復讐鬼 エンカウント ①
ただ隠れていたわけではない。
ただ怯えていたわけではない。
灯篭は、少女の正体に、確実に、少しずつ、近づいていたのだ。
初めに見たのは交通事故だ。
後にわかったことだが、被害者だけでなく、加害者も、同じ学校の人間だったのだ。
加害者も、被害者の一人だったということになる。
その関係は、ただ同じ学校にいるのとは違う。
被害者たちの担任教師が、加害者として、車に乗せられていたのである。
加害者となった伊藤環は、運転免許を所持していなかった。
もちろん、自分の車を持っているはずもない。
彼が乗っていた車は、学校に勤める別の教員の車だった。
もしガラスを割り車に乗り込んで、なんらかの方法で車を動かしたとしても、結局何の証拠も手に入れられない今では、答えにたどり着くことは不可能だ。
車はひしゃげてしまい、ガラスも全て割れていた。
わかっているのは、彼が人の車を盗み、そして運転免許を所持していないにも関わらず運転するようなことはしない人物ということだ。
もちろん灯篭は、人の感覚をそのまま飲み込むような真似はしない。
彼なりに伊藤環という人間を調べた結果、同じような結論を得るまでは信用しなかった。
しかし、彼は実際に車を運転し、事故を起こした。
このことは曲がらない。
何者かに操られていたと考えるのが正しいのだろうか。
灯篭は、まだ魔法の万能性を知らない。
ただ、彼の想像する魔法より多くのことが実現できることには、察しがついているようだった。
ただの殺人事件ではないのだ。
魔法が関係してしまっただけで、因果関係は成立しない。
しかし、もう犯人はわかっている。
その人物は間違いなく、被害者たちのすぐ近くにいた人間だ。
女であることも分かっていて、制服のおかげで学校も特定できた。
これで、彼女が何の関係のない人間を殺しているのだとしたら、灯篭は目を瞑る。
自分の正義感だけではどうにもならないことだからだ。
しかし、灯篭には自信がある。
間違いなく、彼女は、伊藤環の請け負っていたクラスの生徒だ。
そこに『正樹』という名前の男子生徒がいたのなら、確定だと思っていい。
侵入した校内は静かだ。
一歩踏み出した灯篭の足音が、小さく反響して闇に溶けていく。
クラス名簿のようなものが、担任教師の机にあるだろう。
しかし、職員室という場所は、セキュリティがしっかりしているのではないかと、灯篭は想像する。
例えばセンサーのようなもので、扉が開けばサイレンが鳴るような――。
灯篭は先に、教室を探してみることにした。
仮に職員室に問題なく侵入できたとして、伊藤環の机がすぐに見つけられるとは思えなかったからだ。
彼が死亡してから数日経っている。
机はもしかすると、片付けられている可能性だってあるのだ。
クラス名簿が、他の教員の場所に移されていることも考えられる。
いや、そうに違いない。
「ここだ」
すぐにその教室だと気づくことができたのは、机に並ぶ花瓶のおかげだ。
全ての机とは言わないが、ほとんどの机の上に、花瓶が並んでいる。
いくつか花が生けてあるが、ほとんどが空だ。
きっと追いつかなくなったのだろう。
花瓶がない机の生徒も、もう手遅れかもしれない。
恐る恐る中に入ると、教室というものに初めて入った灯篭でも、異様な光景に息を飲んだ。
倒れた机が一つだけある。
だれも直していないのだ。
花はすでに萎れていて、管理されていないようである。
誰かが管理するようにしていたのだろうが、気味が悪くなって近寄らなくなったのだとしても、だれも責めたりしないだろう。
灯篭は倒れていた机を起こした。
傷だらけの机の天板は、真新しい傷ばかりではない。
ほとんどが古く、汚れてしまっている。
他の机は、落書きがあるものはいくつかあるが、指で触れればわかるほどの深い傷がつけられているものはない。
これだけが異質だ。
「死んで当然のやつらだった、ってことか」
灯篭は、ため息混じりに呟く。
きっとこの机の持ち主が彼女だ。
名前が書いてあるものをと机を覗き込んでも、目をそらしたくなるものが入っているだけだ。
教室の黒板は二枚あって、正面と後ろに一枚ずつある。
後ろの黒板はカレンダーや授業予定、様々な連絡ごとの紙が、乱雑に貼られている。
その中に一つ、掃除当番と書いてある表を見つけた灯篭は、磁石を外して手に取った。
「正樹、正樹、正樹……あった」
決まりだ。
そして彼女の名前も、灯篭は手に入れることになる。
全ての曜日に、名前が手書きで書き加えられているのだ。
名前が分かれば、家の特定は比較的容易である。
奇襲するしかない――。
つまり、灯篭の作戦はこうだ。
今持っている欠片は一つだけ。
この欠片を使い、一時的に戦闘能力を手に入れ、不意をついて戦闘不能にさせる。
殺す必要はない。
ただ、頭にあるあの欠片の塊だけを手に入れることができれば、今持っている欠片を失っても問題はない。
もし失敗してしまえば最後の一つの欠片を失うことになるが、リスクを負うだけのメリットはあると灯篭は考えた。
しかし、この策はとてもうまくいくとは思えない。
現段階では、この作戦しか思いつかないというだけだ。
例えば、もう一つ欠片を手に入れることができるか、あるいは、葵のように魔法が使える誰かを味方につけることができたのなら――この無謀な作戦が実行されることはないだろう。
学校から脱出し、空を見上げた灯篭は、都合よく降ってくるのではないかと期待したが、そううまくいくはずもない。
「あなた、灯篭さんですよね。探しましたよ。いんやあ、案外簡単に見つかるもんですねえ。てっきり、数ヶ月は探すことになると思っていましたけど、あたしってば、案外やりゃあできる女ってことです」
ベレー帽の頭をポンポンと叩いてかぶり直した少女は、校門に足を組んで座ったまま、にっこりと笑みを見せた。
「お前、言っている言葉の意味がわからないぜ。探していたなんて言っておいて、校門に座っていやがったな。おれがここにいると分かって、ここを通るとわかっていなくちゃあ、そんなことはできるはずないぜ」
「ああ、いえ、高いところのほうが探しやすいじゃないですか。あたし身長低いし」
「信用できない。おれはお前を敵と認識するしかねえ。何者か知らねえが、今のおれはとても落ち着いていられるような状況じゃあないんだぜ。痛い目見るまでにさっさと去れ」
額に指を当てて「うーん」と何か考えている様子の少女は、灯篭の顔をまじまじと見つめ、手を叩いて納得したように頷く。
全ての挙動が、灯篭の神経を削っていくようだった。
「あたし、日向葵くんの妻です。味方ですよ、灯篭さん」
暫く思考を停止した灯篭は、慌てて少女を指差した。
「い、意味不明なことを言うんじゃあねえぞ! 信じないからな!」
震える指先は、灯篭の動揺がそのまま、体に出てしまっているようだった。