第一話-彼女こそバイトリーダー-
紡風リンカ。容姿端麗のハイエルフ。透明感のある肌、声、瞳。美少女に必要な要素を全て兼ね揃えた彼女と同じ軒下で働けるのは、一見すると世の男性から針のむしろにされてしまう状況だ。
だが俺は全く別のことを考えている。澄まし顔で人を小馬鹿にする態度が気に喰わない。加えて中学時代、俺に初めてできた恋人を掠め取ったアイツと同じ種族というだけで、沸々と怒りが込み上げてくる。
「ど、どうしたんだい仄木くん。恐い顔をして」
「あ、店長…別になんでもないです」
あまりに血が上っていたせいで、店長が事務所に入ってきたことに全く気づいていないかった。店長は心配そうに俺の様子を伺い、愛想笑いを浮かべた。
「初めてのアルバイトなんだっけ?緊張しているんだろうけど、なるべく笑顔でね」
「はい、頑張ります!」
そうだ。所詮、同じ職場にハイエルフがいるというだけだ。クラスメイトにだって異種族は何人もいる。取り立てて紡風リンカを特別視して、気に病むことはない。
「それじゃあ、まずは…はい、これ。君のエプロンだよ。サイズは間違いないと思うんだけど、着けてみて」
渡された苔色のエプロンを見よう見まねで着けてみる。胸の辺りがすっぽり隠れるほど幅広でダイニング用というより、まさしくワークウェア…業務をこなすための戦闘服だ。自然と気が引き締まり、気合も入る。
「いいね、似合ってるじゃないか」
「ありがとうございます!うわぁ、本当に働くって感じがしますね」
「そうだね。このエプロンを着けた瞬間から、君はこの花月堂書店の書店員だ」
俺の主観だが、書店員はアルバイトとしてのステータスが高い。なんとなく知的で、なんとなく品がある。この「なんとなく」というのは重要で、同じアルバイトと比較しても「なんとなく」自分の中で精神的な余裕が生まれるのだ。
職業に貴賎なし、とは言うものの俺は自分のイメージアップのために書店をバイト先に選んだ節は否定できない。
「それじゃあ、早速売り場に行こうか」
「え!?もうですか?」
「普通は座学から始めるんだけど、今日は紡風くんがいるからね」
「それは、どういう…」
「彼女が君の教育係だよ」
彼女が君の教育係だよ。つまり紡風リンカが俺に仕事のノウハウを叩き込む。ということは、しばらく紡風リンカと密な上下関係が生まれる。だから図式的に紡風リンカは俺の上司になる。
「店長!それは考え直してみてはどうでしょうか!?」
「えぇ…どうしてだい」
「やはり業務経験の長い店長に教わることが、仕事に慣れる近道だと思うんです」
柳店長は少し困ったような顔をして、顎に手を当てた。なんとしてでも、この最悪のプランを打ち砕かなければならない。
「ぜひ、ぜひ店長にご指導ご鞭撻を…!」
「なるほど、わかった!」
「おぉ…!」
これで暫くはあのハイエルフと接近せずに済む。業務を覚える頃には同じ時間帯で働くことも少なくなるだろう。俺の心のうちは、今まさに万歳三唱で賑わっている。
「紡風くんが美人だから、恥ずかしいんだね」
「そうなんですよぉ…え、いや」
「彼女、お客さんにもファンが多いんだよ。紡風くん目当てで買い物してくれる人もいるくらい」
「だから、ちが」
「大丈夫。高嶺の花で取っつきにくそうだけど、彼女は教えるのが上手なんだ。挨拶は済ませたんだろ?ささ、行こう行こう」
異論を唱える暇もなく、俺は店長に背中を押されて売り場に放り込まれてしまった。
「じゃあ、僕は休憩に入るからね。紡風くんはレジにいると思うから頑張って!」
店長はドアを静かに閉めて、奥へと引っ込んでしまった。ふふ、意外と強引なんだな…なんて、バカなことを言っている場合じゃない。初めてのアルバイトで店内に置いてけぼりにされたんだ。衰弱したオカピをサバンナに捨てるくらい緊急性のある事態と言っていい。
