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太陽の魔女  作者: 重山ローマ
第一章 太陽の欠片編
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コヲトシの夢 ⑤

 

「――突如起きたこの大きな異変は、目撃者と現場の状況が噛み合っておらず、未だ捜査の途中とのことです――」


 薄っすらと目を開いた智子ともこは、見たことのない天井を見上げ、しばらくぼんやりと呼吸を続ける。

 パリパリと煎餅を齧る音が聞こえる。

 どこでもそうやって煎餅を食べるのは、智子の親友である桃花とうかくらいしかいない。


「ん?」


 布の擦れた音で、智子が目覚めたことに気がついたようだ。

 桃花は無表情だった顔を歪ませ、煎餅を咥えたまま飛びついた。


「ちょ、ちょっと桃花! べたつくから! 汚れるから!」


 首にペタペタと醤油煎餅が触れる。

 モゴモゴと桃花は心配の声を漏らし、その度に煎餅が動いているのだ。


「どうしてそんなことしたの!」


 ついに煎餅を吐き捨てて、桃花は智子を責めた。

 桃花が知っているのは、智子が歩道橋から飛び降りたということだけである。

 垂れ流されているテレビニュースには、彼女が飛び降りた歩道橋付近の映像が流されていた。

 車線を少し制限しているようだが、その場所に混乱はほぼ残っていないようである。


 その光景に、智子は安堵の息を漏らした。

 巨体コヲトシの屍が残されていないことだけは気になるところではあったが、智子は全て少年が何とかしてくれたと思えるだけの安心感があったのだ。


 そのせいか、智子は泣いていた。

 桃花には、智子の涙は後悔によるものだとしか見えなかっただろう。

 智子の体には、若干の痛みが残っているが、体が動かないようなことはなさそうだ。

 今になって、空が離れていく恐怖感を思い出したのか――。


「どうして」

「いいんだよ、智子。桃花がいるから」


 違うのだ。

 智子は首を振った。

 腕を回されて抱き寄せられると、智子はまた、堪えられなくなり涙を流す。

 我慢しようとしても、流れ出したものが止まることはなかった。


 智子は、兄が落ちていくところを見ていた唯一の目撃者である。


 だから、泣きたくはないのだ。

 それでは一緒になる。

 目の前で兄弟が死ぬところをみていても、それが、親が原因だったとしても――平気で鳴いているなんて。


 落ちる前、智子は兄と目があった。

 そこで足を止めることはできただろう。

 けれど、兄はそうしなかった。

 そして智子は、見なかったふりをして家に帰ったのだ。

 即死だったから、すぐに駆け寄ったところで助かったこともない。


『ただいま』


 智子はその一言を忘れられないでいる。

 その声が、どれだけ汚れていたか。


 家に連絡が来るまで、智子はカフェラテを飲んで休んでいた。

 兄が死んでも、智子は平気で飲み物を飲み、スナック菓子を摘んだほどである。


 醜い自身を呪う。


 その矛先は、次第にコヲトシに向かった。

 智子はその醜い鳥に、非道な鳥に、痛く共感してしまったのである。 


「私、変わりたい」


 もう、見捨てる人間にはなりたくなかった。

 落ちてしまうことがわかっているのだから、手を伸ばすことだってできたのだ。

 携帯を握ったまま落ちた兄に、電話をかけることもできたはずなのだ。


 自分が関わると、手が汚れてしまうから嫌がっていた。

 先の手間を考えると、無理をする必要がないと思っていた。

 けれど、そうではなかったのだ。

 例え、助ける義務がなかったとしても、助けることで救われる人もいる。


 少なくとも落とされるコヲトシを救っていれば、手で受けとめていれば、智子は辛い気持ちを忘れることができたのだから。


「よかった」


 桃花は安心したと、智子の頭を撫でた。

 兄がよくしてくれたことだった。

 懐かしさがあっても、思い出そうとすれば辛いだけだ。

 けれど。


「桃花のお兄ちゃんも、よく頭撫でてくれたんだよ」

「一人っ子って言ってたじゃん」


 また冗談を言って笑わせてくれようとしたのだと思い、智子は無理をして笑ったが、桃花の表情に違和感を覚え、口を開いたまま静止する。


「ずっといないと思ってたのに、急に、いることを思い出したっていうか……。桃花って変かな」

冗談まじ?」

本気まじ


 それが冗談にしろ本気にしろ、智子にとっては、突然不思議なことを言い出す桃花の存在は、やはりかけがえのないものだった。


「ハンバーガー食べたいな」

「じゃ、退院したら行こうよ。桃花が奢ってあげる」

「まじ?」

「まじよりのまじ。その代わりに、話きいてよね」


 二人で笑っていると、コヲトシの出来事が嘘のようだった。

 何もかもが夢みたいなもので、ただ智子が歩道橋から飛び降りただけの事件。


 もう少年の顔も思い出せない智子は、あの恋のような錯覚は、夢だからこそ起きたのではないかと想像する。


 初恋が夢の中の出来事だとすれば、どうせならもっと甘いものがよかったと思う智子だった。

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