タイマン ①
24
飲み込まれたな、と僕は思った。
ならば洗脳されてしまうことも仕方がないと納得した。
しかしどこかで、本当にそんなことが可能なのかと疑ってもいた。
「ああ、ああ、ああ」
体をくねらせて白兎は僕を見ていた。確かに、頭の中に何かが流れ込んでくる感覚はあった。
『言うことを聞け』と、そんな簡単な言葉が何度も繰り返された。
けれど、やはり僕は疑っている。
そんなことで、魔法士は人間を洗脳できるのかと。
「腹が立ちますね。ただの人間ごときが私に抵抗するなんて。貴方はすでに私の絶対領域の中に入ったのですよ」
「確かに」
それは納得せざるを得ない。
だから洗脳されてしまうことも仕方がない。
「ああ、ああ、ああ」
白兎は白いローブから腕を伸ばし、腕に生えた剛毛をひとつひとつ抜いては口に運んでいた。
すり潰すように顎を動かして飲み込むと、やっと落ち着いたようだ。
腕の毛は長さがまばらで、何か落ち着かないときには引き抜いてそうしているのだろうと見てわかった。
なかなか狂った男だなと思ったけれど、落ち着くために手袋をしている僕と何が違うのだろうか。
手袋をずっとつけていたせいで、あまりに長い時間外してしまうと落ち着かなくなってしまうのだ。
このままでは怪我をしてしまうと心配になり、このままでは死んでしまうかもしれないと過剰に反応してしまうのだ。
やはり、彼がそうして毛を喰らうこととそれほど差はないのかもしれない。
と、いろいろ考えることができているということは、洗脳はうまくいっていないのだと思わずにはいられない。
なんだ、魔法なんてそんなものなのかと言ってしまえば悪いことをされそうなので口に出さないけれど、しかし体を動かすことはできないことを考えると、洗脳が全く効いていないということではないらしい。
自分のことをこうして客観的に見られていることは、体が自分の思う通りに動かせないからなのだ。
一種の金縛りのようだなと考えると、少しばかり気が楽になった。
抵抗もできないまま着せられた白いローブはなんとも言い難い。
元々ただの学生服だったから、ファッションセンスがどうとか言うつもりはないけれど、一色に染められてしまうことはなんだか受け入れ辛いのだ。
そのときに手袋が外されなかったことが唯一の救いといったところか――それがなければいまもこうして落ち着いていられなかっただろうし。
真っ白の手袋をつけていて、このままでいいのだろうかと考えることは多々あったけれど、今だけは感謝してもいいと思った。
そうして自分のことばかり考えていた僕は、離れ離れになった彼女のことを思い出した。
僕が勝手に動いて勝手に捕まったけれど、彼女はどうしているのだろうかと気になったのだ。
僕のことを守るとは言ってくれたけど、やはりどうして僕を助けてくれようとしたのかが気になってしまう。
「ああ、ああ、ああ」
また頭に同じような言葉が走って行ったけれど、すぐに白兎は腕を出して腕にかぶり付いた。
いよいよ抜くこともやめたらしい。
がじがじと顎を動かしても、それでは毛の摂取はできないだろうとは指摘しない。
そんな光景を眺めていると、彼女の心配をしている余裕はないのではないかと不安になってきたのだった。
彼女の言葉を思い出すと、魔法を見てしまったら殺されてしまうのだという。
白兎は絶対領域に飲み込んで洗脳し、街で見た白いローブたちを作っていたのだとすでに理解していたから、そもそも彼は見られても殺す必要はないのだろうと予測はできる。
しかしだからといって、僕が殺されない理由にはならない。
洗脳が聞かないのなら殺すしかないのだから。
それだけが、魔法というものの流出を止める方法なのだから。
そうして僕が考え込んでいると、白兎は急に腕に噛み付いたまま動きを止めた。
過剰摂取で吐きそうになったとは考えられない。
腕を見ていた小さな小さな瞳が、ゆっくりと磔にされている僕をとらえた。
「なるほど」
腕を噛んだままだから、はっきりと言葉になってはいなかったが、白兎はフードの中ににんまりと醜い笑みを浮かべながら呟いた。
