復讐鬼 イレギュラー ①
その日、空を見上げなかった人は居ないだろう。
太陽が散った――。
だれもが、その光景をはっきりと記憶しているはずである。
それは、何にも例えることのできない、誰もが息をのむ絶景だった。
空から降ってくるなにかを、彼らは惚けた表情のまま、例え自分のもとに落ちてきていようとも、ずっと目で追い続けていた。
彼女もその一人だった。
落ちていく何かを、ずっと目で追っている。
「……綺麗」
腫れ上がった瞼のせいで、視界は狭い。
それでも彼女の目にははっきりと映っていた。その何かを眺めていると自然と涙が流れていた。
体の所々にできた青痣と、手首に刻まれた葛藤の痕が、急に暖かみを帯びはじめたからだ。
この痛みはずっと消えることがないと、彼女はずっと思っていたのに。
それが急に心地よくなったのだから、不思議で仕方がなかったのだ。
彼女はそのまま目を閉じた。
今ならきっとこれまでにない幸せな眠りにつけるだろう。
――――――
「よし、まだ誰も来ちゃいないぜ。おれが拾ってもいいか?」
「念のため、僕が周りを警戒しておくよ」
灯篭は葵の言葉に頷いて、欠片に駆け寄った。
まだ何の異変も起こらない段階で欠片を回収できたことは幸運だった。
「葵が持っている欠片はいくつなんだ」
「まだひとつだよ」
「なら、これで三つってことになるな。ひとつずつ確実に集めていこう」
ポケットに欠片を仕舞うところを見て、葵はずっと疑問に思っていたことを口にした。
「灯篭くん。君は、どうして欠片を集めるんだ」
いつか訊かなくてはならないことだった。
その問いかけは、後になるほど難しくなる。
葵の表情は、まだそれほど親しくない段階で、この話題を切り出せたことに安心しているように見える。
肩の荷が下りたというやつだ。
「ああ、えっと……」
葵の表情が強張る。
すぐに気がついた灯篭は、慌てて手を振った。
「実は王家に関わることだ。まだ話せない。いつか話すと約束するから、今は訊かないでほしい」
「そうか、王子だから」
葵も、なぜ欠片を集めようとしているのかを話していない。
灯篭が逆に訊いてこないのに、自分だけが言い出したことを後悔したようだ。
後悔は灯篭も同じである。
正直に話したほうがいいとわかっていても、言い出すことを躊躇したのだ。
もし、正直に『自分が太陽を破壊した』と言えば、見限られてしまうのではないかと、不安で言い出せなかったのである。
しばらくお互いが言葉を発せずに街を歩いていると、灯篭は腹を撫でながらため息をついた。
腹が減ったというわけではないが、口が寂しいようである。
首を振って欲を振り払った灯篭は、数歩先を歩く葵に並んだ。
「教えて欲しいことがある」
「答えられることなら、答えるよ」
ずっと知らなかった世界のことだ――灯篭でなくとも、過去の葵のように、知りたくなってしまうことは仕方がない。
灯篭が知りたかったことは《魔法》である。
葵は一度空を見上げて目を細めた。
懐かしさなのか、かつての光景を思い出すと自然に、魔女のいる空を見てしまったのだろうか。
葵はぼそりぼそりと、知っていることを呟いた。
教えているとは違う、ただの独り言のようだが、灯篭は一つ一つの言葉を自分なりに飲み込んで学んでいく。
知らないことを知ることの幸福感は、ずっと幼い頃から変わらない。
臆病である灯篭は、知らない事象があることが怖くて仕方がないのだ。
彼にとっての幸福感は、その恐怖から解放されるということである。
話を聞き終わる頃には、灯篭は諦めのような感情が湧き出ていた。
もしかすると、自分も魔法が使えるようになるのではないかと期待していたからだ。
葵の話を聞くに、魔法を使うためには血筋が必要なのだ。
魔女の血がほんの少しでも流れているか、あとは、魔女との契約のみ――。
王家に、魔女との関わりはない。
あるはずがない。
そもそも魔法が使えるのであれば、他を圧倒する力があるのであれば、護衛も必要ないはずなのである。
もしものためにと護衛を認めたとしても、魔法を教えない理由にはならない。
灯篭だけが教わっていない――。
その可能性を一度は考えた灯篭だったが、首を振った。
あってほしくない可能性だ。
「……」
「どうした、葵」
「なにか――」
不意に視線を動かした葵は、灯篭を置いて飛び上がった。
ビルの横壁を蹴り、さらに上へと駆け上っていく。
「お、おい!」
連れて行ってくれと叫ぼうとしたところで、灯篭は無意識に撫でている腹を摘んだ。
これでは持ち上げるのも一苦労かもしれない。
近くではないが、薄っすらと聞こえる悲鳴を頼りに、灯篭は走り出した。
気づくまで少し時間がかかったが、まだ間に合うだろう。
しかし、と灯篭は首をかしげる。
ビルの合間とはいえ、空は見えている。
欠片が近くに落ちたとすれば、確認できたはずだ。
空に向けた意識だけは途切れさせないように努めてきたはずだったが――ともかく、灯篭を置いていく必要があるほど、大きな何かが起きているに違いない。
急いで飛び出していった葵のことが気にかかる灯篭は、ついに根を上げた腹を叩いて足を動かすのだった。




