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短編いろいろ

雨の日の吸血鬼

作者: はいあか

 この世界には、いつからか人間以外の存在が暮らすようになっていた。

 彼らは徐々にやってきて、密やかに日々に溶け込み、いつしか世界に暮らす人々の、半数を占めるようになったのだ、と教科書は語る。


 かつて、彼らは無数の名前で呼ばれていた。

 妖怪、お化け、悪魔、魔物。今は俗に、すべてまとめて魔性と呼んでいる。

 特殊な力を持ち、ときに人を襲う彼らを、人々は忌み、恐れていた。

 年寄りなんかは、今でもそうだ。いつの間にか世界を侵食した彼らに怯えたり、疎んだりしている。


 でも、私が生まれたときには、もう彼らはそこにいた。

 かつて、人間だけだった世界の方が、私には信じられない。

 近所に住む人々にも、コンビニの店員にも、よく行くスーパーのレジ打ちの中にも、彼らは存在する。

 私の通う、中学校の同級生にだって。


 〇


 その日は雨が降っていた。

 梅雨時にふさわしい長雨で、放課後になってもずっと止む気配はなかった。

 長引いた委員会を終え、慌てて帰ろうとしたときも、まだ雨は続いていた。


 放課後はにぎわう昇降口も、今は静まり返っていた。

 雨の音だけが、絶え間なく響き続けている。校内の電気も消され、校庭の電灯も雨でぼやけて頼りない。昇降口の正面に掛けられた時計は、二十時を示していた。中学生には遅すぎる時間だ。

 そんな時間に、佐倉はひとり、昇降口に立っていた。

 うっとうしそうな長い前髪をかき分け、途方に暮れたように雨空を見上げている。眉をしかめ、ため息をつき、軽く頭を振っては、また空を見る。

 近くには誰もいない。そもそも、昇降口にいるのは私と佐倉だけらしい。時間が時間だけに、誰もいないのは当たり前だ。

 だけど、もっと早い時間でも、佐倉の傍には誰もいなかっただろう。

「佐倉」

 傘立てから自分の傘を抜きつつ、背を向けた佐倉に呼びかけた。

「佐倉、傘ないの?」

「……えっ」

 驚いた顔で、佐倉は振り返る。

 その容姿は、昨年同じクラスだった時の、記憶の中の佐倉とほとんど変わらない。

 目を覆うほどの重たく長い前髪に、分厚い眼鏡。女性じみた細い輪郭。体つきは細く、背はそこまで高くない。夏なのに長袖のシャツを着て、その上袖が余っている。魔性らしからぬ野暮ったさを持った、地味な男子生徒だ。

「……西村?」

 佐倉は、おずおずと私の名前を呼んだ。ほとんど会話をしたことがなかったが、名前を覚えてはいてくれたようだ。

「傘、忘れたの?」

 私が聞くと、彼は首を横に振った。眉間にわずかに皺が寄っている。

「いや。差してきたよ。朝から雨だったし」

 でも、と佐倉は目を伏せる。伏せた視線の先は、私の手の中の傘を経由して、傘立てに向かう。

「でも、なくなった」

 傘立てには、折れた傘や破れた傘がいくつか残っている。傘を壊した誰かが、代わりに佐倉の傘を持って行ってしまったのかもしれない。

 魔性のくせに、佐倉にはそういうところがある。

 人より強い力を持った魔性は、だいたいカーストの上位にいるものだ。クラスの中心の人気者で、上位のグループに属して、騒いだり盛り上がったり、あるいは陰湿な嫌がらせをして遊んでいたりする。

 ただの人間がそのグループに属せることは少ない。たいていはその一つ下のグループで、彼らにおもねるか、目を付けられないようにひっそりとまとまっている。

 私はといえば、そもそも人付き合いが得意ではなく、どのグループにも属せずにいた。案外似たような層はいるもので、二人組やグループを作るときは、そんなはぐれ者たちで集まってやりすごすことができる。

