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太陽の魔女  作者: 重山ローマ
第一章 太陽の欠片編
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復讐姫 癒えない傷跡

 香山姫こうやまひめは、ただ不運な少女だった。

 何となく嫌われ、何となく嫌がらせを受け――その中で何となく生きてきた少女である。 


 人に嫌われることをしたことはなく、ではなぜ、彼女がこのような境遇になったのかは、それが彼女の才能だったというしかあるまい。

 道を歩いているときに目の前にコロリと落ちている小石のように、何となく蹴ってしまいたくなる少女だったのだ。


 体に傷がなかったことなどなく、彼女の素顔を知る人間はいない。

 病院にたどり着く前、アスファルトへ叩きつけられるように産み落とされた彼女は、本当の母親にすら、素顔を見られたことがないのである。


「きっと美しい顔になる。だから、大丈夫さ。心配する必要なんてない」


 彼女の父親は、泣き崩れる母親を慰めるが、彼の声は母親には届いていなかった。

 傷が治り始めると、母親は不安になってほんの少し傷を広げる。

 いつまでも彼女の傷は治らなかった。


 やがて母親から引き離された姫は、まだ自我がはっきりしていないころから、自分の顔の傷を掻いてしまう癖があった。

 痒みがあったのか、痛いということを大人に伝えようとしていたのか、今の彼女にはもうわからないが、そのせいで傷は一向に治らなかったのである。


 いつも包帯を顔に巻いていた彼女は、本来なら気味悪がられるようなことはあっても、暴力を振るわれるようなことはないはずだ。

 人間という生き物は、あまりに可哀想な存在には、それ以上に可哀想なことにはならないようにしようという同情が生まれてしまう。

 これ以上はだめだというブレーキがかかるのだ。


 しかし、姫の才能はこれだ。


「もっと、わたしを傷つけて」


 もちろん、彼女が口に出したわけではない。

 彼女がそう言っている気がしてしまい、周りの人間がその言葉の通りにしてしまうだけなのだ。

 ブレーキを破壊されてしまうのである。


 でも、全員がその言葉に従うわけではない。

 人間の中に少数紛れている、ブレーキが緩い人間が、我慢できずに飛びついてしまうのである。


 青の歩行者信号を見上げ、姫は沈黙する。

 あと何人殺せばいいのだろうか。


 クラスメートは既に始末し終えている。

 彼女の復讐は、既に完了しているはずだった。

 しかし、まだ何かを求めている。

 心が満たされないのだ。

 簡単に首を跳ねても、車をぶつけても、どこか羨ましいと思ってしまうだけで、姫は何の幸福感も得られなかった。

 だから、今度は目の前でゆっくり死んでいく様子を観察してみることにしたが、飽きてしまい放置したままだ。


 信号機から、ピポピポと警告音のような音が鳴っている。

 もうすぐ、信号が赤に変わるのだ。


 交差点にはおおよそ三十人の歩行者と、車が十数台ほど。

 人間の数で言えば、全部で五十人程だろう。


「みんな死んじゃえばいいのに」


 ぼそりと、姫は呟いた。


 一際強い風に、どこかで女性が短い悲鳴をあげた。

 髪が乱れるのを気にしてか、髪を抑えた腕と共に、頭が歩道を転がっていく。

 しばらくして、軽快な音が鳴り始めた。

 青信号だ。


 香山姫は、誰もいない赤い道路を歩いていく。

 やはり、何も満たされなかったようだ。


「待て、香山姫」


 そこに、一人少年が現れる。

 奇襲を企んでいた男だ。

 それだけが、彼に勝つ可能性のある手段だったにも関わらず、彼は体を堂々と晒し、姫の前に立った。


 彼の後ろの方で、物陰に隠れて慌てている少女が見える。

 彼が作戦を無視して前に出てしまったために、どうするべきか混乱しているのだろうか。


「お前の身の回りの人間を殺す、それは目を瞑るぜ。それなりに痛めつけられたのなら、仕返しにも納得する。お前にはその権利があるからな。だが、今回ばかりはちょっぴりやり過ぎだとおれは思うぜ」

「お前、だあれ」


 姫は興味なさげに少年を見た。

 少年は怯えているような様子はなく、その表情には怒りが現れていた。


「これでもこの国の王子なんでな。罪のない国民を殺したことだけは、おれは許さねえぞ!」


 二木灯篭ふたきとうろうの声は、静けさに沈む交差点を反響する。

 感情に任せて叫んだせいか、灯篭は息が上がっていた。


「そう……」


 姫はつりあがった口元に気づき指でなぞった。

 自分が笑っているのだと自覚すると、この感情が幸福感なのだと思い出す。

 空から降ってくる太陽を眺めていたときに感じたものと似ている。


 どれだけ傷を与えられても、どれだけ傷を与えても、姫は幸せだとは思わなかった。

 しかし、彼から向けられる殺意――彼女を傷つける人間は山ほどいたが、そこに殺意はなかった。

 初めて向けられたその鋭利な感情に、溺れてしまいたいと姫は手を伸ばす。


「お前も、死んじゃえばいいのに」


 彼を痛めつければもっと、その感情は強くなるに違いないのだ。

 姫の声に反応して、彼女のしもべは宙を蹴った。


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