遭遇 ③
18
これまで一度も下に降りたことのなかったあさひは外に出たという感覚だった。
階段から見える場所は見たことがあるけれど、他の場所は透視で見ていただけで鮮明なものではない。
見てみると透視で見えていた以上にぼろぼろだったことに驚きつつ、そんなこと彼女の性格では考えられないことなのだが、部屋を一周ぐるりと走ったのだった。
自分の部屋と、バストイレと、その二つを繋ぐ廊下だけが彼女の世界だったのだ。
広さは自室とそれほど変わらないはずなのに、あさひは足元を走っていく寒風にも歓声をあげ、天井の蜘蛛の巣を指差して一人で笑っている。
「はっ……!」
急に我に返ったようで、あさひは思い出したように彼の洞穴に向かう。
実のところ、人ははっきりと形として透視できていたが、部屋の様子がうまく見えていなかったように、彼が造っているものも持ってきたものもあまり詳しく見えていなかったのだ。
滑るように侵入して明かりをつける。
まだ踵までもいかない足が片方だけ組み上げられている途中だった。
死にたくないという彼が、いったい人形なんかを造ってどうするのかと気になっていたが、あさひはそこで答えに至る。
山のように積み上げられたガラクタたちに統一感はなく、それぞれ用途の違うものばかりだ。
彼の内面を知っているあさひだからこそ、彼のその狂いきった製作に気づいてしまうのだろう。
やはり小指を鉄製のスプーンで作っているのは、ぶつけたときに痛いからなのだ。
その感覚はまだ魔女のたまごであるあさひにも共感出来ることだった。
でもだからといって、指を鉄にしたいなんてことは考えない。
ガラクタの山から転げ落ちた鏡を拾い上げる。
彼の記憶を覗いたおかげで身についた外の世界の知識が、本来の用途を教えてくれた。
どこで回収したかまでは思い出せないが、あさひはその鏡が車という道具の横についていたものだと確信する。
後ろを確認するものだ――それは車にこそ必要なものだろうとあさひは思う。
だが、空木木葉はそうではない。
人間である自分にも、必要であると思ったのだろう。
だから拾ってきたのだ。
あるいは、奪ってきたのかもしれないが。
そうして様々な、自分の身を守るためのものをかき集めて、自分の体を造り上げるなんてことが、彼が穴の中でしていることなのだ。
死にたくないという気持ちは、あさひにもある。
でも、彼のしていることを認められない。
新しく体を作ったところで、そこに乗り移るなんてことは例え魔女であってもできないのだから。
すでに懐中電灯の仕組みを理解していたあさひは、魔法ではない技術というものに驚かされたけれど、その技術を用いてもそ魔法を越えることはできないのだろうと予感していた。
事実、彼女の言う技術《化学》に魔法以上のことはできない。
思えば叶う魔法と、たどり着けば叶う化学では差が縮まらないのである。
つまり、少年空木木葉がしていることは全くの無意味だ。
あさひは、彼のことを悲しい人間だと、哀れむことしかできなかった。
どうするべきなのか、そのまま彼を放っておいてもいいのだろうか、あさひは座り込んでしまう。
土壁に背を預け、服が汚れてしまうかもしれないとすぐに背を離したあさひだったが、すでに汚れきった靴下に目が止まってしまい、ため息まじりにもう一度もたれかかる。
外の世界を知ったばかりのあさひだが、知っているのは空木木葉だけだ。
彼の知っている世界だけだ。
いずれ世界を救うとして、それとは別に彼のことをどうにかしてあげたいという気持ちも生まれてしまっていた。
「でもなあ……」
姉の言葉を無視するわけにはいかないのだった。
彼女はすでに一線を越えてしまっていたが、彼女はまだ接触していないつもりなのである。
もうすでに、引き返せない位置にいるというのに。
どうしたものか、と考えるあさひはいつものように膝を抱えて、おデコを膝頭にぶつけた。
いつも魔法がうまくいかないときは、そうして考え事をするのだが、いつものポーズになってしまったせいでものすごく落ち着いてしまったのだ。
「ぐぅ」
手の甲がわずかに土を弾み着地する。
そのまま眠りにつくあさひは、いつもよりシンとした空間で生まれてきてから一番の快眠を得るのだった。
19
ふとももがぐっしょりと濡れていた。
淡いピンクのパジャマが、そこだけ濃くなってしまっている。
口元を拭ったあさひは、肩にかけられた防寒コートに袖を通すと、自室に戻ることにした。
姉の言葉を守るならば何もしないのが正解なのだと結論を出し、そしていつもの日課に戻る。
階段を登りながらあさひは思い出したように、魔女の使命を呟いた。
「世界を救う」
あさひが何もしなければ、世界は滅びるのだろう。
とすれば、それは彼の死に繋がる。
魔女の使命を全うすることが、彼の救いにもなるのだ。
あさひはそうして決断した。
太陽の魔女になることを。




