復讐鬼 イレギュラー ②
人混みをかき分けて中へ進んでいくと、灯篭は悲鳴の原因を目撃した。
交通事故だ。
ただ車同士がぶつかったのではなく、車が歩道に乗り込んだようである。
救急車はまだ来ていないようで、車と建物に挟まれた被害者を助けようと数人が車の周りを囲っているが、手を伸ばしては戻してを繰り返し、それではいつまでも助けられることはないだろう。
制服だ。
灯篭は被害者が学生であることに気がついた。
それも一人ではない。
見えているだけで二人――とても助かるようには見えない。
だから、彼らは救出を躊躇しているのだ。
もう助からないと分かっていて、それでも、人の目がある中で逃げ出すわけにはいかないと、見栄のようなものが邪魔をしてしまっているのかもしれない。
どうせ助からないのに、だから、なにもしなかったところで、だれも咎めたりはしないのだが。
「う、う……」
少年が一人、鞄をいくつも抱えて震えていた。
見るとその制服は、被害者のものと同じだ。
灯篭は、彼と被害者が知り合いである可能性を考え、手を引いて人混みから引き離すことにした。
「大丈夫か」
「う、うぁう」
ギョロギョロと動く視線は、とても無事だとは思えなかった。
灯篭は背中を摩り、集まってくる人の流れを避けて座らせることにした。
「深呼吸してみろ。おれの真似をするんだ」
わざとらしく大きく息を吸った灯篭は、彼が真似をするまで何度も繰り返した。
しばらく落ち着かない様子だった少年も、灯篭の呼吸につられて、ついに大きく息を吐いた。
「よし、もう一度だ」
何度か繰り返すうちに、少年の視線は落ち着き、震えも止まったようだ。
しかし、人が駆けていく光景を見て、思い出したように頭を抱える。
呼吸は落ち着いたままであることを確認した灯篭は、背中を摩り辺りを見渡す。
ただの交通事故だろうと灯篭は思った。
葵の姿がなかったこともそうだが、車が歩道に乗り上げる事件は、さほど珍しいものではないからである。
事故にあった学生たちは運がなかったと思ってもらうしかない。
悲しいのは残された人間だ。
中でも、目の前で目撃した彼は、とても正気ではいられないだろう。
道路は車が渋滞し、クラクションが鳴り響いている。
事故の後だ。
救急車が来るまで時間がかかっている理由は、この渋滞が原因だろうか。
救急車――不意に、どうなったかも確認していない専属使用人、高崎を思い出した。
何の連絡もしてこないのだ。死んだことは間違いない。
そのことが分かっていて、どうして灯篭がそこに行かなかったのか。
彼を見送りに行かなかったのか。
忘れようとしたからである。
忘れたかったからである。
そうして、彼は何度も切り落とす。
自分が思い出したくないことを、都合の悪いことを、何度も切り落とし続ける。
対国砲アマタのことにしてもそうだ。
謝罪もせず、弁明もせず、ただ逃げているだけである。
これから何をしても、やってしまったことは取り返せない。
『君は、どうして欠片を集めるんだ』
素直に答えられるはずがない。
もし、欠片が集まり、人を生き返らせることができるほどの力があるのであれば、つまり《あったことがなかったことになる》力があるのであれば、自分がこれまでしてきたことは全て、打ち消すことができるはずなのだ。
研究所を飛び出した頃は違った。
白竜の話を聞いて、決まったことである。
研究所を出た時、ただ遠くに行かなくてはならないと思った。
もしかしたら、やってしまったことを挽回する方法があるかもしれないと、助けてもらうために葵たちを探しに出たのだ。
ズルい人間だと灯篭は自覚している。
臆病な人間だと灯篭は自覚している。
「つ、次はぼくの番だ」
震えていた少年は、急に立ち上がると、持っていたいくつもの鞄から一つだけを抱えて走り出した。
「お、おい!」
残された三つの鞄は、どうやら同じ持ち主のものではないように見える。
全く同じ鞄が三つなのだ。
ストラップの違いと中に入っている量の違い程度しかなく――学校で指定されている鞄のように思える。
持たされていたのだろうか、と考えた灯篭は、鞄を無視して少年を追いかけることにした。
もちろん、彼が気付くはずもない。
灯篭は魔法を使えず、魔力を感じることはできないのだから。
「……」
逃げるように走り去っていく少年を追いかける視線があった。
青のまま変わろうとしない信号の上で、誰にも注目されないまま、足を組んで座っている。
信号の異変は、誰だって気づくことができることである。
そこに魔法を用いた隠蔽はなく、十字路の歩行者用を含む計十二の信号機は、青を灯したまま変わろうとしない。
車の渋滞の原因はこれだった。
灯篭はそのことに気がつかずに事故現場を離れてしまう。
そこで異変は起きたのだから、そこに《何か》がいる可能性がないわけがない。
葵がいないからといって、何もないわけではない。
異常は常に、一つずつ起きるはずがないのだから。




