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太陽の魔女  作者: 重山ローマ
第一章 太陽の欠片編
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コヲトシの夢 ③

 

 ジャージズボンにオレンジのパーカー。

 ただ散歩をしていただけにも見える少年は、よろめき立ち上がろうとするコヲトシの首元を、抉るように蹴り上げた。

 車同士がぶつかったような音だ。

 智子ともこは、夢から覚めたような気分だった。


 泣いていたはずの男の子は落ち着いていて、突然現れたヒーローに見惚れている。

 このままここにいるわけにはいかない。

 智子は男の子の手を引いて、距離をとった。

 どこからが安全なのか分からない。

 ずっと遠くに、先に逃がした二人の子供を確認した智子は「二人のところまで行って」と指示すると、男の子は驚くほどすんなり、言われたとおりに動いた。


 智子も当然、逃げるつもりだった――のだが、助けに来てくれた年齢の近い少年が気になって仕方がない。


 倒れ込もうとするコヲトシのクチバシを片手で掴んだ少年は、鋼色に煌めく拳でクチバシだけを連打した。

 一撃、二撃――やがてヒビが走り始めて、コヲトシは弱々しく鳴き声をあげる。


「……っ!」


 少年は、急に猛撃をやめ、倒れていく巨体から距離を取った。

 離れて見ていた智子は、その妙な雰囲気に圧されて息を飲む。


「魔力が増幅している……すぐに離れろ!」


 混乱してはいても、体だけは言われたとおりに動くのだった。

 智子は足を何度か動かしたところで、すぐ隣、いや数歩前を走る少年に驚く。


 これでも智子は、地区大会でそれなりの結果を出している選手である。

 同じ年頃であれば、例え異性であったとしても負けるはずがない。

 しかし、どれだけ腕を振っても、少年には近づくばかりか、距離を開けられるばかりである。


 揺れている錯覚だ。


 アスファルトが砕かれる足音に、智子は血の気が引いていく感覚を味わった。

 体が大きくなったとしても、足がはやくなることはないはずなのである。


 ところが、智子のその考えは間違いだったとすぐに思い知らされることになる。

 先日までの夏の日差しまではないにしても、暖かい太陽の光が、大きな影によって遮られたのである。


 ここで初めて、智子は後ろを振り返った。

 そんなこと、これまでただの一度もしたことがなかったのに。


 クチバシの奥が見えなかった。

 このままそこへ行くのだとすれば、どれだけ恐ろしいことなのか想像もできない。


 だが、智子は腕を力強く引かれ、クチバシは空を掴むことになる。

 バランスを崩して転ぶ智子を庇って、少年はまた、巨体コヲトシとの間に立った。


「こいつ――」


 智子は慌てて立ち上がると、彼があげた困惑の声の意味を理解した。

 割れたはずのクチバシが、何事もなかったように綺麗なままだ。

 いや、そうではないのである。

 まるで別の鳥類になったかのように、顔が違うのだ。


 上に比べて、下のクチバシが分厚くしゃくれている。

 攻撃された箇所が、より強く変化したのである。

 よく見てみれば、首元の羽毛にも変化が見えた。

 本来ならその毛玉は、大きくなってから頭にできるはずのものだ。


 智子は、その巨体コヲトシが、すでに怪物となっていることを認めた。

 もう、自分は襲われないという安心感はない。


 ギギ。


 クチバシの変化のせいか、声に変化がある。

 まだ可愛げのあった声が失われたおかげで、ついに智子にも、恐怖感が現れ始める。


「何だこいつは」


 その一言が、余計に智子を不安にさせた。

 助けに来てくれたはずの少年ですら、その怪物は理解できないものなのである。


 体の成長は止まったようだった。

 しかし、変化は止まっていない。

 そもそも智子が追いつかれたのは、足の発達が原因のようだ。

 枝のような細い足ではなく、筋肉質の太い足に変わっている。

 この体をはやく動かすために、変化――進化したということになる。


 威嚇のように繰り出された少年の回し蹴りは、分厚いクチバシに弾き返された。

 彼の攻撃は、ほぼ無効化されたようである。


 となると、選ぶ手としては一つである。

 とはいえ、智子の足では、すぐに追いつかれてしまうだろう。


 少年はただ頭を動かし続ける智子のことなど知らず、ひょいと、華奢な体を簡単に持ち上げた。


「へ」


 智子はすでに羞恥を捨てたつもりだったが、どうやら完全に捨てきることはできていなかったようだ。

 急に浮いた足にも驚いたが、膝裏に触れる少年の腕がこそばゆいのも気になるが、肩をがっちりと掴む異性の指の感触も――智子は落ちてしまう錯覚に襲われ、咄嗟に彼の首に腕を回した。