「あの…ちょっと本を探してるんですけど」
「ふぇあっ!?い、いらっしゃいませぇぇえぇっ!!!」
「きゃっ…だ、大丈夫ですか?」
もちろん大丈夫ではない。俺に話しかけたのは仕事帰りのOLらしき女性で、明らかに不審な目でこちらを見ている。ここは一つ援軍を呼びたいところだが、あいにく頼れるのはハイエルフの彼女のみ。踵を返して店長を呼ぶという手もあるが「紡風くんに聞いてみるといいよ」などと言われかねない。
つまり、俺が取るべき行動は一つ。
「はい、どんな本でしょうか?」
強がることだ!なに、書店に置いてある本には規則性がある。キチンとジャンル分けされていて、大方の場所さえ分かれば野となれ山となれだ。
「絵本を探しているんです。<おかえり、フランキー>っていう…在庫はありますか?」
「なるほど、わかりました。探してみましょう」
タイトルから察するに、フランキーなる人物が帰宅する話だろう。フランキーが何者かは知らないが、物語のタイトルになるほどだ。きっと大物に違いない。偉人列伝の類だろうか…いや、考えるより行動だ。
「絵本はこちらです!」
幸い店の天井のそこかしこに、カテゴリを指す看板が吊るしてある。入り口からほど近い場所に絵本が集められているのが一目でわかり、これは初仕事にして満点の成果をあげられるのではなかろうか。
「いらっしゃいま…?」
紡風リンカはレジに立っていた。俺が横切ると、驚いた表情を見せる。どうだ、華麗な接客ぶり。教えを乞わなくとも、俺は立派にやり遂げてみせる!
「こちらですね。このコーナーのどこかに…あるはず」
さほど敷地面積の広くない店内だ。順番に棚を見ていけば、すぐ見つかるだろうと高を括っていた。しかし改めて探すとなると、その数に少々腰が引ける。作者の名前順に並ぶ絵本はざっと500冊は下らない。
「うわぁ…多いな」
「このコーナーは、さっき見たんですけど」
「え、そうなんですか」
すでに500冊近い本の背表紙を見終えた、ということか。ただ諦めるのは早計だ。同じ場所を再び洗えば、もしかしたら見つかるかもしれない。
「もう一度探して見ましょうか」
「えぇ…」
俺は鼻息を荒くしつつ、本棚とにらめっこを始めた。タイトルは「おかえり、フランキー」だ。血眼で頭文字に「お」と付く本を探す。無数の文字の羅列が目に飛び込む。
「お、お、お、お」
「…」
全神経を集中させ、俺は「お」のことだけを考えた。これほどまでに「お」の事で頭がいっぱいになったことはない。
「お、お、お、お」
「あの…」
「もう少し待ってください。お、お、お、お!!!」
必死になればなるほど文字がゲシュタルト崩壊を起こし、そもそも「お」ってこんな字だっけ?という疑問すら抱き始めている。「お」が親の仇のように憎い。
「お、お、お、おっ!!!…すいません、見つかりません」
「そうですか、わかりました」
女性は肩を窄め、目に見えてわかるほど落胆していた。そればかりか、瞳を濡らして嗚咽混じりの涙声になっている。
「あの、ほんと、すいません。探していただいて、あり…ありがとうございっ…ます」
「あっと、えっと、うんと」
俺が必死になって本を探していた姿勢に感動しているわけではない。失望、諦念、悲観。その全てが声色に宿っている。
「うぅ…ヒック、ごめんなさい、ヒッグ…」
しゃくり声をあげて泣き出してしまった。女性を泣かせるのは、これが初めてだ。いや、これは俺が泣かせたことになるのだろうか。何か言葉をかけようと頭の中がもがき出す。もちろん、何も出てくる気配はない。
俺はただ狼狽するばかりで、こっちが泣き出したい気分だ。キョロキョロとあたりを見渡すと、紡風リンカが慌てて駆け寄ってきた。それはそうだろう。入店初日の俺が女性客を泣かせている状況を黙って見ているわけがない。
