようでしてね。」


 裏、というのは所謂裏社会のこと。しかし、ここで言う裏社会は人間の使う意味とは違う意味を指す。

 妖怪の中で、表社会とは人間社会のことを指す。つまり、人間社会に溶け込んで暮らす妖怪のことだ。そして、裏社会というのは人間に交わらず、妖怪本来の活動時間、夜を生きる妖怪達の社会だ。

 ただ、人間のものとの共通点をあげれば、どちらもきな臭い点であろう。

 実力主義である妖怪界において、人間の関わってこない裏社会ではそれが顕著に出る。そのため、四大妖怪の目が届かないところで数々の争いが起こるのだ。その原因は様々で、縄張り争いであったり金銭トラブルであったりと様々。

 しかし、いなりには昨日今日との一件があって心当たりがあった。

 それがはたして八重の言う競売(オークション)と関係があるのか定かではないが、それでも情報は多い方がいいだろう。  

 そう考えたいなりは鉄の仮面(ポーカーフェイス)のまま、ご隠居の話に耳を傾ける。


「あっちこっちで行方不明者が出て居ましてね。それも()()横濱を中心に。」

「「え。」」


 同時に、いなりとみずめは声をあげる。

 二人は別に話を割り込もうとしたわけではない。

 だが、その場所は少なからずとも彼女たちの動揺を誘うのに十分な効果があった。

 

「横濱って・・・。」

「今度の校外学習先ですね。」



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