初めて ②
6
星が綺麗な夜だった。
満月の夜は星が見えにくいものだけれど、今日ははっきりと見える。
いや、きっと僕が気にしていなかっただけで、ここ数年の星空は綺麗だったのだと思う。
日が弱まったことで、月の光も淡く弱々しい。
恐ろしいことを考えてしまうのが僕の悪いところだとは思う。
いつか死ぬのだというその光景に、太陽の姿がある。
寿命を超え、無限の生を手に入れたとしても、太陽が弾ければ――太陽がいなくなってしまえば――きっと人間は死滅する。
その死は避けられないものだ。
僕はその時まで生きたいわけじゃない。
その後も生きたいだけだ。
太陽と呼ぶように言った彼女は、公園のベンチに置いた僕のカバンに腰掛けて同じように空を見上げていた。
その姿は改めて見ると、何とも夏らしい姿である。
今が夏であることを忘れかけている僕からすれば、その姿はあまりに刺激的だ。
すごく心配になってしまう。
腕も足も顔も丸出しだ。
それでは言い方が悪いか。
寒くないのか、と訊くまでもないだろう。
彼女が魔女だというのなら、きっと季節も関係ないのだ。
ただ、その出来上がった服装から浮いてしまっている過剰なアクセサリー達だけは許容しがたいものがあった。
似合ってないとは言わないが、合ってはいないと思うのだ。
彼女の服装をまじまじと見つめるうちに、ふと、彼女の年齢が気になった。
僕と同じくらいだろうと予想はつくけれど、女の子というのは年齢が難しいのだ。
見た目だけで判断するとよくないと聞く。
聞けば済むが、きっと後悔するに違いない。
年上でも、年下でも、なににしてもいたたまれなくなるだけだ。
つまりなんというか、守ってもらうということに甘えきれない自分がいた。
「あと九時間もないわ」
そう言ってまだ空を見上げる彼女は、まるでこれまで星を見たことがなかったかのようにクギ付けになっていた。
その九時間というのはきっと、日が出てくるまでの話だろう。
それまで僕たちは二人でいることになる。
その時には少し、何も話しかけられない自分が変わっているのだろうか。
流れ星を顔ごと追いかける姿に思わずクスリときたが、彼女は気づかずにまだかと待ち続けている。
逃げている二人とは思えない光景だ。
「そういえば、さっきの続きだけど。魔法士って何?」
んー、と気の抜けた返事をして、しばらく空を眺めていた彼女は、ゆっくりと顔を僕に向けて頬を染めた。
そしてまたゆーっくりと瞳を流していく姿は、恥ずかしさを誤魔化すにしては下手くそだと思う。
夢中になっていたのを見られていたと気づいてしまったのだろう。
「魔法士は魔法が使える人のことよ」
「魔法使いじゃないか」
「違うわよ。魔法使いは滅多に存在しないわ。魔法に使われている人のことを魔法使いって言うの。そんな人想像できないでしょ」
魔法に使われるなんてことがあるのだろうか。
魔法というのは言わば道具のようなもの。
クギを打つために金槌を使うように、結果を得るための手段だというのが僕の認識だった。
これを彼女の言う通りに考えてみると、人が金槌に使われるということになる。
なるほど、ありえない光景だ。
「魔女っていうのは、女の子だからなのか?」
魔女と魔法士を別に扱っているから、その違いはその程度だと思っていたが、見るからに不機嫌になったその様子では、ただ女だから魔女ということではないらしい。
「まあ、魔法士のすごいやつって思っておいたらいいわよ」
いや、その言い方ではもっとすごいものだと思っておかなければいけないようだが。
機嫌をなおしてもらわなければ。
今どうして二人が争っていたのかを聞くのはやめておこう。
変に拗れた話なら余計に機嫌が悪くなるだけだ。
どうしたものか、と視線を流す――。
「あいつだ!」
まだ気づかれていないが、公園の外に白いローブが見える。
間違いない。
あれは僕たちを探しているのだろう。
「あと、言い忘れていたけど、さっきみたいな魔法はもう使えないと思っておいて。戦闘はできない。見つかって、もうどうしようもない時にだけ。その時しか魔法は使わない。だから、何があっても逃げるわよ」
「……わかった」
また走ることになるだろう。
逃げるためなのだから、運動が実は苦手だとかそんなことは言ってられない。
僕は先に走り出す彼女の背を追って、公園をあとにするのだった。
――目を離したつもりなんて、全くなかったのだ。
僕にはそのくらいのことしかできないから、守ってもらうだけだから。
だから、公園から出てすぐ、いるはずのない場所に存在している白いローブを事実として許容することができなかった。
僕が先に気づいた白いローブは、まだ公園の向こう側であたりを見渡している。
「走って! 本体が来るまでに逃げるのよ!」
目の前にいる本体ではない白いローブは、膝をあげたと思うと力強くアスファルトを踏み込んだ。
積もっていた雪が吹き飛ばされ、音の規模はあまりに違うが、パンと手を叩いたような音が街を流れていく。
僕は彼女に言われるがまま走り出し、何度も角を曲がって白いローブから離れていく。
その度振り返ったが、追っ手が来ることはなかった。