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気になるエルフはバイトリーダー!  作者: 交喙(イスカ)
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プロローグ-アルバイト、はじめました-

俺、仄木一ほのきはじめが産まれた日、なんの因果か異世界の門が開いたらしい。おかげで体重2500g、乳白色の玉肌を持っていた健康優良児である俺の誕生は蔑ろにされ、両親が出生届を忘れた始末だ。危うく日本国民として認められないところだったのは、今でも恨んでいる。


それから世間は異世界から流入した、ありとあらゆる種族への対応に追われた。それはもうテンヤワンヤだったそうだ。

そんなのは追い返してしまえと思うのだが、異世界の門とやらは一方通行らしく興味本位で通ってきた異世界人どもが溢れかえってしまったのだからしょうがない。


今では当たり前のように異世界人が人権を認められ、そこかしこで社会に溶け込んでいる。

力自慢のオークやミノタウロスは建設現場や工事現場で活躍し、安全第一のヘルメットの下で勤労の汗を拭う光景は実に日常的だ。

オフィスワークでは英知を宿したエルフが辣腕を振るってIT企業の取締役に就くなど、社会的な地位も向上している。


しかし俺は思うのだ。あまつさえ人口減少が囁かれる日本でこれ以上異世界人たちが台頭したら、俺たちの立場はどうなる?第一政党の議席を異世界人が占め、同族を優遇し先住民である日本人が追いやられる日が来ないとは限らない。


俺は異世界人を信用していない…異世界人なんて大っ嫌いだ!


などと考えながら学校を目指していたら、後ろから掠れ声の怒号が迫った。


「おい、そこのボウズ!」


朝の登校くらいは穏やかに済ませたいものだ。

柔らかい日差し、穏やかな風、商店街の軒先で開店の準備を進める人々、パンをくわえず集団で道を陣取る女子高生の群れ。


健全な朝とは、こういうことを指す。不躾にボウズ呼ばわりするようなミノタウロスが登校風景に存在していいはずがない。


「はい、なんでしょうか…」

「落し物だ。ほれ」


ねじれた角を持ったスーツ姿のミノタウロスが手渡してきたのは俺の財布だった。癖でお尻のポケットに入れることが多く、紛失騒ぎも何度か起こしている。


「気をつけろよ!悪いやつなら盗まれてたぞ。カバンにでも入れとけ」

「ははっ、そっすね。ども」


軽い会釈をしてその場を去り、路地裏に隠れて慌てて財布の中身を確認した。


「ほっ。どうやら中身は抜かれてないみたいだな。よかった」


ミノタウロスといえば異世界人の中でも野蛮代表みたいな種族だ。気性が荒く攻撃的。異世界人が日本で起こした事件の30%はミノタウロスかオークの仕業といっても過言ではない。


「ミノタウロスのくせに、スーツなんか着やがって…インテリキャラじゃねーだろ」


親切に財布を拾ってくれた恩人に向ける言葉としては不適切かもしれないが、生理的に受け付けないのだからしょうがない。俺は一つ深呼吸をして通学コースに戻った。





教室に着くとほとんどの生徒が登校しており、そこかしこで雑談に花を咲かせている。何人かと軽い挨拶をしてから自分の席に座ると、モフモフと触り心地の良さそうな尻尾が机の上に横たわった。


「人の机に尻尾を乗せるなよ、毛が落ちるだろ」

「えー、朝はイッくんのトリミングからって決めてるんよぉ」

「勝手に決めるな。うちはペット禁止だ」

「ペット!?ウチ幼馴染やん!」


自分を俺の幼馴染だと荒唐無稽な主張をしているのは、隣家に住む獣人族の娘のミアコだ。大きい獣耳はコスプレなんかではなく歴とした彼女のパーツで、獣人族を象徴するものである。ワードドッグと人間の混血種で、彼女の父親はまんまデカイ犬だ。


なんの因果か隣近所というだけでなく小中高と同じクラスで青春を共にしており、現時点で一番の悩みの種となっている。


「イッくんさぁ、アカンよ。うち、ずっとイッくんのこと待ってたのにぃ」

「じゃあ、なんでお前の方が先に学校にいるんだよ」

「ウチ時速50km/hで走れるしなぁ」

「道交法で捕まってしまえ」


獣人族というのは身体能力がズバ抜けており、スポーツの分野で活躍することが多い。ミアコも例に漏れず、陸上の大会を総ナメにしていて全国区でもちょっとした有名人だ。


「俺なんかと一緒に登校している暇はないだろ?部活とか忙しいんじゃないか」

「あぁ、それは心配せんでええよ。練習すると差が開きすぎて勝負にならんから、協会から練習禁止令が出てんねん」

「普通の人間の大会に出るからだろ。逆立ちしたって、スポーツで獣人族には勝てない」

「でも走ることの楽しさを教えてくれたのはイッくんやんか」


そう言ってミアコはニコリと笑った。


「…知らん。覚えてない」

「えー、でもあの時」

「うい〜。全員席につけ〜」


夏でもないのに日焼けしているのかと思うほど綺麗な褐色肌を持つ女性が教室へ入ってきた。白衣を羽織り、口には鉛筆…ではなくタバコをくわえている。クラス一の不良ではない。彼女は担任でダークエルフのイライザ先生だ。


