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太陽の魔女  作者: 重山ローマ
プロローグ 太陽の魔女
3/80

二つの足跡 ③


 自分が何をしに来たのかが思い出せなかった。

 何かに吹き飛ばされて起き上がると、二つの人影が見える。

 空き家の前だ。

 そうだ、忘れ物を取りに来たのだ。


 目を凝らすと同じ年頃の女の子が、誰かにカバンを振り下ろそうとしている。

 暴力事件とも疑ったが、その線はないと見ていいだろう。

 倒れたままの白いローブと女の子では体格差がありすぎる。

 女の子が襲った側だとは想像できなかった。


「だめだ!」


 だからこそ、僕はその異変に気がついたのかもしれない。

 男が敵だと、悪い人なのだと認識していたからこそ、その悪意を感じ取ることができた。


 すでに振り下ろされていたカバンは、頭のあった場所に叩きつけられる――頭はすでに起き上がっていた。

 ぐにゃりと竹のようにしなり起き上がる姿は、吐き気を誘う気持ちの悪さだけでなく、背筋を凍らせるほどの恐怖があった。


 その動きは反撃のための動きだったのだろう。

 男は体全てを包むローブから足を伸ばそうとしているところだった。

 カバンを振り下ろした女の子はすぐに体を動かし始めている。

 避けようとしているのかもしれない。


「え」


 しかし、その二つの影は交わることがなかった。

 ほぼ同時、雪を蹴り上げた二つの影は、僕に向かって飛びかかってくる。


「逃げて!」


 女の子の声で背を向けて走り出した僕は、数歩で雪に足を取られ滑るように転がった。

 起き上がる方法がわからなくなっていた。

 何が起こっているのかわからないことが余計に、僕の頭を混乱させていたのだろう。

 死んでしまうのかもしれない。

 頭の中が暗闇に覆われていく。


「解放!」


 少女の叫びと共に爆音が響き渡る。

 爆風で浮き上がる体を何かに掴まれて、僕は雪の上を滑るように転がった。


 投げ捨てられたのだ。

 慌てて顔を上げると、庇うようにして立っている少女がいた。


「はやく立って!」


 カバンに手を突っ込んで指に何かをはめている少女は、振り返りもせずに叫んだ。

 守ってくれているのだと理解した。

 年も変わらない女の子に、自分は守られているのだと理解した。

 自分は守られる必要のある弱者なのだと理解した。

 自分は死にたくないくせに、何もできない人間であることを理解した。

 死にたくないということが、ただ自分が臆病なだけだったのかと――竦んで動かせない体が教えてくれた。


「ぅ」


 動き出さない気配を感じ取ったのか、彼女は振り返って瞳を揺らした。

 怯えているのか、動揺しているのか、僕には何もわからない。

 僕にわかるのは、死ぬかもしれないという可能性だけだ。


 爆風のせいで降り積もった雪は空に舞い上がっていた。

 より視界を悪くさせる二重の降雪は、白いローブの認識を曖昧なものにさせている。

 どこにいるのか、目を凝らさなければ視認ができないのだ。


「はぁ――はぁ――」


 震えている彼女の姿は、寒いからでも、動揺しているからでもない。

 僕の姿を見下ろして、涙を流して、歯を食いしばって、息を荒げて――それは悔しさのあまりの表情だった。


 僕はそこでやっと、彼女の顔を認識した。

 初めて見た顔だ。

 だというのに、彼女は僕を庇っている。


「置いていってくれ」


 彼女は逃げられるはずだ、と思った。


 置いていかれるとどうなるのか、僕はわからない。

 そもそも彼女が僕を守る理由がないのだ。

 そもそも僕が何かをされるという確実な根拠もないのだ。


 僕はただ、その表情を見ているのが辛かった。

 僕の言葉で余計に表情を歪ませた彼女は、涙を拭って僕を見ることをやめた。

 置いていかれるのだと理解した。

 視界がはっきりとしない――。

 可能性は事実となる。

 死の形を理解した。

 僕はここで死ぬのだ。


「ぁ……あぁ……」 


 俯き、口に流れ込む涙は少ししょっぱかった。

 死にたくないという言葉が頭の中で反復される。


 これ以上心配する必要がなくなるのだと考えてみた。

 言ってみれば、僕の人生は心配そのものだ。

 手につけた手袋は、決して防寒のためではない。

 手の怪我を防ぎ、菌から身を守るためのものだ。


 この手袋を捨てて、外気に晒された手で風を撫でている姿を思い浮かべる。

 それは僕が死んだ後の姿にしか見えなかった。


「決めた」


 何か言ったということだけはわかった。

 顔を上げると、彼女と目があった。

 もう彼女は震えていない。

 震えているのは僕の体だけだ。

 しかし、自然と僕は落ち着いたのだ。

 彼女の微笑みが、まるで太陽のように眩しく、優しいものだったから。


「君は私が守るから」

「僕を置いていかないのか?」

「うん。一緒にいこう」


 彼女が誰かなんて、もうどうだってよかった。

 彼女が伸ばす指先から眩い光が発せられる。

 のそりのそりと動く白いローブは顔を覆い、動けなくなっていた。

 彼女の影になっていたおかげで、僕にはなにのダメージもない。

 呻きながら膝をつく様子をゆっくりと見る暇もなく、僕は彼女に手を伸ばした。


「連れて行ってくれ!」


 伸ばした手を彼女が優しく握る。

 二人で駆け出した雪道には足跡が二つ並んで、それもきっと除雪車に消されてしまう運命なのだろうけれど、僕は残されていくものを振り返った。

 深く刻まれた足跡は僕のものだ。

 雪を踏みしめていけ、より深く、強く。


 彼女の横顔を見つめる。

 先を見据える赤い瞳は、月の淡い光でも変わらない力強さのようなものがあった。

 後ろで縛られた髪が揺れると、どこか懐かしい香りに頬を緩めてしまう。

 もう日が暮れたから母に怒られてしまうけれど、今日だけはどれだけ怒られてもいいと、僕は思った。


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