「しっかり掴まってて」


 智子はぐちゃぐちゃな頭で、何度も頷いた。


 風を切る感覚を、智子は知っている。

 自分の足で地を蹴るたびに、加速する世界を、智子は知っている。


 けれど、それはとても、人の足で到達していい世界ではなかった。


 一歩。


 その一歩で、彼は数百メートルを突っ切った。

 走ったというよりも、飛んだような感覚に近い。

 智子は彼の肩越しに、はるか遠くにある巨体を見た。

 これだけ距離があっても、体にぶつかるもの全てを破壊しながら、智子たちを追いかけている。


 彼の足なら、逃げ切ることは可能だろう。

 しかし、彼はそれをいい選択だとは思えないようだ。

 智子は、どれだけ街が破壊されようとも、自分が無事ならそれでいいと思っている。

 だから、彼の首に回した腕を離さないのだ。

 このまま逃げてほしいという意思の表れである。


「あれが何なのか、君は知っているんじゃないか」


 智子は知らないと首を振った。


「動物が魔法を使うなんて、お姉さんは教えてくれなかった。使い魔とは違う。あれは、魔法使いと同じような存在だ」


 少年はぶつぶつと、考えをまとめるように口にした。

 智子には彼が言っている言葉の意味はわからない。

 だからなのか、智子は腕にもう一度力を入れた。

 自分を忘れるな、と。

 私を助けてくれ、と。


「今の僕じゃ、致命傷はそのまま死に繋がる。ここで、無理はできない」


 彼は決してヒーローなんていう立派なものではなかったのだ。

 智子は彼の苦しそうな表情を見上げて察した。

 あれが何なのか知っていて、智子を助けに来たわけではない。

 散歩をしていたら本当にたまたま見かけて、たまたま手を貸してくれただけなのだ。

 そうに違いない。


「コヲトシの子供だった。あの子は、巣から落とされた鳥なの。落ちた場所が悪くて、石が頭に刺さってた」


 智子がそう言うと、彼はコヲトシの目を確認した。

 突起があるとは思っていたが、それは足が太くなったように、クチバシが厚くなったように、なんらかの変化だと思っていたのである。


 紅く光る突起に、少年はそれが何なのか予想がついたようである。

 死んだはずの鳥が生き返る――そんなこと本来なら起きるはずがない。


 魔女の凝縮された魔力の結晶。


 もしそれが、拾ったものになんらかの影響を与えるとすれば――。 


 少年の瞳が変わったことを、智子ははっきりと目にした。

 覚悟を決めたのか。

 それにしては彼の表情は硬く、殺気とは言わないまでも、怒りの感情が漏れ出てしまっている。


 智子は手を離した。

 彼はもう逃げないと悟ったのである。

 智子だけでも逃げるのかと思いきや、彼女も逃げなかった。

 勢いよく走り向かってくる巨体に、何もできないはずの智子も、背を向けなかったのだ。


「君は逃げるんだ。僕はあれに用があるから」


 何もできない。

 智子がいても、ただの足手まといだ。


 けれど、智子は見届けたかった。

 これから起きることを。

 死んだはずの、コヲトシの行く末を。


 智子はそれまで、コヲトシに親として見られていた。

 追いかけてきたのはただ、お腹が空いたから、餌をくれるはずの親を追ってのことだったのである。

 今は違う。

 もう智子は、敵対者としか見られていない。


 智子にはしっかり、その自覚があったようである。

 しかし、ここで背を向けて、彼に全てを任せるわけにはいかないと思ったのだ。

 一瞬でも、親として見られたのだから。


 もう親ではない。

 もうコヲトシも、子供の大きさではない。


 少年は、巨体コヲトシを倒す方法に見当がつかない状態だった。

 彼はフタツクニで生まれ、そして成長してきたが、智子とは違ってコヲトシのことについてほとんど知らないのである。

 オスメスの違いはもちろん、下手をすればその名前の理由もわからないだろう。


 見た目はもはやコヲトシではなかったが、初めてその巨体コヲトシを見たとしても、それがコヲトシに似ていると気づくことができるのは、もしかしたら智子だけかもしれなかった。

 智子はそれほど、コヲトシだけのことに関しては、知識を持っていたのである。

 嫌っていたし、しかし、それとほぼ同じほど気に入ってもいた。


 だからなのか、巨体コヲトシを倒す方法を思いつくとすれば、少年ではなく、智子だったのである。


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