 佐倉は魔性でありながら、そんなはぐれ者の一人だった。

 魔性であるがゆえに、はぐれ者の人間たちからも避けられ、同じ魔性たちからも遠巻きにされる。それでいて、陰ではクスクスと笑われるようなタイプだった。

 私も、積極的に佐倉に関わろうとはしなかった。

 性格や、容姿のせいもあるだろうけど、佐倉の場合はそれだけじゃない。

 彼の魔性の、特異性ゆえだ。

「雨、駄目なんだっけ」

 私は傘を握りながら、佐倉と雨を交互に見やった。淡々とした雨音は、強くなるでもなく、弱くなるでもなく、いつまでも止む気配はない。

「雨だけじゃなくて、流れる水が。……俺、吸血鬼だから」

 佐倉は、日本では珍しい吸血鬼だ。

 狐狸のように、人に化けられるだけじゃない。容姿が異なるだけ、腕力が強いだけ、人の心が読めるだけ、ではない。

 血を吸うことで他人を従え、目を見れば人を魅了し、不死の力を持つ。獣に化けることもできるし、人間以上の身体能力も持つ。

 一方で、弱点も多い。日光が苦手で、雨も苦手。十字架、にんにく、銀の弾丸、全部苦手だ。弾丸は、人間だって苦手だけど。

 うかつに近づけば、佐倉に魅了されてしまうかもしれない。あるいは逆に、彼を傷つけてしまうかもしれない。

 吸血鬼の強さと繊細さが、佐倉を孤立させる理由だった。


 私は目を伏せた。

 雨は降り続ける。

 周りには誰もいない。たぶん、もうこの学校には、佐倉と私くらいしかいないのだろう。あとは守衛さんが、昇降口に鍵をかけに来るくらいだ。

 守衛さんなら、佐倉を放っておいたりはしないだろう。どこかに予備の傘くらい置いてあって、それを貸してくれるに違いない。

 でも、それが何時になるかわからない。それまできっと、佐倉はひとりでここにいるのだろう。

「……佐倉、傘」

 私は傘を握りなおすと、佐倉に押し付けた。佐倉が驚いた様子で受け取る。

「貸してあげる」

「でも、それじゃ西村が」

「いいよ。私は人間だから、雨も平気だし、家も近いし」

 私は傘から手を離すと、一歩後ずさる。

「明日、返してくれればいいから」

「西村」

 佐倉の言葉を聞かず、私は勢いをつけ、雨の中に駆けだした。



 〇



 翌日の放課後、昇降口で佐倉が待っていた。

 昨夜とは異なり、早い時間。昇降口は人で賑わっている。

 私の靴箱の前に立つ佐倉は、その賑わいとは少し距離を置かれていた。

 佐倉の傍を通るとき、みんな少し声を落とす。そして通り過ぎた後、彼を振り返り、こそこそと囁き合う。

 なんて言っているのかは、想像がつく。吸血鬼への畏怖と、吸血鬼らしくない容貌の佐倉への揶揄だ。

「西村。傘返すよ」 

 佐倉は私を見つけると、早口にそう言って傘を渡した。

「ありがと」

 そのまま彼は踵を返す。下足箱の角を曲がり、あっという間に姿が見えなくなった。

 ――――自分の下足箱に向かったのかな。

 なにも言う暇がなかった。別に、佐倉と話すこともないけど。あんまり一方的で、ちょっと呆気にとられた。


 私は返してもらった傘を手に、昇降口を出た。

 空からは、パラパラと雨が落ちてくる。朝は晴れていたのに、昼過ぎからまた振り出してしまったのだ。昼頃はまばらだった雨も、今は本降りになり、空の雲はますます厚くなっていく。

 朝の天気に騙されて、傘を忘れた生徒たちが、騒ぎながら私の横を駆け抜けていく。

 降水確率、五十パーセント。私も騙されて傘を忘れた口だ。佐倉の傘がなかったら、また濡れて帰るところだった。

 そこで、はたと気がつく。

 ――佐倉、傘持ってたっけ?

 私に渡した一本しかなかった気がする。渡した後も、外に向かわなかった。

 もしかして、また雨が止むまで待つつもりじゃないだろうか?


