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太陽の魔女  作者: 重山ローマ
プロローグ 太陽の魔女
22/80

発現 ①

26


 体の自由をまた奪われた僕は、ただ動かせなくなるだけでなく、彼の言うことを勝手に聞いてしまう体になっていた。

 僕の意識が残されていることに白兎が気づいているかは分からないけれど、とりあえず抵抗は不可能である。


「なんです、思ったより魔女も大したことありませんね。使い魔をこうも簡単に奪われるとは。いや、人間ごときには使い魔としての役割を担うことも不可能なだけかもしれません」


 口からはみ出た白髪が、ピコピコと口の動きに合わせて跳ねた。

 大事な一本だから飲み込めないのだろうか。

 しかしどうやらその一本を飲み込めないおかげでまだ落ち着かないらしく、ローブの裾を持ち上げてもじゃもじゃの脛を晒していた。

 先ほどの行為は決して演技ではなく、僕が引っかかったのはたまたまだったのだろう。

 余計に僕は悔しくなるだけだった。


「………………」


 急に目を見開いて黙り込んだので僕は嫌な予感を感じ取った。


「腕を出しなさい」


 抵抗できないとわかっているのに、僕は悲鳴をあげた。

 しかしそれは悲鳴をあげたと思っているだけで、体は命令の通りに動いてしまうのだ。

 晒された腕をみて、白兎は思わずといった様子でフードを背に追いやった。

 晒された白髪は濁りもなく雪よりも白い。

 光を出しているのかと勘違いしてしまうほどの美しい白髪は、男のものでなければ心が惹きつけられてしまっていただろう。


 手を伸ばしてくるのかと思えば、白兎は舌を伸ばしていた。

 喉から手が出るほど、というやつをまさに体現しているようである。

 どうせ抵抗できないとわかっているから、その時を待つしかない。

 あのざらざらした汚らしい舌が、僕の腕に触れるのだ。

 そう想像すると、死ぬ危険性はないと落ち着いてしまっている僕がいた。

 でも、嫌なのは嫌である。


 痩けた頬と太(ぶと)い眉、髭がないのは腕と同じように喰べきったあとなのかもしれないが、不自然に片側にだけできたシワの事もあって年齢が判断できなかった。

 年上であることは間違いないが、手の甲はまだ若々しいように見えて、まだおっさんと言えるほどではないのかもしれないと思った。

 どうしてこうも観察しているかというと、まだおっさんに舐められるわけではないからマシだと自分を慰めるためである。


 いよいよ触れる寸前のところで、僕は目を閉じた。

 結局誰に舐められるにしても、噛みつかれるにしても、見ていたくはないからだ。

 しかしどれだけ待っても、腕に湿った弾力性のあるものが触れてくることはなかった。


 変だぞ、とは思っても目を開けたくはなかった。

 もし開けた瞬間に腕に触れられてしまうと、精神が崩壊する自信がある。


 あ、舐められたか程度の反応で済むはずがない。

 きっと泣き叫びまではしなくとも、何も知らない関係のない人に膝枕でもしてほしくなるくらいにはおかしくなるだろう。


 あまりに時間が長すぎると思った。

 そこで仮定する。

 あまりの嫌さに腕に触れられるまでの短い時間が、引き伸ばされたように感じていると。

 とすれば、ここまで細やかに考察できるのも納得だ。

 時間が長く感じるのはそれほど頭が回転しているからだとどこかで聞いたことがある。

 つまり結局いつかはべとりとくるのだ。


「嫌だ」


 と、僕の口は動いていた。

 目を開くと、捩れた舌が腕に近づいていく。

 それが死を招くほどの危険性があったとすれば、僕はどうするだろうか。

 まず腕を避けるべきだろう。

 僕は考えた通りそうした。


「なにを――」


 異変に気がついた白兎は、身を引いた。

 その動きは別段ゆっくりとしたものではなかったはずだ。

 警戒した動きだからこそ、それは素早いものだったに違いない。

 しかし僕にはその動きがあまりにも鈍く見えたのだ。