「どうかなさいましたか?」
「あの、ひっく…ひっく…」
女性は紡風リンカの問いかけに答えようとするも、ままならない様子だ。
「<おかえり、フランキー>を探しているんですよね?」
「ぐすん…なんで、それを」
「耳がいいのが取り柄なので」
紡風リンカは自分の耳を指差した。ハイエルフの卓越した聴力で、何もかも聞こえていたというわけだ。
「ちょうどレジのお客様が途絶えなくて、遅くなってしまいました。<おかえり、フランキー>は絶版で、今は流通していません」
「絶版?もう作ってないんですか」
「はい。もう版元で刷っていないので、お取り寄せもできない商品です」
つまり全国の書店を探したところで、見つかる可能性は限りなくゼロに近い。そうと知っていれば、こんな無為な時間を過ごさずに済んだのに。
「…すいません、俺知らなくて」
「私の手が空かなかったから、仕方ない。でも店長を呼ぶべきだったかもね」
返す言葉がない。俺の浅はかな強がりのせいで、お客さんを悲しませることになってしまった。それがどれほど愚かなことか、社会経験ゼロの高校生でもわかる。
紡風リンカは下からOLの顔を覗き込み、優しい口調で涙の理由を聞いた。
「涙を流すなんて、よほどその本に思い入れがあるんですか?」
「ヒック…いえ、そういうわけではないんですが」
少し落ち着きを取り戻した彼女は、スマートフォンの画面を俺たちに見せた。ネット書店のホームページらしく、そこには件の<おかえり、フランキー>が映っている。
「犬の本が表紙?フランキーはどこに」
「はい、この犬がフランキーです」
すっかり陽気なアメリカ人を想像していた。全くもって俺の行動と思考は的外れだったというわけだ。
「このフランキー…私が飼っていた犬にそっくりなんです」
「飼っていた、ですか」
「はい。先月、病気で…たまたまインターネットでこの本を見かけた時、あの子がそこにいるような気がして、ずっと探しているんですが…」
なんとも辛い話である。それに助力できなかったのは、自分の力不足に他ならない。
「よければ、差し上げましょうか?」
「え…持っているんですか」
紡風リンカは黙って頷いた。この場を切り抜けようと、口からでまかせを言っている…わけでもないようだ。
「この本、私も好きで小さい頃によく読んでいました。まだ家の本棚に眠っています」
「でも、その本はあなたにとっても思い出の一冊でしょ?それを貰うなんて」
「そうですね。思い出の一冊です。でも思い出として仕舞っておくより、私はその本を必要とする人に読んでほしい。本は、読まれるものだから」
当たり前のことだ。本は読まれるもの。読まれることで初めて価値が生まれる。何一つおかしな事を言っていない。でも、なぜだろう。俺が今、ものすごく<おかえり、フランキー>を読みたい気分になったのは。
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
本を探していた女性は、何度も俺たちに感謝の言葉を繰り返した。明日の同じ時間、本の受け渡しをする約束になっている。心から嬉しそうにしながら彼女が店を出ると、俺の中に張りつめていた何かが一挙に緩んだ。
「はぁ…よかった」
思わず安堵の言葉が漏れた。もし紡風リンカがいなかったら、一体どうなっていたことか。想像しただけでも恐ろしい。
「紡風先輩、ありがとうございました。それと、ごめんなさい」
女性を見送った後、俺は深々と紡風リンカに頭を下げた。勝手な判断、それも自己中心的な思考で泣かせてしまった。救ってくれたのは、間違いなく彼女だ。
「いいよ、あの人も最後は喜んでくれたから」
「自分でなんとか出来る、なんて思い上がってました」
