スイッチ ②
そこには大勢の人間がいるが、その全員が灯篭のことを知っている。
けれど逆に、灯篭はその研究所にいる人間を、誰一人知らない。
「と、灯篭様、本日はどのような……?」
あまりに目上の人間に、所長であるその男も、どう接すればいいのかわからないようだ。
もちろん、それは灯篭も同じである。
対国砲アマタを開発しているこの場所の所長とは、立場的にどちらが上なのか判断できなかったのだ。
しかし、所長の態度を見て、どうやら自分の方が上であると理解した灯篭は「見学させてほしい」とお願いした。
「し、しかし灯篭様……」
「なんだ、まさか、王族には見せられない何かがあるのか?」
「いえ、そんなことは」
頭を下げられ、灯篭はゲートをくぐった。
「案内はいい。好きに見させろ」
隣をついてくる所長を追い払い、一人になったところで、ずっと隣にいたはずなのに誰にも気づかれないままだった白竜を振り返った。
「なるほど。それなら、秘密も何もあったもんじゃないな」
何をどうすればそうなるのか、白竜は極端に影が薄かった。
影が薄いと言っていいものか――灯篭の持っている知識では、その言葉でしか表現できない。
「灯篭様、急いでいただきたい」
「急にどうしたんだ」
角を曲がり、幾つもの扉を通り抜け、ぶつけられる困惑した声を聞き流し、白竜は奥へ奥へと進んでいった。
灯篭は必死に、白竜を追いかけた。
ついに白竜は、足を止めた。
そこは重要な部屋だということがわかるほど厳重な扉だった。
しかし、中には誰もおらず、部屋を囲むモニターと、中心には灯篭の腰までほどの柱が立っている。
柱の上は、ガラスで囲われ――それはシンプルなものだ――赤いスイッチがある。
ガラスはどうも叩いた程度で壊れるものには見えず、その存在は歪んで見えた。
スイッチは押すためのものだ。
しかし、押してしまわないように囲ってしまっている。
ガラスはどうやら、生体認証で解除できるようだ。
そう、これが、白竜の言っていたものなのだ。
柱の前にあるサークルは、人一人が入るが精一杯の広さで、灯篭のふっくらしたお腹だけがサークルから出てしまっているような気もするが、そこまでシビアではないように思える。
「……」
意外にもあっさりと、スイッチを覆っていたガラスはとり払われた。
それが余計に、灯篭を不安にさせた。
自分がこれから何をしようとしているのか考え直す必要があると思ったのだ。
国家秘密を、こうも勝手に――。
「見てください、灯篭様」
電源の入っていないはずのディスプレイに映像が映っていた。
二人組の男女が走っている様子が見える。
偽の太陽を作り出した犯人たちである。
「我々のいる場所がバレています。急がなくては――」
偽物とはいえ、あれほどの高エネルギー体を作り上げるとは、まともな人間ではない。
ここに来られてしまえば、目の前に立たれてしまったら――灯篭はそう考えると身が竦んだ。
やるなら今しかない。
いまここで、スイッチを押さなければ、やつらはすぐにここまでやってくる。
「うっ!」
車に乗り込んでいる二人が見える。
すぐに来る。
「急がなくては、灯篭様!」
映像が途切れる。
その瞬間、灯篭はスイッチを叩いた。
ディスプレイが一瞬で起動し、世界が立体的に表示される。
照準を示すカーソルは、隣の国、ヒトツクニをさしている。
そこではない、と灯篭は目を精一杯開き、覚悟を決める。
「太陽を狙う!」
部屋に飛び込んできた研究者たちは、必死で灯篭の凶行を止めようとした。
しかしもう、発射過程に移ってしまったものを止めることはできない。
施設内をサイレンが鳴り響く。
耳がつぶれるような爆音の中で、灯篭は耳を塞ぎながら、ただ一人平気に立ち笑っている男を見た。
「――――」
醜い男だ。それは、人の顔ではない。
「感謝します、灯篭様。これで、私たちの願いは叶う」
騙されたのだ。
いや、そうではない。
灯篭は自らの意思でスイッチを押した。
もし、白竜が彼をそそのかさなかったとしても、いずれこの選択肢にたどり着き、自らこうしていただろう。
ただその覚悟が、ほんの少しはやまったというだけの話だ。
ディスプレイには、空を走っていく光弾の様子が映っていた。
失敗しなかった。
実験発射だとすれば、喜ぶべき結果だ。
「ああ」
灯篭は呆然とする研究者たちを置いて外へ飛び出した。
専属の使用人高崎が、珍しくもぼんやりと空を見上げている。
ボディガードも兼ねているその男が、こうも隙を見せるとは――。
灯篭は光弾を見送る。
過ぎたことはどうしようもない。
世界が割れる音だ。
明るく世界を照らしていた太陽は、ほんの一瞬、一際大きな光を発して爆発した。
砕けた光が花火のように散っていく。
このまま終わらないでくれと灯篭は願った。
このままでは、後悔もできない。
太陽は落ちていく。
どこへ。
どこへ。
一つ一つを目で追うことはできない。
灯篭はすぐに、使用人に声をかけた。
「街に出るぞ高崎。赤の軽自動車だ。男女二人組、こちらに向かっているはず」
白竜は敵だ。
助けを求めるのなら、あの二人組しかない。
灯篭は映像を必死で思い出す。
番号までは覚えられていなかった。
けれど、近くにあった店だけは見ている。
あれは、灯篭が隠れてよくいくバーガーショップだったのだ。
ほんの少し、空が暗くなった気がした。
けれど、どうやら太陽は残ったままだ。
対国砲アマタでは、一部を破壊する程度しかできなかったようである。
まだ開発途中であることが幸いしたのか、最悪の事態だけは避けられたようである。
しばらくして、またサイレンかと、少しだけ窓を開けた灯篭は、あまりの人の多さに驚き顔を隠す。
空をまだ見上げている人ばかりだが、その中に数人、あるものを見て困惑の声を上げている。
「ぼっちゃま」
「……赤だ」
赤の軽自動車が、岩石に潰されひしゃげている。
視線を遮るために広げられていくシートの隙間から、腕が一つだけ覗いていた。
「白竜」
映像は意図的に切られた。
あの後、白竜はあの距離で、この場所を攻撃したのだと灯篭は思った。
咄嗟に灯篭は、まだゆっくり動いている車から飛び出した。
すぐに空を見上げたが、まだ太陽の破片が飛んでいるのが見えるだけで、岩石が落ちてくるようなことはない。
ブレーキ音のあと、高崎は慌てて降りてくる。
何か彼に言っているが、灯篭の耳には何も入っていない。
灯篭は、一度深呼吸をしたあと、レスキュー隊の男に近づいた。
「被害者は男と女か?」
「離れてくだ――と、灯篭様!? 女性だけであります!」
「ごくろう」
男は生きている。
灯篭は救われた気持ちになった。
ならば、やることは一つである。
顔ははっきり見えなかった。
歳は灯篭と同じくらい。
体格はあまりに違うが、歳が近ければ、コミュニケーションが苦手な灯篭でもうまくいくかもしれないだろう。
「行くぞ高崎。全て終わるまで家には帰らんぞ」
「……かしこまりました。ぼっちゃま」
もう一度車に乗る前、念のため空を確認した灯篭は、こんな時でも容赦なく鳴る腹の音に舌打ちをして、バーガーショップを指差した。




