鱈腹の語り場 ③
しかし、その樽は小ぶりだ。
その大きさは、藤堂の想像が原因となっている。
一人で限界まで酒を飲むとすればこのくらい――そんな願望が、そのまま反映されているのだった。
「珍しいものです。この樽はオーク材を用いていません。それに――」
高崎は樽を持ち上げ、コップに中身を注いだ。
匂いだけで中身まではわからなかった灯篭も、その中身が間違っていることに気がついたらしい。
その樽はウイスキーや、ワインで使われるものであって、サケが入っているものではない。
フタツクニに昔からあるサケは、フタツクニ独自の作物である米から作られるものであり、樽を使うことはないのだ。
藤堂は首を傾げる。
しかたがないのだ。
ウイスキーやワインは、藤堂のような平民には想像のものであり、知っているのはビジュアルだけ――つまり樽だけである。
中身を想像できない藤堂には、やはりサケだけが酒なのだった。
瓶では足りないほど沢山の量と思い浮かべて、樽まではたどり着いたが、その先がなかったという話だ。
なみなみに注がれた酒を、遠慮がちに啜った藤堂は、これまでに感じたことのない味わいに息を吐いた。
どうやら高崎も同じようである。
その光景を眺めていた灯篭は、諦めがついていたにも関わらず、喉を鳴らしてしまう。
「う、うまいのか?」
二人は何も言わずサケを煽るように飲み込んでいく。
恐る恐る指を伸ばした灯篭だったが、樽に触れる間近で高崎に弾かれた。
滅多に出ない高崎の手は、灯篭がやってはいけないことをする時にのみでるものだ。
しかし今回だけは、美味いものを分けようとしない我儘のような感情があるのではないかと勘ぐってしまう灯篭だった。
「王子は、いったい何をされているんですか?」
藤堂はお預けされている灯篭を不憫に思い、話を振ることにした。
王家のことに興味がないといえば嘘になる。
そもそも王様のことは、いくらでもニュースで流れているのだが、王子のこととなれば別だ。
顔名前こそ出るものの、何をしているかまで出ることが滅多にない。
灯篭はふて腐れた様子だが、藤堂の問いには答えるようだ。
「おれは何もしていない。これから何かをすることもないだろう。国を動かす知識なんてものもさっぱり教わってないからな。弟には教えているようだが」
「はあ」
正直なところ、藤堂は羨ましいと思いながらも、彼の立場に同情もしていた。
仕事は辛い。
生きていくことは辛い。
けれど、好きなことをしている間は、幸せを味わうことができる。
それが王子にもあるのか――藤堂は疑問だったのだ。
王家となれば決まりが多いに違いない。
好き勝手動くことなんて、簡単にできるはずがないだろう。
実際には、藤堂の想像する何倍も、彼は自由だったのだが。
国に守られているニートのようなものである。
「今日はどうして街にまで」
「訳あって、欠片を探しているのだ。国家秘密だから、このことは忘れるんだぞ」
そう言われては口を紡ぐ他あるまい。
灯篭の言っている欠片は、藤堂が拾ったあの石のことだ。
何故か急に形を変えたが、いまはいいサケが飲めているのだからそれでよし――藤堂はまた、鼻を通る甘い香りに酔った。
「……高崎。これって、中身捨てるだけでも良かったと思わないか?」
「命令されませんでしたので」
高崎はまたサケを飲み込む。
灯篭はわなわなと腕を震わせて、ため息をついた。
樽はほぼ空である。
気づけば止まることなく、二人はサケを煽り続けていたのだ。
捨てるように飲んでいたと思えば、灯篭も仕方なく納得する。
最後の一杯を注いだところで、高崎の手には、藤堂が拾った石が握られていた。
樽はどういう原理か、消えてしまっている。
高崎はその欠片を灯篭に渡し、最後の一杯を藤堂に差し出した。
「お騒がせしました」
「いえ、俺――わ、私のせいで妙なことがおきたようで、申し訳ありません」
頭を下げる藤堂に、灯篭は「頭をあげろ」と言う。
「それは藤堂にやる。おれのお気に入りハンバーガーショップの記念品だ。良かったら行ってみるといい。ハンバーガー好きだろ?」
王子もハンバーガーを食うということに驚いた藤堂だが、いまさらコップのロゴに気がついて笑い声をあげた。
どうやら似ていると思っていたのは体型だけでなく、好みもだったらしい。
「今度はぜひ、私とハンバーガーを」
「いいぞ。いつでも予定を空けておけ」
年下だと分かっている。
しかし灯篭のその笑顔には、人を惹きつける魅力があった。
彼の下につく幸せを、味わってみたいとも思ったようだ。
灯篭のすぐ後ろをついていく高崎が、一瞬藤堂のことを見た。
どうだ、と。
藤堂は、二人の王子のことを詳しくはないまでも知っている。
優秀なまだ十歳にもならない弟と、出来損ないの兄――確かに、灯篭は態度が悪いのかもしれない。
国民の上に立つためには、足りないことが少なくはないだろう。
テレビでみる顔と、実際にみる顔は違うのだ。
電話越しの声と、実際の声が違うように――きっと違うものに置き換わっている違いないと藤堂は思った。
なみなみのサケを口に含んで、目の前を横切っていく白いローブを目で追った。
この暖かさが戻るまでならともかく、今のこの気温でその服装は辛いだろうに。
藤堂はまた一口、サケを飲み込んで、空を見上げた。
「当てが必要だな」
ハンバーガーでも買いにいくつもりだろうか。
もう一駅くらい歩けば、チャラで済む程度ならよいのだが。