構造変化 ①
「宝石店に行くわ」
突然彼女が変なことを言い出す。
しかし、それも慣れたものだった。
いつものことながら、いろいろ文句を言いたくなるけれど、飲み込んで頷く。
指先で額を突かれ、僕はため息をつく。
ちょっぴり考えただけで、すぐに飲み込んでしまったとしても彼女には伝わってしまう。
面倒な人だ。
けれど、その程度で済ましてくれるのなら感謝する必要があるのは僕の方だろう。
「ある程度魔力運用は慣れてきたでしょう。次の段階に進むわ」
「それと宝石店と、何が関係あるのさ。まさか強盗でもするっていうんじゃないだろうね」
「まさか」
彼女はレジ袋を持ち上げて、僕に手渡してくる。
これから外に出かけるというのに、レジ袋を持っていくとは少し妙な話だが、中身を見て納得した。
ああ、いや、中身は納得したが、謎が新しく生まれるだけである。
彼女は当然のようにその大金を――硬貨数百枚をレジ袋の中に持っていたのだ。
貯金箱代わりとしてもおかしいし、そもそも僕たちは働いていない。
そのお金はどこから湧いてきたのだろう。
いままで全く考えたことがなかった。
「……まさか」
「何、文句言うわけ? だれも困らないじゃない」
指先に集中した魔力が、形を変えて硬貨となる。
僕が持つレジ袋の中に投げ入れ、彼女は家を出て行った。
「これ、偽物じゃないか」
「硬貨一枚一枚がしっかり管理されているミツツクニならともかく、この国では何も問題ないわよ。魔力を形にしているからといって、いつか消えるものでもない。そもそも私たちの家系は、この程度のことをしたところで叱られる筋合いはないわ」
それもそうか、と納得できなくもない。
この世界には、彼女たちの家系に、返しきれない恩があるのだから。
「お姉さん、こういうのは得意なんですね。てっきり、洗脳と透視だけだと思っていました」
「直接的に傷を与える魔法がうまくできないんでしょうね。もう敵もいないから、どうだっていいけれど」
もう安全な世界だから――。
どうして、彼女は僕に魔法を教えるのだろう。
僕の魔法の本質に気づき、興味が湧いたなんてことを初めは言っていたけれど、何か別の理由があるのだろうか。
こうして考えていることも、きっと彼女には伝わっているのだろう。
意図的に心を読まないようにすることはできるそうだが、わざわざすることでもないと言っていたし。
僕の疑問に答えないのなら、答えたくないということだ。
これ以上考えたところで仕方ない。
宝石店に入ると、中にいた店員がぞろぞろと並び、頭を下げた。
どうやら彼女、初めてここにやってきたわけではないらしい。
そもそも、思い出してみれば彼女たちの家には貴金属が多く、宝石がつけられたアクセサリーも少なくなかった。
つまり《魔具》を作るために、お姉さんだけは何度も、ここにやってきていたということなのだろう。
まだ魔具になる前のアクセサリーは家に残されていたはずだが。
「用意できていますか」
「え、ええ。勿論でございます。その、申し訳ございませんが、全てを集めることはできませんでしたので、いくつか加工されたものが」
「構わないわ。部屋を貸してもらえるかしら」
「すぐに」
店の奥へ通されると、ソファと机だけのシンプルな部屋に案内された。
おそらく契約をする際に使われる場所だろう。
「葵」
「あ、ああ」
持ってきたレジ袋を手渡すと、おそらく店長が目を丸くして押し返してくる。
「こ、こんなに!」
「気持ちよ。その代わり、私たちが中から出てくるまで、決して入ってこないで」
了解を得る前に扉を閉めたお姉さんは、ソファを指差して僕に座るように言った。
ガラスの机の上には、黒い箱がいくつも並んでいて、手書きのメモのようなものに印が付けられ置いてあった。
「ほとんどあるじゃない。すごいわね」
どうやら手書きのメモは、お姉さんがこの店に頼むためにあらかじめ渡しておいたものらしい。
おそらく、この中には宝石が入っているのだ。
いろいろ考えている僕の頭に気づいてか、彼女は答える代わりに全ての箱を開けた。
小さな光が中にしまってある。
赤、青、様々な宝石だ。
なぜかハサミや包丁も並んでいるが、そのことは気にしないほうがいいのだろうか。
まさか彼女が、宝石店でそんなものを頼むわけがないし。
「包丁があるのは、誤算だったわ。わざわざ自分で用意しなくてよかったわね」
新聞紙で包んだ包丁を机の上に置いて、彼女は笑った。
何をしようとしているのだろう。
「空木木葉という魔法士の魔法は《細胞の活性》が原点よ。そこが始点。そこから派生するものなら、あなたは扱うことができる。魔法士が魔女に勝るとしたら、その派生する枝をいくつも広げられるというところね。奥の手よ。魔法を使うもの同士だと、不意を突いたら勝機が見える。魔女は初めからいくつも魔法が使えるから、わざわざ深くまで魔法を考える必要はない。単純な魔法でも、濃度の高い魔力の質で押し切れるからね。比べて魔法士はたった一つ。どれだけ派生したしても、たった一つなのよ。そこを見破られてしまえば、魔法士に勝ち目はない。ここまでは分かったかしら」
「あ、ああ。分かった」
「だから、多くの派生が必要よ。見破られても、その視界を飛び出す枝が必要なの。たった一つでも、大きくならなければ。枝を増やさなければ」
「え。あ、待って! いやいやいやいや! 痛いんだよ!? それ絶対痛いから!」
彼女は新聞紙を破いて包丁を握ると、一歩、一歩と僕に近寄ってくる。
動くなと命令されないだけ彼女の優しさがあるのかもしれないが、彼女のやろうとしていることが理解できないまま、振り下ろされる刃を、僕は受け止めた。