8話
※次回更新予定日:2019年4月21日 16時~18時
翌日目が覚めると、朝になっていた。
外では朝の仕事が始まる前の慌ただしい雰囲気が漂う喧騒が聞こえてくる。
しばらくベッドで微睡んでいたが、一度覚醒してしまった以上二度寝するのは難しいようだったので仕方なく起床する。
身支度を整え、必要な物を準備し終えた後部屋の鍵を掛け宿の一階へと向かう。
階下に降りると丁度朝食の支度をするために食堂で働く彼女と目が合った。
「おはようペロットちゃん、早いですね」
「あ、ルークさんおはようございますー。ルークさんこそ早いですねー」
「ええ、二度寝しようと思いましたがなんだか妙に目が覚めてしまいまして」
「ふふ、そうですか」
それからペロットに井戸の場所を聞いた僕は宿の裏手の方へと向かう。井戸から水を汲み上げ、それで顔を洗う。
朝の冷え切った空気と井戸水の冷たさが相まって、思わず身体が震えるもののとりあえず意識がはっきりとしてくるのを感じる。
「よし、まずは朝食をいただきましょうかね」
そう独り言ち、食堂へと向かう。
朝の早い時間帯なのかそれとも客自体が少ないのか、食堂の椅子に座っている客は数組ほどだ。
そのまま待っていると、ペロットが料理を運んでくる。どうやら朝は固定のメニューらしい。
流石に絢爛豪華とは言えないが、朝のすきっ腹を満たしてくれるには十分すぎるほどの料理だ。
ポタージュのスープに新鮮なサラダ、そして薄い茶色のパンのラインナップだ。
この世界では一般的に黒パンと呼ばれる固いパンが主流となっている。
貴族や王族などの富裕層では白いパンがよく食べられているが、一般的にパンと言ったら後者のパンだ。
ところが今出されているパンは白パンと黒パンの中間程の薄茶色のパンだ。
白パン程高価なものではないが、黒パンと比べればそれなりの値段で販売されている。
それだけでもこの宿のサービスの高さが窺える。
出された朝食に舌鼓を打ちながら、食べ終わった食器を戻そうとすると厨房にいた男性に声を掛けられた。
見た目は三十代前半の働き盛りといった年代で雰囲気がどことなくペロットに似ている。
「よう、昨日はうちの娘を助けてくれてありがとな。俺はラルド、この宿を経営してる」
「初めまして、ルークと申します。あの、娘というのは?」
「ああ、悪ぃ、ついついいつもの癖で要点を省いちまった。娘ってのはうちの看板娘のペロットだ」
「そうでしたか、お父さんです――」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはないよ……うちのペロットは誰にも渡さ――ほぎゃあ!?」
負のオーラを纏ったラルドが僕を睨みつけてきたと思ったら急に彼が僕の脇を通り過ぎて行った。
どうやら誰かに後ろから殴り飛ばされたと理解した。なぜなら彼が元居た場所のすぐ後ろで拳を振り下ろした後の体勢でいる女性がいたからだ。
ラルドと同じくらいの年代層で茶色の髪をサイドに纏めた緑色の瞳を持った女性でペロットによく似ている。
おそらく流れ的にはラルドの妻でペロットの母親といったとこだろう。
「まったくあんたはお客さんに向かってなんてことを……して、るん……だい?」
「うん?」
ラルドに悪態をつきながらこちらに目をやった彼女が徐々に言葉尻になるにつれて語気が弱くなっていった。
そして急に九十度のお辞儀をしたと思ったら――。
「娘の事、よろしくお願いします!」
「は、はい!?」
彼女の言葉に困惑していると、ラルドが復活してきたらしく彼女の言葉に抗議の声を上げる。
「お前、初対面の彼に向かってなんてことを言うんだ!? いきなり娘をよろしくなどと……俺は認めんぞ!!」
「あらぁ、あなたの意見なんて誰も聞いちゃいませんよ。それよりも今はっ!」
そう言うと僕の両肩をカシッと掴むと鬼気迫る勢いで彼女が問いかけてくる。
「お客さん、お名前を教えてくださるかしら?」
「は、はぁー、ルークと言います。昨日からここでお世話になっている冒険者です」
「そう、ルーク君って言うんだ。わたしの名前はローラよ、今日からお母さんと呼んでもらって結構よ」
「は、はい?」
「何を言っとるんじゃーーー!!」
“お父さん”と呼ばせない男と片や“お母さん”と呼ばせたがる女の壮絶なる戦いが開幕仕様としていたその刹那。
二人の頭上に衝撃が走り、その勢いで床に突っ伏してしまう。
そこにいたのは僕の見知った人物で、今床とキスをしている二人の娘であるペロットだった。