 引き返して昇降口を見回すと、端の方に佐倉が立っているのが見えた。

 昨日と同じように、空を見上げてため息を吐く。

 誰も、佐倉に声をかけようとはしない。

 佐倉は委員会も部活もしていない。昨日は夜まで、ずっとああして立ち尽くしていたんだ。


「………………佐倉」

 私はおずおずと佐倉に近付くと、返されたばかりの傘を突きつけた。

「使っていいよ」

「西村。いや、悪いよ」

 佐倉は傘を手に取らない。両手を振って、首まで降って遠慮する。

「いいから。雨、どんどん強くなってるし」

「昨日も貸してもらったのに、また借りるわけにはいかないだろ。西村、昨日も濡れて返ったんだから」

「でも、佐倉。傘借りる当てないでしょ」

「…………ないけど」

 佐倉は目を伏せ、苦々しく口を曲げた。こうしている間にも、佐倉に声をかける生徒はいない。私が話している姿を、物珍しそうに見ているだけだ。

 貸す、貸さないの押し問答をするうちに、昇降口の人気もだんだん減ってきた。雨はまだ強くなっている。

 しばらくして、ふと佐倉が聞いてきた。

「西村の家、どっち」

「えっ。…………団地の方。その手前の、花屋の近く」

「じゃあ、同じ方向だから送っていくよ」

「は?」

 思いがけない提案に、変な声が出た。佐倉は平然としているように見える。前髪と眼鏡で、表情がわからないせいだ。

「西村の家に着いたら、その傘借りて帰る。途中までは、一緒の傘に入ろう。…………いやじゃなければだけど」

 私はとっさに返事ができなかった。

 佐倉と一緒に帰る?

 想像もしたことがなかった。

 外はもう、どしゃぶりだ。雨が地面をえぐるように、強く叩きつけていた。




 結局、私は佐倉と並んで帰ることになった。

 佐倉も譲らないし、私も譲らないのだから、こうなるほかになかったのだ。

 道中、会話はほとんどなかった。この雨の中、すれ違う人もいないのは助かった。こんなところ見られたら、誰に何を言われるかわからない。佐倉にだって迷惑だろう。

 傘は佐倉が持ってくれた。傘を持つ佐倉の横を、ただ黙って歩くのは、妙に気まずい。佐倉は無言のまま、前だけを見ている。たまに、なにか言いたげに口を開きかけ、そのまま閉じるあたり、私と同じようなことを感じているのだと思う。

「佐倉」

 耐え切れずに、先に口を開いたのは私だった。

「なくなった傘、戻ってきた?」

「戻らないよ」

 当たり前のように佐倉は言う。

 ――そりゃ、そっか。

 今日も雨だ。戻ってきたところで、また誰かが持って行ってしまう。

「佐倉も、誰かの傘借りちゃえばよかったんじゃない?」

 傘立てには、まだ数本の傘が残っていた。誰かが勝手に使ったんだから、佐倉だって同じことをしてもいいじゃないか。無責任に考えた私の言葉に、佐倉は前を向いたまま渋い顔をする。

