スイッチ ①
壁に背を預けて、必死にかき集めた資料を眺める。
立って資料を読むとなると、机がほしいと思ってしまう。
二木灯篭は、その時代には珍しくとても太っていた。
好きな食べ物は、ハンバーガーの間に挟まったチーズ。
チーズだけではだめらしい。
肉を食べれば身長は伸びると信じていたが、成長したのはお腹だけだったので、灯篭はもう身長を諦めた。
いつもなら嫌悪する脂肪も、この時ばかりは、便利だなと思うのだった。
資料を脂肪に乗せれば、手が疲れない気がする。
部屋の中から椅子が動く音が聞こえ、灯篭は目を通していた資料を慌てて閉じ、討論を終え出てくる人々に頭を下げた。
ほとんどが、灯篭の顔見知りであり、親戚ばかりだ。
最後に出てくるのが、灯篭の父だった。
灯篭は、付き人と話しながら出てくる父親に駆け寄り、必死に声をかける。
「お父様! どうかおれの話を聞いてください! このままでは世界が干からびてしまいます!」
しかし、彼の声を聞こうとはしない。
親子であるということを忘れているように、その態度はあまりに他人行儀だ。
いつもなら諦めて部屋に引きこもる灯篭も、今回ばかりは引き下がれない。
まさか、空にある太陽が、偽物だったとは――。
何度も考え直したが、灯篭のたどり着いた答えが歪むことはなかった。
異常なまでに冷え切った世界が、急に暖かかくなったあの日は、救われたという気持ちだったのだ。
だからこそ、灯篭は、何がこの世界を変えたのか気になってしまった。
「お父様!」
何度目かの呼びかけで、灯篭の父親は振り返った。
聞かれないものだとわかっていて声をかけ続けていた灯篭は、その態度の変化に困惑する。
何を言わなくてはならないかも忘れてしまいそうだった。
「して、お前に何ができるのだ?」
そうだ。
期待した灯篭は思い知った。
この父親はずっと、灯篭のことを息子だとは認めていない。
息子として見ているのは、灯篭より六つ年下の弟だけだ。
扉が閉まっていく。
灯篭は、父親が言った言葉の意味を理解した。
「手は貸さない」と。
灯篭は、今日もまた、誰も入ってこないように言い聞かせてから部屋に閉じこもる。
だれも来ないとわかっていても、彼にとってはそこが安心できる場所ではない。
「ぼっちゃま、ぼっちゃま」
何度かノックを無視すれば、皆諦めて戻っていく。
彼に話しかける義務はあるけれど、会話が成立する必要はない。
いつもの通り「返事はありませんでしたが、ぼっちゃまは大変健康的です」と報告するだけだ。
それもまた、彼がこの場所を嫌っている理由の一つである。
他にも、灯篭の周りに大勢の人間が立つということも不快なのだという。
身の安全を守る為とか、すぐに命を受けられるようにとか、好き勝手に理由をつけて近寄ってくるのだ。
「くぅ……っ!」
しかし、結局彼は扉をちょっぴり開けて言ってしまう。
「ハンバーガーを用意しろ!」
腹が減った時にだけは、近くに人はいてもいい。
そんな都合のいいことを堂々と言ってもいい立場である彼は、しかし恥ずかしいからそんなことはしない。
これは太陽が散る、ほんの数日前の出来事だった。
いつもなら、彼が命令した一分後には用意されるはずのハンバーガーが来ないのだ。
彼の使用人は恐ろしく有能で、彼が言いだす前には用意ができているのである。
チーズがうまく溶けた頃合いの香りが立つ瞬間を見極めて運んでくるのだが――。
「こんにちは、二木灯篭様」
突然の来訪者に、彼は腰を抜かした。
使用人でも、滅多に中に入れないのである。
扉が開いた音はしなかったし、窓が開いていたということもない。
まるで初めからそこにいたというように、白いローブに身を包んだ男は立っていた。
「な、何者だ!」
「白竜と言います。いえ、そう警戒しないでください。私はただ、次期王であらせられます二木灯篭様のお役に立ちたい――ただそれだけなのでございます」
灯篭は咄嗟に、枕の下に隠していたナイフを握った。
護身用だ。
けれど、刃物を振り回したことのない灯篭は、震える手で「う、動くな!」と声を張り上げることしかできない。
「落ち着いてください、灯篭様。ほんの少し、お時間を頂きたい」
白竜は、ローブの中から一枚のディスクを取り出した。
「テレビお借りしますよ」
ナイフを構えたまま、灯篭は白のローブを目で追った。
すぐ目の前にいるはずなのに、気を抜けば見失ってしまいそうだ。
灯篭は、白竜が見せてくる映像に、大事に握っていたはずのナイフを落とした。
「あ……」
「合っていますよ、灯篭様。あの太陽は偽物です」
二人がそこにいた。
二人とも傷だらけで、空に浮かんでいく《塊》を見上げている。
この二人が、今の、世界を襲う危機を起こしたのだ。
「ということは、あの空に浮かんでいるものを壊せば――」
何ヶ月も続く夏の季節に、人だけは慣れることができる。
しかし大地は、日に日に力を失っていく。
大地が干からびてしまえば、人に影響がでてきてしまうだろう。
父親にまた、懇願する必要があると灯篭は思った。
しかし、もう話は聞いてもらえないだろう。
自分一人だけで、何とかしなくてはならない。
「フタツクニには、大事に大事に作っているものがありましたよね」
灯篭は、見失いかけた白竜を視認し、一歩距離を置いた。
確かに、白竜が言っているものならば、空に浮かんでいるあの塊を破壊することはできるだろう。
足元に落ちたナイフをもう一度拾い上げ、灯篭は構えた。
「どうして知っている」
王族と、研究者以外が知っていることではない。
外に情報が漏れることは絶対にないように、研究者の家族は施設外にでることはできないようになっている。
その代わりに、待遇は一般人をはるかに凌ぐものだ。
文句を言う人間はいない。
つまり、外に愚痴をもらす人間は存在しないはずだった。
「対国砲アマタ――一撃で国一つを滅ぼす破壊砲ならば、うまくいくとは思いませんか?」
現在どの国でも戦争は起きていない。
兵器の開発をする必要はないが、きっとどの国も秘密裏で、こういったものを作り出しているだろう。
もしかしたら――いつかは――何処かの国が襲ってくるかもしれない。
戦争が起きていないからこそ、各国は怯えて、対抗策を練るというわけだ。
「アマタは、国王と、国王に信頼された数人だけが、発射装置を起動できるそうですが。どうです?」
「何が言いたい」
灯篭は、額の汗を拭った。
何を言われるか分かった灯篭は、ナイフを投げ捨てて叫んだ。
「王になるのはおれだ! 弟じゃない!」
「次に王になるはずのあなたが、起動できないなんて、そのようなことはあり得ませんからね」
やはり、白竜は、灯篭が思ったとおりのことを言うのだった。




