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太陽の魔女  作者: 重山ローマ
第一章 太陽の欠片編
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鱈腹の語り場 ①

 

 その日、空を見上げなかった人は居ないだろう。


 太陽が散った――。


 だれもが、その光景をはっきりと記憶しているはずである。

 それは、何にも例えることのできない、誰もが息をのむ絶景だった。

 空から降ってくるなにかを、彼らは惚けた表情のまま、例え自分のもとに落ちてきていようとも、ずっと目で追い続けていた。


 藤堂高美とうどうたかみも、その中の一人である。


 三十後半にして未婚。

 これまで一度の交際経験なし。

 気にしていないふりをしているが、危機感ばかりに追われる人生を送っている男性だ。


 最近一番恐れていることは、髪の生え際後退である。

 交代ならまだよし――残念ながら彼の頭部に、これ以上の控えは存在しない。

 いずれ限界は来るだろう。


 あとは、増え続ける脂肪である。

 せめて太らないようにと、職場の最寄り駅から一つ手前で降り、歩くようにしていたのだが、小腹が空いたとチョコバーを買って食べてしまうせいで、カロリー的にはむしろ増えてしまっている可能性が高い。

 しかし、お腹が鳴ることが嫌なのである。

 自分の体以外に心配するものがないから、そんなかわいそうな声をあげるまでに何とかしてあげたいと思ってしまう男なのだ。


 今日はがんばったから、と。


 藤堂はハンバーガーショップにきていた。

 まさか電車で持ち帰るなんてことはしない。

 他人の迷惑になることもあるが、家に帰る頃には、せっかくの美味しいものが台無しだ。

 食べ物は出来立てに限るのである。


 そんな考えのせいで、家に帰る頃にはまたお腹が空いてしまい食べてしまうのだが、そこは晩御飯だからと自分を説得しているようである。


 ならば、十七時に食べるこれは何なのか。

 おやつだ。

 仕事帰りの、たったひとりのおやつ会なのだ。


「何食べる?」

「ほんとにいいの?」


 女子高生の後ろに立っていると、なんとも言えない危機感に襲われる。

 振り返られたら、きっとこう言われるに違いない。


『きっも』


 たまんねえなあ――なんて言うのは藤堂くらいか。

 もちろん、それは彼の性的興奮というわけでなく、彼の口癖なのである。

 我慢できないことが起きたとき、そう言ってみると、ほんの少し気が楽になるのだ。


 注文を終え、席を探す二人組は、ちらりと藤堂を見上げた。

 何も言われなかったら言われなかったで、藤堂はショックを受けるのである。

 せめて何か言ってくれよ、と。

 そんなことを考えてしまう面倒な男なのだ。


 期間限定メニューを勧められても、藤堂はいつも同じものを頼む。

 トレイを受け取って席を探すと、先ほどの二人組の隣だけが空いていた。


「……」


 もういっそこのまま帰ってやろうかと考えたほどである。

 女子高生二人組は、きっと藤堂のことなど全く気にしていない。

 隣に座ったところで何の反応もなく、どこにでもいる女子高生のように、同じ言語かわからないような話を続けるだけだろう。


 たまんねえなあ――と藤堂は思った。

 だから帰ってやろうかと思ったのである。

 せめてキモイと言ってくれ、と。

 何このおっさんくらい言ってくれるのが、女子高生のいいところではないのか、と。


 断じて、彼に特異な性的興奮癖があるわけではないと言っておく。


 やはり二人組は何も言わない。

 隣に太いおっさんが座っても、不自然なほどに反応しないのだ。


 いい子じゃ。


 だから嫌だったのだ。

 藤堂は、背後におっさんがいても、隣におっさんが座っても、何も言ってこない女子高生なんていう天使のような存在に、すぐ惚れてしまうのだ。

 もちろん、恋愛対象とかそういった話ではなく――感動してしまうのだ。


 歳をとったからか、藤堂はそれだけのことですぐに泣いてしまう。

 世の中割ることばかりじゃないのだなあ、と。

 ひとりもそもそとハンバーガーを齧りながら感動してしまうのだ。


「そうだ、今度美術館行こうよ」

「どうして」

「ほら、その……なんていうの? あれ」

「なによそれ」


 ポテトを摘んで、二人組は笑っている。

 けれど、それはとても静かな笑いだった。

 周りにいる人間のことを、藤堂のことも含めて、迷惑にならないようにと気を使っているのかもしれない――そう考えると藤堂はまた、涙を零しそうになるのだった。


 だめだ。

 このままここにいては、体から水分だけが奪われてしまう。

 残るのは脂肪だけだ。


 藤堂は急いで残りを飲み込み、席を立った。

 彼の表情は晴れやかで、やる気に満ちているように見える。


「今日は二駅歩くぞ。俺は」


 いいことがあった日くらいは、がんばろうとする藤堂だが、結局また、おやつを買ってしまうに違いない。


 アスファルトの街の中で、石が転がっていることはまずあり得ないのだが。

 道路の真ん中に石が転がっていると、ついつい蹴ってしまいたくなってしまうのは、田舎生まれの藤堂ならば仕方のないことだった。


 ほんのり紅い光を発している石は、蹴ってしまうには勿体ないとも思えてしまい、昔、意味もなく綺麗な石を集めていた経緯もあって、結局蹴り飛ばすことなく拾い上げる。

 これまで何十、何百と石を集めてきた藤堂だが、この石はそのどれよりも心惹かれるなにかがあった。


「手に持っているものを離せ! いますぐだ!」

「はい?」


 背中にぶつけられた言葉に藤堂は振り返る。

 その姿には、親近感を抱かずにはいられない。

 身長は低く、ぽっちゃりとした体型。

 藤堂が若いころにどこか似ているような気がした。


 せっかく綺麗な石を拾ったのだ。

 これを眺めながらサケでも飲むかと考えていた藤堂は、いつの間にか抱えていた樽を、とりあえず足元に置いてみる。

 慌てて駆け寄ってくる少年は、青の混じる黒髪を撫でながら、樽を観察しているようだ。


高崎たかざき、今のを見たか」

「はい」


 自分が持っていたはずの綺麗な石が無くなっていることに気がつき、足元をキョロキョロと探していると、少年は樽の栓を抜いた。

 手を仰いで匂いを確認しているようだが、すぐに咽せてしまい、高崎に背を撫でられている。


「ぼっちゃま」

「だ、大丈夫だ高崎。これ、アルコールだ」


 未だ未成年の灯篭とうろうには、まだはやかったらしい。

 匂いだけで咽せてしまうとは、灯篭は自らの幼さを恥ずかしんだ。


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