 それから、白兎がなにをしてくるのだろうかと予測する。

 掴みかかってくるのか、それともまたローブを広げて僕を飲み込むのだろうか。


 どちらにしても近づいてくると踏んだ僕は、距離を取る判断をした――と同時、近づいてくるとわかっているのなら攻撃だって可能ではないかと思った。


 毛を抜くたびに痛がっていた姿を見ている僕は、彼には人間と同じ痛覚があるのだと知っている。

 痛いことをすれば怯むだろう。

 相手の動きを読んでいる僕ならば、顔面に一撃拳をぶつけることも可能かもしれない。

 僕は殴りかかる判断をした。


「どうして洗脳を解いたのかは知らないが、私の絶対領域(テリトリー)に飲み込んでくれる! 洗脳しなおすだけだ!」


 広げられたローブに、僕はやはり抵抗できずに飲み込まれていくのだった。


 僕は距離を取ったまま、その光景を眺めている。


「飲み込んだぞ、飲み込んだぞ! ああ、ああ、ああ!」


 歓喜の声ではなく、白兎は僕を指差して奇声をあげる。


「だというのに、なぜ貴様はそこにいるのだ!」


 なにもない腕にかじり付いて、白兎は顎を揺らして噛み切った。

 真っ白だったローブが、赤い血に染められていく。

 噴水のように吹き出すことはなく、ただ滝のように流れる血が降り積もった埃を赤黒く固めていった。


 僕にはなにがあったのか理解できない。

 確かに僕は距離をとったはずだが、その前に、いつものように自分の安全を守るためのシミュレーションをしただけだ。

 いつものように、ただ自分の安全だけを考えて動いただけだ。

 こうすれば、自分はどうなるのかと想像しただけだ。

 そして僕は、判断したのだ。


 近づいて攻撃すると。

 距離をとると。


「貴様、そうか、そうか! 使い魔ではなかったのか! 魔女と契約した魔法使いだったのだな! 洗脳されたフリをしていたのだな!」

「なにが……」


 とりあえず、自分の体が無事だったのは間違いない。

 洗脳も解け、体は自由に動く。

 ここから逃げて、彼女を探すことが自分の死を避ける最善の方法だ。

 だから、ここから逃げる方法を考えなければ。


 出口はいくつかあるのかもしれないが、今僕がいる建物の内部構造を全く知らない僕には、白兎の背後にある鉄扉だけが唯一の出口だ。

 どうにかして彼の脇を通り抜け、扉を開けて逃げるしかない。

 ふとそれとは別に、背後の壁の上3メートルほどの場所に窓があると気づく。

 ガムテープで補修はしてあるが、力を入れれば簡単に破ることができるかもしれない。

 これで出口は二つだ。


 窓の方は高すぎて、壁を蹴ったとしても一度の跳躍で窓から脱出することは不可能だ。

 窓を割り、もう一度飛び直す必要がある。


 もうひとつ、白兎の後ろにある鉄扉は、見るからに簡単には開きそうにない。

 内側に白兎がいるから鍵はかかっていないにしても、もしたどり着いたとして開くまでに時間が掛かる。

 それでは簡単に追いつかれてしまうだろう。

 手こずっている間にローブの中だ。


 どちらも不可能だ。


 しかしどうしても今の短時間で見つけられる出口はその二つだけだ。

 どちらかに決め切る必要がある。

 白兎と僕の距離は二メートルもない。

 数歩踏めば手が届くだろう。

 背を向け走り出し一度跳躍して着地するころにはローブの中だ。

 どちらか選ぶとしたら、彼の側を走り抜けると同時に攻撃だ。

 隙を作り、鉄の扉がすんなり開くことにかけた方がマシなのかもしれない。


 僕は窓を選んだ。

 僕て鉄扉を選んだ。


「背を向けるとは、愚かですねえ!」


 僕は飛びかかってくる白兎を躱し、足を引っ掛けて走り出した。

 受身も取れずに転がる白兎は、一度飛び上がり窓を叩き割る僕に手を伸ばす。

 着地と同時に掴まれた足が、蜃気楼のように歪み溶けて消えていってしまう。

 扉に腰をぶつけ背中と肩で押し開けた僕は、その光景を見送って外に飛び出した。


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