「お父さんもお母さんも朝は忙しいんだから、世話焼かせないでくれる?」
「ペロットちゃん……」
「あ、ル、ルークさん!? い、いたんですね……あの、うちの両親が何か粗相をしましたでしょうか?」
「いや実は……」
僕は彼女に事の顛末を包み隠さず話した。
話の全容が明らかになっていくにつれ、彼女の顔が憤怒の表情に変わっていくのにそれほど時間は掛からなかった。
全ての話を聞いた彼女はなんとか再起動を果たしたラルドとローラの頭にぐりぐりと拳を押し付け出した。
「いた、いたたたた、ペ、ペロット、痛いからやめてくれないか?」
「いたたたた、そ、そうよペロット、わたしはあなたのために――」
「問答無用!」
その後子供に折檻される親という珍しい光景をぼんやりと眺めていること数分、どうやら折檻を終えた彼女が僕の所へとやってきて謝罪の言葉を述べる。
「ルークさん、本当にすみませんでした。うちの親が……」
「い、いえ気にしてないので大丈夫ですよ。さすがに“お母さんと呼んでもいい”と言われた時は戸惑いましたが……」
「お恥ずかしいですー、悪い親ではないのですが、時折行き過ぎてしまうのが玉に瑕で……」
そう言うと未だに正座させられている二人を睨みつける。
その強烈な視線に二人の身体がビクリと硬直する。……ペロットちゃんって怒らせると意外と怖いんだな。
「あのー、僕はこれで失礼しますね」
「あ、ルークさん、お昼はどうされるんですか? うちの宿は言ってくれれば弁当を作りますが……」
「そう……ですね、じゃあお願いできますか?」
「畏まりましたー、今から作らせますので、三十分後にまた食堂に来ていただいていいですか?」
「わ、わかりました、では三十分後に……」
そう言うと僕はラルドとローラの横を通って自分の部屋に戻っていった。
二人とすれ違う際、ラルドは僕を睨みつけ、ローラは僕に向かって小さく手を振っていた。
ルークがいなくなると、ラルドとローラの目の前には憤怒の色に顔を歪ませた悪魔がいた。
年頃の少女である華奢な身体つきの彼女から出ているとは思えないほどの圧倒的な存在感と威圧感を醸し出す彼女は、差し詰め悪魔魔将と見まがうほどだ。
「自分たちが一体何をしたのかわかってるの……?」
「「はい……」」
「いつも言ってるよね……? お客さんに無闇矢鱈に絡んじゃダメだって……」
「「すいません」」
「今回は許すけど、次やったらどんな目に会っても知らないからね……?」
「「き、肝に銘じます……」」
有無を言わせぬ彼女の雰囲気に、親であるにもかかわらず謝ってしまうラルドとローラ。
それだけペロットの雰囲気が凄すぎるのだ。だが今回の彼女はいつもと違っていた。
親である二人ならば当然その変化に気付かないわけがなかったのだ。
「そ、それに二人の力を借りなくたって、ルークさんは自分の手で必ず――あっ!」
自分が思わず本音を漏らしてしまったことに気付き、慌てて手で口を押えるも時すでに遅しだった。
「まあ、ようやくペロットにも春が来たのねー。やっぱりお母さんの目に狂いはなかったわー」
「嘘だろペロット!? 嘘だと言ってくれ! いや、お父さんは認めないぞ、あんな優男に限って中身は野獣だったりするんだ! 優しく近づいたところにその牙を突き立て、お前に襲い掛かるに決まってるんだ!!」
ペロットの反応に全く真逆の反応を見せるラルドとローラだったが、そんな二人の反応もお構いなしに再び負をオーラを纏わせると二人に言い放った。
「そんなことはどうでもいいから、早く仕事して欲しいんだけど……?」
「「は、はい……すみません」」
二人が持ち場に戻る際、ペロットが父親であるラルドに向かって「もしルークさんが野獣でも、彼だったら……」と身体をくねらせながら言ったことで、ローラは歓喜し、ラルドは娘の名前を絶叫しながら絶望するという光景が展開されたというのは言うまでもない事だろう。
ルークが部屋に戻って三十分が経過した後、部屋を出て食堂に向かう。
言われた通り既に弁当は完成しており、ラルドが手渡してくれた。
だが弁当を彼から受け取った時、理由は皆目見当がつかないのだが、ラルドが血の涙を流しながら「よくも娘を……」と訳の分からないことを言っていた。
そんな彼の脇腹に肘鉄を食らわせながら「なんでもないですので、気にしないでくださいねー」とペロットが言っていたので、大したことではないのだろう。
ただ気になったのが、食堂の掃き掃除を止め笑顔で僕に手を振っていたローラが「今のうちに花嫁衣裳を作っておかなくちゃ、忙しくなるわね……」というつぶやきが聞こえてきた事だった。
