また貴方の下で
その欠片をどうするべきか。
灯篭はまず、研究所に持っていくべきかと考える。
アマタだけでなく、他にも多くの研究をしているはずなのだ。
しかし、あれだけのことをしたのだ――勝手にスイッチを押して、その混乱のうちに逃げ出したのだから、戻ったところで嫌な顔をされるだけでは済まないだろう。
「たかざ――」
意見を求めようとした灯篭は、視界の隅に、白いローブの男をとらえた。
先に気付かれていたようである。
既に地を蹴った白いローブの男は、腕を振り上げて攻撃の姿勢に移っていた。
この場合、灯篭がすることは一つだった。
自分の身だけを守ること――。
ずっと高崎に言われ続けてきたことである。
『何かがあった時、自分を守ることができるのは自分だけです。お分かりですか、ぼっちゃま』
使用人兼ボディガードである高崎が言っていい言葉ではないようだが、灯篭は納得している。
高崎の目は全方位を見ることができるわけではないからだ。
灯篭が見ていない方向を見るようにしている高崎は、つまり灯篭の視界外からの攻撃は上手く逸らすことができる。
灯篭の視界からやってくる攻撃は、灯篭自身でなんとかするしかない。
それでも、灯篭が体を動かせば――何か異変が起きていることには気づくのだ。
すぐさま視界を移した高崎は、襲いかかってくる脅威と灯篭の間に滑り込み、懐から抜いた拳銃を発砲した。
一秒にも満たないような素早い動きだったが、弾丸はローブに弾かれ霧散する。
外れた――。
高崎は振り下ろされる腕をいなし、もう一度発砲する。
間近で弾丸が消える光景をみて、銃が効いていないことにやっと気がついた彼は、グリップで殴りにかかった。
捨てるという行為――隙を与えてしまえば、灯篭の命がないと判断したのである。
間違いではなかった。
が、弾丸が効かない男に殴りかかってどうするというのだ。
「高崎!」
「ぼっちゃま、ここは私が」
簡単に弾かれてしまい、一度距離を取った高崎は、近くで灯篭を守るという選択肢を捨てた。
ここでこの男を止めておく必要があると思ったのだ。
この男は――高崎は思い出す。
灯篭が研究所に行くと言った日のことだ。
対国砲アマタのことは、高崎も知らないことだった。
しばらく勉強を必死にやっていたことを知っていた高崎は、彼の成長には必要なことかもしれないと、命令を受け入れたのだ。
灯篭が慌てて飛び出てくる少し前、白いローブの男が研究所から出てきた。
そいつだ。
この男は、あの時にみた男だ。
「いけませんね、灯篭様。あなたが手を伸ばしていいものではありませんよ」
「ぼっちゃま!」
言い返そうとした灯篭は、高崎の声に押されて走り出した。
欠片を渡してはいけない――灯篭は確信した。
これを集めることこそが、自分のしてしまったことを取り返すただ一つの道なのだ。
高崎はここで銃を捨て、隙を作った。
白竜は走り去る灯篭を舐めるように見つめ、あえて隙を作った高崎に見向きもしない。
しかし、高崎がそうしていなければ、白竜は灯篭を襲っていただろう。
高崎の能力を知らないからだ。
ただの使用人とはいえ、王族を守る彼が、ただの人間である可能性は低い。
顔に見せない警戒だったが、高崎はその警戒に救われたのだった。
高崎はただの人間だ。
魔法士でもなく、魔法使いでもなく、もちろん魔女でもない。
王になることが決まっている灯篭の弟と違い、出来損ないの灯篭にまともな護衛がつけられるはずなかったのだ。
それでも、人間相手にならば負けなかっただろう。
高崎には、それだけ多くの経験があったのだ。
それでも、人間以外と争ったことはなかった。
魔法の存在など知らなかった。しかし、もうその存在には触れている。
藤堂高美の持っていた欠片が、一瞬にして形を変えたのだ。
石が爆発するような、その程度の変化なら、それは科学だと頑なに認めなかっただろう。
ただ形を変えるわけでない――サケまで現れたのなれば、科学で説明できるはずがない。
現実ばかりを見る高崎でも、これには科学とは別の世界があると信じざるを得なかった。
だから、高崎も警戒する。
目の前のその男が、何をしてくるのかがわからない。
腕を振り下ろしてきた――確かにそうだ。
それは彼の攻撃だった。
しかし、高崎がいなしたその腕は、あまりに軽かった。
とても、痛みを与えられるような重みはなかったのだ。
風が強く吹いて、高崎は一瞬気が緩んだ。
その緩みか、体を直接風が撫でるという異変に遅れて気がつく。
見るまでもない。
肩のあたりの服が破れている。
いなした腕の肩だ。
もしかしたら、男の手のひらが触れてしまったのかもしれないと高崎は仮定する。
服は刃物で切られたような破れ方ではない。
男の手に刃物があれば、例え破れ方が違っても納得がいく。
やはり、この男は普通ではなかったのだ。
高崎は、安心した。
自分でよかったと思ったのだろう。
この男の前に立つのが、灯篭だったのならば、間違いなく死んでしまう。
自分と同じ道を歩んでしまう。
灯篭が王になれないことは、ずっと昔からわかっていたことだった。
彼に護衛は必要ないと言われても、使用人は必要ないと言われても、高崎だけは離れなかった。
高崎と同じ考えを持つものがほんの少しだけ集まり、灯篭はなんとか王家に残ることができていたのだ。
高崎はここにきて、共にサケを飲まなかったことを後悔したのだった。
灯篭はいずれ王家を追い出されるだろう。
その時のために、平民と違うところを減らす必要があった。
王家にいただけ――そう思えるようにするために、高崎は厳しくしてきたのだ。
その時が来れば、共についていく覚悟はしていたが、もうその覚悟は別の覚悟へと変わっている。
命を捨ててでも――。
「まさかっ!」
ところが、白竜は高崎の覚悟を嘲笑うかのように姿を消す。
元から、高崎のことなどどうでもいいのだ。
勿論、灯篭のこともだが、高崎は灯篭が狙われているとばかり思っている。
白竜が気にしているものは、灯篭が持っている《太陽の欠片》だけなのである。
高崎はすぐさま、灯篭の後を追うために身を翻した。
「いけませんね」
「ぐ」
それでも、どうでもいい人間を殺さない男ではなかった。
白竜は一歩も動かず、ずっとそこにいたのだ。
「敵を前に背を向けるとは、使用人失格ではありませんか」
倒れた高崎は、空気を探していた。
どこにあるのか、そこにあるのだ。
どれだけ飲み込んでも、収まる場所もなく流されていく。
満たされない空腹のような感情は、苦しみだけを生み続ける。
体に穴が空いているようだと高崎は思った。
その穴から、何もかもが流れていくのだ。
その通りである。
彼にできた空洞からは、押し寄せるように臓器が溢れ、アスファルトに流れていった。
苦しむ様子をしばらく眺めていた白竜は、泡立つ血を踏んで灯篭の走り去った方へ歩き出す。
まだ意識が辛うじて残っている高崎は、その姿を眺めていた。
妙な感覚だが、全身に力が入ってしまい、その力を抜く方法がわからないのだ。
見開いた目がそのままで、力は有り余っているのに、瞬きをすることはできない。
高崎の目から流れる涙は、眼球の乾燥によるものだ。
悔しいとも、悲しいとも、高崎はもう感じることはできないだろう。
それでも、彼は泣いている。