「うん、次からは相談して。あなたは新人で私は先輩。そこに種族は関係ないと思う」
その言葉は胸に突き刺さった。心のうちが隅々まで見透かされているようだ。
「仕事に戻ろうか。まずはレジ打ちから」
「その前に…紡風先輩は、俺と仕事するの嫌じゃないんですか?」
「どうして、そう思うの」
「あんな堂々とハイエルフが嫌いだ、なんて言ったんですよ。煙たがるのが自然というか」
紡風リンカは静かに鼻から息を吐くと、なぜだか俺の頭を撫で始めた。
「ちょ、何するんですか!」
「なんとなく。嫌いって言ったこと、後悔してる?」
「…わかりません」
そう、わからないのだ。俺は今でも異世界人が日本からいなくなればいいと思っている。だけど紡風リンカがいなければ、あのOLは一生<おかえり、フランキー>と巡り会えなかったかもしれない。
「私は別に気にしていない。あなたは異世界人、特にハイエルフが嫌いなんでしょ?」
「…はい」
「ほら、私は嫌われてない」
「え?いやいや、それはおかしいですよ!だって紡風先輩はハイエルフなんでしょ?だからハイエルフが嫌いってことは、紡風先輩もそこに入ってくるわけで」
「私はハイエルフである前に、バイトリーダーだから」
彼女はこれ見よがしに自分の胸元に付けた名札を主張させた。案外、ボリュームがある…じゃなくて、紡風リンカの名前の上に三つの輝かしい星マークが並んでいる。
「そ、その名札の星がどうかしたんですか?
「1つ星は研修が終わった書店員、2つ星は担当ジャンルを持つ中堅書店員、そして3つの星はバイトの総責任者…バイトリーダー」
まるで子供のように瞳を輝かせている。よほど誇らしいに違いない。だが世間一般におけるバイトリーダーの地位は決して高くない。むしろ時として嘲笑の的にされかねない立ち位置だ。紡風リンカは、それを知っているのだろうか。
「ハイエルフである前にバイトリーダーって、それは流石に誇張しすぎじゃ」
「いいえ。この世界に現存する書物は素晴らしい。美麗なイラストで織りなされるマンガ、軽妙な文体で紡がれるライトノベル、子供にも理解できるよう噛み砕かれた絵本、そして流麗な筆致で読者を虜にする純文学。この世界が誇るべき文化を一手に担う書店でバイトリーダーを勤めることは、光栄なこと」
その顔はとても勇ましく、高潔で、何より美しい。だが、その口から語られるのはバイトリーダーの矜持だ。色々と惜しい。
バイトリーダーといえば、アルバイトに精を出しすぎたせいでバイト中心の生活スタイルが確立されてしまった人のことを指す、というのが普通の認識だろう。それを堂々と、物理的にも胸を張って自慢げにするなんて…それでいいのか紡風リンカ。
「紡風先輩って学生ですか?」
「そう、大学に通っている」
「じゃあ、バイトリーダーである前に大学生ですよね。学生の本分は勉学ですし」
「今は休学中」
「もしかしてバイトのために?」
「うん」
わかった。この人は残念な人だ。俺と同じ物差しで考えてはいけない。そもそも異世界人であるハイエルフと同じ土俵で思考すること自体、間違っているのだ。
「紡風先輩、仕事に慣れたら俺たくさん働くんで復学してください」
「え…もしかして」
「別に心配してるとかじゃないですよ!ただ、ほら」
「…バイトリーダーの座を狙ってるの?」
紡風リンカは耳を機敏に動かし、警戒の色を示している。本気で俺がバイトリーダーの座を狙っている、と勘違いをしているようだ。
「あなたのような、やる気のある人が入ってきて嬉しい。これからもよろしく」
「別にバイトリーダーの座は欲しくないんですけど」
「ええ、そういうことにしておいてあげる。さぁ、まずはレジ打ちを練習しましょう」
こうして俺のバイトリーダーになる夢が始まった!
長く険しい道のりだけど、精一杯頑張るぜ!