そのまま三人に見送られ宿屋を後にした僕は、どこにも寄らずに冒険者ギルドへとやってきた。
まだ朝の時間帯なのにもかかわらず、ギルドには多くの冒険者が詰めかけ、クエストが張り出されている掲示板を真剣眼差しで吟味している姿があった。
「おはようございます、ルークさんちょっとお時間よろしいですか?」
「はい、大丈夫ですけど、何かありましたか?」
「とりあえず、ギルドマスターの所まで行きましょう」
そう言って、僕をギルドマスターの所まで案内する。
前回通された部屋と同じ場所に案内されたのだが、そこには膝を曲げ両手を床に付き額を床に密着させた所謂“土下座”状態のクリストファーの姿があった。
何事かと僕が困惑していると、申し訳なさそうな声色を発しながら彼が口を開いた。
「す、すまないルーク君! 実はあれからいろいろあって君のSランク認定の話が無かったことになってしまったんじゃ!」
「何があったのか詳しく聞かせてくれませんか? とりあえず、顔を上げてくださいクリストファーさん」
「あ、ああ実はのぅ……」
それはどこにでもありそうなよくある話だった。僕がギルドを出た後にそれは起こった。
どうやらギルドの決まり事として、Sランク以上の冒険者が出た時は各ギルドに報告しなければならないのだが、その時たまたま他のギルドのギルドマスターをやっている人物がクリストファーの元を訪ねていた。
その人物が今日新たに認定された僕の事を知りクリストファーに意見したらしい。
“いくら元Sランクパーティーの冒険者だからといって、そのままSランクに残存させるのは些か早計すぎる判断なのではないですか?”と。
この意見に対し、僕が受けたクエストの結果を踏まえた上での判断だと反論し、クエストの詳細な結果を提示したのだが……。
「確かに結果だけ見ればSランクでも通用しそうな内容ですが、本当にこの結果が彼の実力だとお考えだと?」と言ってきたらしい。
どうやら僕が受けたクエストはあくまでも下位の冒険者ランクを見るために使われるクエストであり上位の冒険者の実力を査定するクエストとしては不十分なものらしい。
その矛盾を突かれたクリストファーは、仕方なくSランクにする予定だった案件を保留とする他なかったという。
クリストファーの決定に異を唱えたギルドマスターは、この国の有力貴族や王族にも面識があったため、下手に歯向かうと後に厄介な事になり兼ねないため苦渋の決断を下すしかなかったのだ。
「ということで、ルーク君のSランクの話は一旦保留とさせてもらいたいのじゃ。君には本当に申し訳ないことをしてしまったが、こちらも引き下がる他なかった。本当にすまない」
だだクリストファー自身もそれは分かっていたことだった。
下位の冒険者ランクを査定するクエストをいくら優秀な結果で遂行したとしても、いきなりSランクに認定するなど異例中の異例だということを。
だが、元Sランクの冒険者パーティーであることと、クエストの結果に舞い上がってしまい思わずSランク認定を出してしまったのだ。
ギルドマスターとしてではなく、クリストファー個人の感情で認定してしまったことと今回のクエストの矛盾点を突かれた結果Sランク認定を取り下げる事態に陥ってしまった。
「気にしないでください、元々僕にはSランクなんていうものは不相応だと思っていましたし、今はソロで活動しているので最初は低ランクのクエストから受けて行こうと思ってたんですよ。だからSランクじゃなくても大丈夫です」
「そう言ってもらえると、こちらとしては助かるが……」
「それで、具体的に僕のランクってどれくらいになるんでしょうか?」
「そうじゃな、前回ルーク君が受けたクエストはCランクだったからのぅ。結果的にはCランクにしてやりたいが、また奴にケチを付けられる可能性があるからな、すまないがしばらくDランクで頑張ってくれないかの?」
「分かりました。それで話は終わりですか?」
僕の問いかけにクリストファーが頷いたので、「では僕はこれで失礼しますね」と言って部屋を後にした。
僅か一晩でSランクからDランクに落ちてしまったが、元々僕には過ぎたランクだと思っていたのであまり気にはならなかった。
クリストファーに意見したギルドマスターが誰だったのか聞けなかったが、それはまた次に会った時にでも聞けばいいと思い今日受けるクエストを探すべく掲示板に向かった。
※次回更新予定日:2019年4月21日 16時~18時