「そんなことしないよ」

 はっきりした声だった。

 私は思わず、佐倉の顔を見上げた。

「俺が借りた分、誰かが困るだろ」

 生真面目そうな横顔が、咎めるような口調で告げる。

 そうだ。誰かに傘を盗られたぶん、佐倉は困っていた。夜までずっと、雨が止むのを待つくらい。傘を盗った誰かより、吸血鬼なぶんだけ佐倉の方が困っていた。

 でも、佐倉は同じことを他の誰かにはしないんだ。

「……ごめん。よくないこと言った」

「あ、いや、言い方きつかった。俺こそごめん」

「いやいや」

 申し訳なさそうな佐倉に、私は首を振った。それからまた、佐倉の横顔を見上げる。

「………………佐倉って、いいやつだね」

「は!?」

 ぎょっとしたように、佐倉が私に振り返った。勢い振り向いたせいで、眼鏡がちょっとずれる。前髪が雨に濡れ、普段隠している彼の目を露わにした。

 ずれた眼鏡の奥。見えるのは、吸血鬼特有の赤い瞳だ。吸血鬼種特有の端正な目元は、ほっそりとした佐倉の顔立ちによく似合う。

 佐倉はすぐに眼鏡を直すと、濡れた前髪でまた顔を隠した。私から目を逸らし、また前を向く。

「あんまり見ないほうがいい」

 佐倉は小さな声で言った。

「目を見ると、魅了されるから。雨の中は力が落ちるから、少しましだけど」

「…………だから隠してるの?」

 佐倉は黙っている。

 思えば雨の中、並んで歩いていても、佐倉はほとんど私の方を見ようとしなかった。眼鏡の奥に顔を隠したまま、ずっと前を向いていた。

 吸血鬼のくせに、自分の前髪は濡れても、私が濡れないようにしてくれていた。


 美貌を誇る吸血鬼種のくせに、暗い、ダサいと佐倉は陰で笑われている。本来は力ある魔性だからこそ、らしくない佐倉は物笑いの種になってしまう。

 でも本当は、佐倉はダサくもないし、野暮ったくもないんだ。


「仕方ないけど、ちょっともったいないね。きれいなのに」

「西村、見るなって」

 佐倉はそう言うと、口を引き結んだ。見上げる横顔が、どこか苦々しさをにじませる。

「…………あと、あんま変なこと言うな」

 かすれた声で、気がついた。

 前髪でも隠せない、佐倉の頬が少し赤い。

「う、うん」

 私も慌てて前を向きなおした。さっきまでずっと見ていた佐倉の顔を、今はなんとなく見づらい。

「あの、変な意味じゃないんだよ、変な意味じゃ!」

 佐倉から目を逸らしたまま、私は妙に強い口調で言った。佐倉も、同じくらい語気を強めて応えた。

「わかってる。わかってる!」

 その後は、家までずっと気まずいまま。

 言葉もなく、雨の音と足音だけが響いていた。



 早足で家まで帰ると、佐倉にはそのまま持っていた傘を渡した。

 佐倉は傘を手に、どことなく力んだ声で告げた。

「明日こそ返すから!」

「う、うん。また明日」

「うん。…………また」

 小さく手を振って、佐倉はもと来た道を戻って行った。

 …………同じ方向だって、言ったのに。



 〇



 あれから、佐倉は雨の日に傘を忘れるようになった。

 わざとなのか、持ってきたのに盗られたのか、それとも本当に忘れたのか。

 私にはわからない。


 わからないけど、そういう日はたまに、一緒に帰る。

 きっと、雨の日にしか見ることのできない、佐倉の瞳を見るために。





「佐倉の家って、本当は反対側なんだってね」

 六月も終わりに近い雨の日。

 同じ傘に入る佐倉を見上げ、私は言った。

「学校の裏の方なんだって。聞いたよ」

 佐倉ははっとしたような顔で私を見下ろした。なにか言いたげに口を開いて、閉じて、引き結ぶ。

 それから、深く息を吐いた。

「あの、騙そうとか思ったわけじゃなくて……」

「うん」

 はじめて一緒に帰ったあの日、佐倉は気を利かせてくれたのだ。私が申し訳なく思ったりしないように、と。


 でも、その後は?


 ずっと、反対方向の私を家まで送って、それから遠回りして自分の家まで帰っていたことになる。

 私が佐倉の家まで行って、そのまま自分の傘で帰った方が早いのに。


 佐倉は息を呑むと、一度私から目を逸らし、再び私を見据えた。眼鏡の奥、佐倉の赤い瞳が見える。魅了にかかるのも仕方がないような、宝石みたいな目だ。


「…………西村と帰れるから、黙ってました。それに、傘を借りたら、次の日も話ができるし」

 佐倉の頬が赤くなる。

 それを見ていると、私も照れくさくなる。

 でも、佐倉が目を逸らさないから、私も目を逸らせない。雨の日は効果が弱まると言っていたけど、全然そんな気がしない。

「………………傘を忘れてないときでも、一緒に帰っていいですか」

「うん……」

 小さな声で、私は答える。

「雨の日じゃなくても、いいよ」

 もうすぐ六月が過ぎ、梅雨の時期も終わる。

 太陽も苦手な佐倉に、今度は日傘を貸してあげよう。


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[良い点] かわいい二人に乾杯!!!
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