思い出
8
きっとその人は僕のことを探しているのだと思う。
僕たちの視線の先にエプロンをつけた裸足の女性がいた。
固定電話の子機を片手にうろうろとさまよい歩いている。
吐き出される白い息と震える体は、間違いなく僕の母だった。
いつもなら遅くなっても連絡をする。
今日の僕はそんなことをしていない。
子機を持っているのは警察にでも連絡をしようとしているからだろうか。
でも、それができないでいるのか。
いやきっと、あの人はすでに電話をかけたのだと思う。
しかし、学生が夜に帰ってこないなんてきっとよくある話なのだ。
何日も戻ってこないならともかく、ほんの数時間帰ってこないだけなくらいでは、警察は動かないだろう。
「いいの?」
あの人が母だということを太陽は気づいたらしい。
あまりに心配性で、過保護で、きっとその影響で僕はこうなったのだろうとわかっていた。
自分の体を大事にしすぎるおかげで、人との関係がうまくいかないことは多々あった。
ずっと母に守られてきた結果のことだ。
いまさらどうこうできることではない。
僕は母に背を向ける。
いつか母を離れなければならない。
だとすれば、そのいつかは今なのだと思った。
死にたくないという思いを捨てることはできないけれど、しかし逃げているだけで変わり始めている自分を止めたくはない。
「移動しましょう」
肩を掴まれて、僕は強く頷いた。