歩み寄る観察者 ②
33
「言っておくけど、だれでも座ったらお腹出るからね」
話終わって真っ先にあさひちゃんが言ったのはそんなことだった。
そんなこと気にすることではないと思うのだけれど。だって、見たのは僕だけなのだから。
「……触ってないでしょうね」
「もちろん」
誘惑に負けてちょっぴり指でつついただけだ。
摘んではいないのでセーフである。
「名前を言うなって言われる前だったから、僕は悪くないと思うんですあさひちゃん」
だからといってあさひちゃんが悪いということにもならないが。
「ちゃんはいいって、木葉くん」
「そっか」
僕はなんだか照れくさくて目を逸らした。
ちらりと盗み見るように彼女をみると、彼女もまた頬を染めて顔を逸らしている。
僕はただ、あの逃げて秘密基地までやってきたような女の子がずっと心配だったのだ。
もちろんコートは返して欲しかったけれど、高いから買い直してもらえないので辛かったけれど、元気にしているのかだけは気になっていたのだ。
「だったら、あなたが魔法使いになったのも納得するしないわね。寝てたけど、木葉の名前聞いちゃってたわけだし」
「……寝てたんだよな?」
「ええ、ぐっすり」
あのよだれが寝たふりでできるのなら、それは見上げたプロ意識である。
しかし寝ていたとするならば、魔法使いになる条件のひとつが不可能なのだ。
「あさひ」
「さて、いきましょうか」
誤魔化すように歩き出したので、僕はすぐ腕を掴んで引き止めた。
魔女だからと言われたら納得するしかないのだけれど、それは単純な疑問だった。
「どこで僕の名前を知ったんだ?」
「……寝ているときに聞いたからよ」
「寝てたんだろ? 寝ている間に起きたこと覚えているなら、僕が肉摘んだことも知っているはずだが」
「つ、摘んだ!?」
それは言わなくてもよかったかもしれない。
問い詰められる前に僕は、次の言葉を続けた。
「まあ、別にいいけどさ。君は魔女なんだから、寝ながらだって、耳に入る情報をしっかり記憶することくらいできるんだろうし。にしても、今にして思えば、よだれの滝はさすが魔女だというべきの大傑作だったな」
「……ね、寝てたからそんなこと知らない」
起きたら気づくことだから寝ている間は確かに知らないだろうなとは思う。
考えてみるとやはり彼女は、僕がたった一度だけ言った名前を聞いて知っていたわけではないようだ。
それとは違うどこかで、僕のことを知っていたようである。
なんだか不公平ではないかと思ったけれど、僕も勝手に名前を知ったのだから同じようなものだと思っうしかないだろう。
きっと彼女は僕のことをだれよりも詳しいのかもしれない。
僕の中に深く刻まれた『死にたくない』という言葉を、彼女はもう知っていたのだから。
だから分岐した僕を殺そうとはしなかったのだから。
白兎の洗脳が、人の脳に侵入し操るのだとすれば、魔女もその程度できてもよさそうだ――洗脳まではしなくとも、脳の中、つまりは考えていることくらいは、読み取られていてもおかしくはないのだ。
僕にはどうせ、その一言しかなかっただろうから、すぐに読み取れただろうし。
「昇山って、どこから登ればいいかわかる?」
僕は首を振って否定した。
この辺りに登山のできる山なんてものは聞いたことがなかったし、そもそも名前のついたような立派な山なんてあるのだろうか。
人に聞こうにも、今の時間では歩いている人はいない。
インターホンを押せば、せっかくの夢を崩してしまうかもしれない。
そんなことを言っている暇はないのだろうかと、僕はあさひの表情を伺ったが、あさひもどうやら人に聞くという手段は考えていないようだった。
なんとなく月光の魔女、光ちゃんの飛んでいった方角を見ている。
「さっきはね、木葉くんがいた場所がなんとなくわかったの。魔女と魔法使いの関係のおかげでね。でも、いまは側にいるからかわからないけど、木葉は隣にいるというこしかわからない。というか、でも隣にはいないような……すごく曖昧なの」
飛んでいった方角に昇山がなければ、そんなどうしようもない罠だったのなら、諦めるしかないのかもしれない。
しかし、待っていると、それは気高き騎士のように言ったのだから、人質云々は無視したとしてわざわざ騙すようなことはしないはずだ。
人質は無視できないように、避けられないように立てるものなのだから、ここであっさりあさひが背を向けるとは考えていないだろうし。
来てもらわなくては困るのだろう。
地図を見るしかない。
山に名前があるのなら、地図を確認する他ないだろう。
歩いていればコンビニにのひとつは見つけられるだろう。
お店に並んでいる地図を見せてもらうことにしよう。




