表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
敬天愛人  作者: 北海雄一
4/8

江戸へ

島津斉彬はそれらの意見書をすべてみていた。

「なにか有用な者はござりましたか。」

傍らに控える小松帯刀が言う。

「うむ、この意見書を出しているのは誰だ。」

そう言って吉之助が書いた意見書を見せる。

「郡方書役助の西郷吉之助と申すものでございます。」

小松帯刀は言う。

「あの時の。」

「あの時とは。」

「以前門の前で太い大声を出しとった男だろう。」

斉彬は言う。

「ああ。」

言われてみればそうだった。

たった今まで小松帯刀はその事を忘れていた。

「その男に会ってみたいものだ。」

斉彬はそう言った。

小松帯刀は驚いた、まさか殿様がそこまでその男のことをお気にかけているとは。

「わしは江戸に行く。」

「存じております。」

「その供をしたい者を集めろ。」

小松帯刀は驚いた、集めろとはどういうことだろう。

「それは藩士皆から集うのですか。」

「もちろんだ、今は国家存亡の危機である。かかるときは有用な者を藩を上げてつどらねばならない。」

斉彬は朗々と言った。

「わかりました。」

小松帯刀はうなづきすぐに御触れを出した。


嘉永5年(1853年)西郷家では西郷吉之助が悲しみに暮れていた。

立て続けに父と母を亡くしたのだ。

吉之助はこれでまだ幼い弟や妹達も食べさせていかねばならなくなった。

そんな折に郷中の者から江戸行き希望の者は申し出すようにという御触れが出された。

大久保正助は西郷家に飛び込んできた。

西郷の妹の琴が出迎える。

「正助さあ、そんな息を切らしてどげんしたとね。」

大久保正助は肩で息をしながら

「き、吉之助さあはおりもはんか。」

と言う。

「兄さあなら奥におります。」

そう言って正助を家に上げる。

琴は父と母が亡くなってから西郷家の母親代わりになっていた。

吉之助は奥で幼い兄弟の面倒を見ていた。

「吉之助さあ。」

正助がすごい勢いで駆け込んでくる。

「どげんしもしたか。」

吉之助は言う。

「なに落ち着いとるとですか、ご藩主様が共に江戸行きに行くものを薩摩兵児の中から集ってごわす。」

「ほんごてな正助どん。」

吉之助はびっくりして立ち上がる。

「まあ、落ち着きやんせ江戸に行く言うたら二才頭を勤めとった吉之助さあほど適任な者はおりもはん、おいは謹慎の身じゃって吉之助さあおいの分も夢を叶えてくいやい。」

この時代江戸と言えば文化の中心で誰もがそこに行きたがった。しかし藩に勝手に藩を抜け出ることは出来ない。それを脱藩と言う。長州藩に革命を起こした高杉晋作はよくやった、しかし長州藩はことさら若者に優しく何度も許された。ここ薩摩藩ではありえない。

しかしこの度その江戸に行く機会が多くの薩摩藩士に与えられた。

「もちろん行きもんそ。」

大久保正助は言う。

しかし喜びに浮かれたのも束の間吉之助は座り込んだ。横では幼い弟、妹が

「兄さあ、兄さあ。」

と言ってじゃれてくる。

「この通りじゃ正助どん。」

そう言って吉之助は両手を広げ笑う。

「おいが江戸に行くわけにはいきもはん。路銀もなかで。」

大久保正助も吉之助の家の事情が分かっているから金がないことも知っていた。だがこの幼馴染みになんとしても江戸へ行ってもらいたい。

「わかりもした、諦めもす。またの機会を待ちもんそ。」

正助はそう言って帰っていった。

しかし、そう言っただけで大久保正助は吉之助を何としても江戸へ行かそうと心に決めていた。 ひそかに方々へ周り金を集めていた。


当初江戸行きを諦めて江戸行きの願い届けも届け出していなかった吉之助だが思わぬ運が巡ってくる。

藩主島津斉彬が江戸行きの藩士の名簿を見て西郷の名前がないことに気が付いたのだった。

既に斉彬は吉之助に目をつけていた。

「かの者の名がないな。」

島津斉彬は小松帯刀に言う。

「かの者とは。」

「西郷と申すものじゃ、江戸行きを命ずる。」

「なんと。」

殿はそこまで西郷の事を気にかけていたのかと小松帯刀は思った。


この知らせを聞いた吉之助は狂喜乱舞した。

「お殿様がおいのことを覚えていて下さった。」

身が震える思いだった、しかし金がない。

その日から借金してまで吉之助は江戸行きの金を集めた。妹の琴や弟の吉二郎も金を集めてくれた。

「兄さあ、畑や内職で集めた金でごわす。持っていてくいやんせ。」

西郷吉二郎はそう言い金を吉之助に渡す。

「あいがとなあ、おいは今日からおはんの事を弟とは思わん。兄と思いもす。」

そう言った。

「やめてくいやい兄さあ。」

そう言って吉二郎は笑う。

琴も吉之助の江戸行きを祝ってくれた。

「兄さあは西郷家の誇りじゃって。」

「皆に苦労をかける、ほんのこてあいがとなあ。」

吉之助は明日の江戸行きを控え泣いていた。


とうとう吉之助が江戸へ行く日がやってきた。

「皆行ってくんで。」

昨日は泣いていたが今日は誰も泣いていない。

「兄さあ、きばりやんせ。」

妹の琴が言う。

「兄さあ、体に気を付けてな。」

弟の吉二郎が言う。

吉之助は江戸行きに旅立った。しばらく歩いていると後ろから声がした。

「吉之助さあ、吉之助さあ。」

振り向くと大久保正助がいた。

「正助どん、見送りかい、あいがとなあ。」

大久保正助は息を切らしながら吉之助に追い付き手を握った。吉之助が手を開くとそこに路銀が詰められた袋があった。

「こいはないな。」

吉之助は言う。

「吉之助さあ、江戸では何かと物入りじゃ。持っていってくいやんせ。」

大久保正助の友としての心遣いにまたも吉之助は涙を浮かべた。

「すいもはん正助どん。必ずお殿様のお役にたちもす。」

吉之助はそう言って大久保正助の顔を見る。

「あったりまえじゃ、おいも次は江戸へ必ず行きもす。」

「あい。」

大久保正助と別れて吉之助は大名行列にいた。

歩きながら桜島を眺める。

やがて見えなくなった、西郷吉之助が薩摩を出るのは生まれて初めてである。

この年西郷28歳のまだ寒さの残る春であった。

最後まで読んで下さりありがとうございます。

よろしければご感想、ブックマークして下さるととても嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