「魔女がどうして人間なんてものを守るのか不思議でしたが、貴方が使い魔だとすれば納得できますね。すであなたが洗脳されているとすれば、私の洗脳では上書きができないということも――」
自分でそこまで言っておいて白目になりながら腕を舐めまわした。
どうやら自分の言葉で余計にストレスを感じたらしい。
それでは毛は喰えないぞと言ってやりたかった。
「ならば、より深く洗脳するだけです。使い魔であるならなおさら、奪ってしまえば魔女に精神的なダメージを与えられるでしょう」
そもそも僕に彼女との接点はない。
今夜初めて会っただけなのだから。
しかし少なくとも数時間一緒にいたことは間違いない。
その間に洗脳されていたのだとしたら、それはさすが魔女だと言わずにはいられないだろう。
彼女に死んでほしくないと思い始めていたあの感情が洗脳によるものだとしたら、僕は安心してほっと息を吐くほどでもあった。
ならば、僕自身が変わったのではなく変えられただけなのだとすると、悲しくなってしまいはするけれど、それで僕が少しでも変われたのだとすればいいことなのだと思う。
彼女を批判したりはしない。ずっと自分だけだった僕を変えてくれたのだとしたら、守ってくれることよりもきっとうれしいことだろうから。
「聞いていますか」
白目がくるくると動いて瞳が覗きでる。どう反応するべきか困り考えているうちに、今度は反対の腕にかぶり付いてしまったので、僕は仕方なく「聞こえるよ」と答えた。
聞いているとは言っていない。
ぴくりと体を震わせまたにんまりと笑顔を見せたが、その笑顔に邪悪さのようなものは感じられなかった。
少なくとも気持ちの悪さは抑えられていたと思う。僕が聞いているとわかったことで、彼はまた口を開く。
「服が動かされている感覚はありませんか?」
屋内だから風はないはずだが、と僕は改めて閉じ込められている場所を見渡した。
ただの物置のようだ。
埃だらけで、部屋の隅だけでなく蜘蛛の巣が多いことを見ると、ここはしばらくの間だれも入ってきていないようにも思える。
雪でもないのに入り口付近で動き回る白兎の足跡がわかることが、そのことをしっかり裏付けている。
埃が積もっているのだ。
埃がそうして積もっていることを考えると、人が長い間近寄っていないだけでなく、隙間風のようなものは少ないのだと思った。
風があれば埃は動き、ほとんどの場合隅に追いやられてしまうのである。
「服、動いていますよねえ」
だからつまり、服が動いているというのは妙な話だ。
風もないのに動いているのは、動かされていると考えるのが理にかなっている。
しかし、そこで納得するほど僕は頭が悪くなかった。
これから洗脳するぞと言われたようなものだ。
とすれば、彼がこれから言うことは全て釣り針である。
それに見事に噛み付いてはならない。
いかにそれが魅力的で気になるものであったとしても、堪えなくてはならない。
「貴方は思いましたよねえ。動いていると」
実際動いている。
ぴくり、ぴくりと死にかけの虫のように。
何かトリックであると考えなければならない。
それが魔法によるものだ、操られているものだと考えることだけは避けなくてはならない。
しばらく黙り込んでいる僕を見て、白兎は首をかしげ動いていたローブの先を摘み何かを回収した。
両方の腕をホースリールのようにくるくると回し始める。
腰や足も一緒に動かしていれば、それはご機嫌なダンスにも見えなくなかっただろうが、キラリと光るものが彼の腕に巻き取られていく――子供騙しにも程があるだろうと文句を言いたくなる。
ただテグスをローブにつけておいただけだったとは。
僕はやはり、彼を疑うしかないと思った。
洗脳されるということはなぜか納得してしまったけれど、つまりその納得こそが、彼の取り入るものだと断定してもいいだろう。
とすれば、洗脳されるということが分かっている今の状況は悪くない状態だ。
白兎が今のような子供騙しにしろ、それより巧妙な何かをしてきたにしろ、納得さえしなければ自己を維持できるはずなのだから。