コヲトシの夢 ④
落ちることが、その存在にとっての死なのだ。
智子はその答えにたどり着いた。
彼がどれだけ打撃を与えても、コヲトシは進化していくだけである。
しかし、親に落とされれば――それがコヲトシという存在なのだから、それが揺らぐことはない。
智子の答えは正しかった。
しかし、少年がそれを聞いても、すぐにいい反応を見せなかったのは、それがとても、簡単にできることではなかったからである。
体長六メートルは超えている。
まだほんの数十センチメートルほどだったら、マンホールにでも落としてしまえばよかっただろう。
あの大きさになってしまっては、もう手遅れだ。
幸い、誘導だけはうまくできそうである。
しかし、落とす場所がない。
「山の方へ向かえば、崖も」
「だめだ。これ以上被害は出せない」
少年はそれを嫌がっているのだ。
これ以上、魔法による被害は見たくない。
「もう少し先に行けば広い道になります。そこなら、物を壊されるという被害は、少しはマシになるかも」
少年は頷き、智子を抱えてもう一度飛んだ。
巨体は一直線に、二人を追う。
風を切りながら、智子は大通りにあるものを発見した。
それだ、と智子が指をさすと、もう一度少年は頷く。
智子は階段を駆け上がり、そのうちに、少年は道路に飛び出した。
行き交う車が、悲鳴のようにクラクションを鳴らす。
ほぼ力づくで車の流れを止めた少年は、やがてやってくる巨体を見据えていた。
智子は、歩道橋の上から、道路を見下ろしている。車の流れは完全に止まり、あるのはどよめきだ。
東の方角からやってくる破壊音に、どうやら運転手たちも気がついたようである。
智子はまた、道路を見下ろした。
少年は車がまた動き出さないように必死で、智子のことにまで頭が回っていない。
やはり彼は、ヒーローなんかではなかったのだ。
この、智子には何も理解できない現象は、智子自身が解決しなければならないことだった。
コヲトシを見捨て続けてきた罰だ。
大通りに現れた巨体に、一瞬どよめきが止まった。
それが何なのかを理解できる人間はいない。
車の不自然な渋滞を不思議がって、多くの運転手が車から降りてしまっていた。
その場には、歩道も含め、数十人の人がいただろう。
しかし、巨体はすぐに、歩道橋の上にいる智子に気づいたようである。
親だと見ていたからなのか、だれよりもその存在を、真っ先に目に止めたのだ。
「……」
見られているということに気づいた智子は、制服のリボンを取り、ヒラヒラと風に流す。
「やめろ!」
少年の静止を無視して、智子は精一杯に手を振る。
反応して巨体は歩道橋に体をぶつけた。
金属が歪む音がする。
激しく揺れる足場に、智子は必死で堪えた。
リボンを餌だと思ってくれると、智子は思ったのだ。
階段を駆け上がり、足一本だけが精一杯の歩道橋を向かってくる。
そこで、智子は手を離した。
風に流されていくリボンを追って、巨体は飛び出すだろう――。
そんなことはなかった。
すでに智子は親としてはみられていなかったのだから。
智子自身が、餌として見られていただけなのである。
「――っ!」
智子は足をかけ、歩道橋を飛び降りた。
自分が餌だと理解したところで、考える間も無く体が動いたのである。
これで、今度こそ、巨体は――。
伸びる首に、智子は絶句した。
クチバシが向かってくる。
ガチリとクチバシが合わさることになれば、もう智子の体の一部は、あるいは全てが、飲み込まれてしまうということだ。
それでも、巨体が落ちるのであれば、それでよかったのだ。
その一瞬、智子は思い出していた。
たった一人、智子の理解者であった兄のことである。
智子の兄は飛び降り自殺で死亡している。
そこには何の事件性も無く、ただ純粋な、誰の手も借りていない飛び降り自殺だった。
彼は学校生活に不満が、苦痛があったわけでも無く、ただ疲れたから飛び降りたのである。
それを知っているのは智子だけだ。
遺書には、両親への感謝の文だけがあり、それ以上のものはない。
しかし、智子は知っている。
彼は確かに自ら飛び降りたが、そこには、下に落ちるように押した存在がいたと。
母親である。
智子の家は母が事実上のトップに立っており、父は母に頭が上がらない。
そういう関係だからか、母は恐ろしく態度が悪く、特に男性に向けては、とても普通とは思えないことを平気でやっていた。
智子という娘にだけは、母は優しい母なのだが、男である智子の兄はそうならなかった。
自殺に追い込んだとすれば、その母の態度である。
これをコヲトシとは違うのかと、智子は思ったのだった。
いずれ智子も、兄と同じ道を辿るような気はしていた。
兄を見捨てたことを、後悔し続けることに、いつか耐えきられ無くなると思ったのだ。
だからなのか、この、歩道橋から飛び降りるという選択肢を、迷い無く取れたのだろう。
ここで飛び降りようなんていう未来を考えていたわけではなかっただろうが、何かがあったら飛び降りるつもりはしていたということなのである。
「落ちろ!」
打撃は効かないが、その運動エネルギーが失われることはない。
クチバシは智子をかすめアスファルトにめがけて落ちていく。
ほんの数メートルの高さだ。
それでも人にとっては当たりどころによっては致命傷になる。
それは、コヲトシにとっても同じはずだ。
智子が落ちるとすれば腰から、コヲトシは頭からとなる。
また智子は、空を見上げている。
太陽の異変からずっと、空には流れ星が走り続けていた。
昼夜関係なく見えるその輝きに、智子は夢を見る。
薄れていく意識の中、智子は見た。
少年は、横たわり動かないコヲトシの目に指を突き刺し、紅く輝く石を拾い上げた。
まるで太陽のような光だ。
その温かな光を見ていると、智子は自身の汚れきった心を自覚し、生まれ変わりたいと願った。




