月光の魔女 ③
39
山頂についたぼくは、何かすることもなく、何かされることもなく、ただ二人で夜空を見上げているだけだった。
光ちゃんという月光の魔女は、まるでぼくに何かをするような口ぶりだったというのに、あれは嘘だっただろうか。
山の頂上にいるからか、やけに透き通った星空は、どんよりとした雲の隙間からしか見えない筈なのに目を大きく見開いても足りないほど広大に見えた。
隅から隅へと目を泳がしても、どれも同じような星にしか見えないけれど、しかしその米粒より小さな光に、名前がひとつひとつあるというのが信じられない。
そのひとつひとつの名前を全て把握している人なんてきっといないのだ。
だれでも知っているような太陽ほど強い光でなければ、皆に覚えてもらうことなんてできないだろう。
流れてくる雲がせっかく届いてくる光を遮ろうとしているけれど、通り過ぎてしまえば、それは前よりもやけに綺麗に見えるのだった。
「……」
横目で光ちゃんの顔を盗み見てみたが、彼女は口を閉じたまま、弱々しく点滅する月を見つめている。
そこでぼくは初めて、夜空の異変に気がついたのだった。
点滅する月光は、見れば誰でも、それが異常だと思うだろう。
「気づいた?」
悪戯に笑う彼女は、どこかあさひに似ているようなかわいらしさで、しかしその姿に似通ったところなど見つからない。
ただ、年が近いような気がするという、そんな曖昧な感覚だけで、彼女たちが似ていると思い込んでいるだけなのだろう。
同じ魔女だということも、彼女たちが似ていると思ってしまうひとつの原因かもしれない。
確かに一度彼女に殺されてしまったけれど、しかしいまになってみれば、彼女に恐怖を感じることはなかった。
鎌を手放して、足元に転がしているから、すぐには攻撃されないという安心感からなのかもしれない。
そもそもやはり彼女は、ぼくに何もする気はないらしい。
何か語り出すのかと待っていたけれど、彼女は無邪気に笑った後黙り込んだままだ。
ぼくには結局、月に異変が起きているということがわかるだけで、それの原因はなにもわからない。
いや、そもそもこの場合、月に異変が起きていると考えるのは間違っているのだろう。
誰でも知っていることだ。
月は光っていない。
つまり、異常があるとすれば太陽の方である。
月はただ照らされているだけなのだから。
「関係あるのか?」
と言って月光の魔女である光ちゃんを見ても、彼女はにやりと笑うだけではっきりと答えはしなかった。
関係があるかどうかはともかく、何が起きているのか知っているようである。
しかし、彼女は答える気がないようで、癖のついたブロンドの髪を指先で遊ばせていた。
骨だけの指は、近くで見ても変わらず不気味なものだったが、そうした女の子のような動きに違和感はない。
いや、違和感自体ははっきりとあるのだ。
似ていると思ってしまう。
けれど、彼女が魔女であるという一点だけは、なぜかまだ飲み込めずにいた。
いや、きっと光ちゃんは魔女なのだろう――《けれど》という言葉をやはり捨てられない。
太陽と月光という名前の違いの話ではない。
なにか、もっと何か、決定的な違いのようなものがある気がしたのだ。
「ふぅ」
とため息をつき、何も付いていない左腕の手首のあたりを確認した光ちゃんは首を振った。
その動きはまるで時間を確認するようなものだったが、しかし今の彼女の腕に時計はない。
思い返してみると、あさひはやけに時間を気にしていたけれど、自分の時計は持っていなかった。
公園やコンビニ、バス停なんかにある時計で時間を見ていただけで、しかしほとんどは、体感だけで計っていたように思う。
彼女のように腕時計を気にしたようなことはなかった。
その差は歴然としてあるものだ。
とはいっても、だから光ちゃんが魔女ではないのだという話にはならない。
あさひが時計を持たないのはただの習慣だったのだろうし、光ちゃんが気にしているのは、時計を持っていたからというだけだろう。
ではなぜ、今の光ちゃんは時計を持っていないのだろうか。
そもそもその細すぎる腕から滑り落ちない時計があるのかと気になるところだが。
時間が気になったら見てしまう程度には、それは体に染み付いた習慣としてあったものに違いない。
「……」
時計ひとつでここまで疑えるのも、やはり彼女自身の存在に謎が多すぎるからだ。
ぼくはどうせ暇で、何を考えても答えにたどり着くことはないだろうと思い、とにかくひたすらに、謎をぶつけようと思った。
「君は死にたいのか?」
真っ先にそのことが出てくるのは当たり前だった。
だって、彼女の言葉が信じられなかったのだ。
ぼくにはとても、そんなことは考えられない。
「だめ?」
「……だめとは言わないけど」
全く信じられないだけなのだ。
「よく見ててねえ」
突然に鎌を持ち上げ立ち上がった彼女は、身構える僕に見向きもせず、刃を直接握り胸に当てたと思うと、そのまま少しずつ、収納していった。
鮮やかな赤い血を零しながら。
収納なんて言ってみても、ただ刺しているだけだ。
刃が体を貫通し、背中から赤く染まる刃先が覗いても彼女の狂いきった行為は止まらず「いたーい」と嬉しそうに笑い続けているだけだ。
「見て、もっと見て!」
やっとぼくを見下ろした彼女は、ぼくの腕を掴み鎌の柄を握らせる。
「動かして」
僕にそんなことができるはずない。
「はやく」
手の甲と柄を握り潰されるような力で固定され、彼女にされるがまま、生温い血の雨を被った。
刃が往復するたびに震える彼女の四肢は、いまにも折れそうに歪み、僕は目をそらす。
「見てよ」
僕は目を逸らしたまま、離されない手から意識を遠ざけることしかできない。
「え?」
だからぼくは、頰を赤く染め、息を荒げているその少女の姿を再度見つめることになる。
「命令したよな?」
「したよ。ほら、はやく」
じゃあどうして、ぼくは彼女の言葉に抵抗できているのだろう。
「光ちゃん、君って――」
魔女ではないのではないか?