…なんてことはない。
俺の目的はバイトリーダーではなく、異世界人を追い出すための資金集めだ。先にそう宣言していたにも関わらず、紡風リンカは躍起になって俺の指導を始めた。
「で、ここの会計ボタンを押すと…商品の合計金額が表示される。もう一度押す前に、預かり金を入力すると…」
いずれ誤解を解くとして、今日のところは助けてもらったことだし素直に教わっておこう。ハイエルフかつバイトリーダーに固執していることを除けば、悪い人ではなさそうだ。
「順調みたいだね。紡風くんは教えるのが上手いだろう」
休憩から戻ってきた店長がニコニコしながら俺たちの様子を伺いにきた。
「はい、すごくわかりやすいです」
「そうだろう。さすがバイトリーダーだね。よっ、バイトリーダー!」
「…!ハジメくん、わからないことがあったら遠慮なく聞いてね」
店長の言葉に、紡風リンカ…いや紡風先輩の表情が変わった。バイトリーダーがいかに名誉ある職か、誰が焚きつけたのか一目瞭然だ。柳店長、意外と策士なのかもしれない。
アルバイトの時間はあっという間だった。店内に寂しげなBGMが流れ始め、数少ないお客も一人また一人消えていく。窓から覗く外はすっかり暗くなり、住宅街ということもあって疎らに家族の団欒らしき灯りが見えるだけだ。
「初日、お疲れ様。はい、これ」
床掃除を終えてバックルームでストレッチをしていると店長が缶コーヒーの差し入れを持ってきた。
「コーヒーでよかったかい?」
「はい、あまり好き嫌いないんで」
「それはいいことだね。僕なんてしょっちゅう野菜を残して、カミさんに叱られるよ」
ゆったりとした、心の落ち着く時間。整頓された書籍の在庫や備品たちも一日の役目を終え、どこか疲れ切っているように見える。事務所にいた紡風先輩もバックルームへ降りてきて、俺と店長の談笑に割って入った。
「ハジメくんのタイムカードも押しておいたから、今日はこれで終わり」
「はい、お疲れ様でした」
「紡風くんも、お疲れ様。はい、君にはこれだね」
店長はポケットから玉露と書かれた缶の緑茶を取り出し、紡風先輩に渡した。
「ありがとうございます。でも、これ違いますね」
「あっ、また間違っちゃったかい」
「私が好きなのは玉露・極です」
「参ったな、はっはっは」
店長は頭を掻いて申し訳なさそうにしているが、上司に奢ってもらっておきながら文句をつけていることに違和感がある。ハイエルフの歯に衣着せぬ物言い…俺もここで働くなら慣れておいた方がいいのだろうか。
「そうだ。ハジメくん。電話番号を教えて」
「はぁ…別にいいですけど」
「僕が知らないところで、もうそんな仲になったのかい?」
「はい、そうです」
「ブフーッ!」
思わずコーヒーを吹き出してしまった。断言しよう。記憶操作でもしない限り、俺と紡風先輩が親密な間柄になることはない。
「バイトリーダーと後輩ですから、業務上の疑問や悩みをいつでも聞けるようにしておいた方がいいと思って」
「なんだぁ、そういうことか。残念だったね、仄木くん」
「はぁ…」
「それと一つ訂正したい。ハジメくん、私は常識のない人は嫌いだと言ったけど」
「え?」
「あなたを嫌いと言ったわけではないから。あなたが私を嫌っていないようにね」
そう言って紡風先輩は笑った。柔和な目尻、程よい口角、枝垂れた眉を美しいと思ってしまったのは、きっと彼女が笑顔の訓練をした成果だろう。そう自分に言い聞かせながら、ほとんど残っていない缶コーヒーを急いで飲み干した。
雑談もそこそこに外へ出ると、申し訳なさそうに佇む下弦の月に紡風先輩が照らされた。その光景がやけに俺の視界を攫っていく。ハイエルフの青白い肌が月光で浮き上がり、あまりにも眩しくて思わず目を伏せてしまった。視線を戻すと、手の平サイズに小さくなった影が控えめに手を振っていた。そのまま紡風先輩は曲がり角に消えた。