「先生、ソレ…タバコですよね」


クラスメイトの一人が指摘した。ナイスだ。この国のしきたり、マナーを教えてやれ。


「お、悪りぃ悪りぃ。火がついてなかったな…スゥー、フー。サンキュー」

「そうじゃなくてタバコくわえて教室に入ってくる教師がいるか!」

「おっ、ハジメちゃーん。先生に対して反抗的だねぇ。放課後、居残りさせちゃうよ」


つい大声を出して、彼女の注意を引いてしまった。意地の悪そうな笑みで、性格の悪さが滲み出ている。


「アタシはね、混沌を司る種族ダークエルフだよ。タバコくらい好きに吸わせろっつーの」

「…シエル先生に聞きましたよ。この間の職員会議でこっぴどく叱られたって」

「なっ、あのくそビ○チハイエルフぅ…!いい子ぶって他の職員から気に入られるだけじゃ飽き足らず、アタシの可愛い生徒に告げ口をしやがってぇ!」


口が悪いのもダークエルフの特徴だ。イライザ先生の口から罵詈雑言を聞かない日は一日たりともない。


「告げ口される立場じゃないといけない人の言葉とは思えないな」

「わかった!じゃあ、これだけ吸ったら教室でのタバコはやめよう。可愛い生徒を副流煙に晒すのは本意でないしな」

「わかりました…はぁ、早くホームルーム始めましょう」


と、我が校はこんな感じで多くの異世界人が在籍している。なぜイライザ先生のようなダークエルフが教職員になり、今朝のミノタウロスのような脳筋がホワイトカラーの仕事をしているのかというと、種族の多様性を認めるという名目のもと社会全体で彼らの受け口が広くなったせいだ。


数年前までダークエルフといえば、犯罪集団を組織して恐喝やら強盗やらで生計を立てる種族として認知されていた。事態を重くみた政府は社会に溶け込めるよう更生プログラムを実施し、真っ当な雇用機会を与えたというわけだ。


そのシワ寄せで不良教師を充てがわれた俺たちのクラスは、まさに貧乏くじを引いたと言っていい。


「おいハジメ。私を貧乏神扱いするな」

「人の心を読むな!プライバシーの侵害だ!」

「アタシらダークエルフの耳は心の声を聞くことができる、超ハイスペック器官だからな。ちょっと遠くが聞こえる程度のハイエルフとはワケが違うわけよ。ハッハッハッハ!」


そう高笑いするイライザ先生の足元に白い魔法陣のようなもの…というか、まんま魔法陣が浮かび上がった。湖の女神よろしく、床からスーツ姿の女性が湧き出てくる。


「あらぁ、イライザ先生。今ハイエルフの悪口が聞こえたのだけど」

「げ、出たな地獄耳」


地獄耳と言われているのは、魔法陣から突如として現れた女性ハイエルフのシエル先生だった。粗暴で目つきの悪いイライザ先生とは違い、温和で包容力溢れる彼女は多くの生徒から支持されている。異世界人嫌いの俺でも、シエル先生のような異世界人なら歓迎しなくもない。


「あらあら、イライザ先生。職員会議で校内の喫煙を注意されたばかりでしょう?しかも教室内で…いけませんね」

「この教室ではアタシがルールなんだよ」

「困りましたねぇ。ここは教育的指導が必要かしら」

「上等じゃねーか!こっちの世界で衰えた魔力でアタシを倒せると思ってんのかよ?」


いつになく二人はデットヒートしている。視線をバチバチとぶつけ合い、どうやら穏やかではない。エルフ同士の喧嘩は滅多に起きないが、本気で怒らせると同族を総動員させるほど大規模なものに発展すると聞いたことがある。


彼女たちの喧嘩が発端で、日本が戦場になる?笑えない冗談だ。


しかし、ピンチの時にこそ救世主は現れる。ガラッと勢いよくドアが開かれ、禿頭の眩しい学年主任が彼女たちに割って入った。


「オホン!!二人とも、国内での魔法使用は法律で禁止されているのをご存知かな?」

「げっ、ハゲ主任!?あ、アタシはステゴロでやるつもりでしたよ」

「私も拳で語り合うつもりでして…」

「ホッホッホ、そうですか」

「そうですよ〜、やだなぁ」

「うふふ、そうですよぉ」

「どっちもダメに決まってるだろっ!!!」


校内一教師から恐れられている学年主任の小田原によって、最悪の事態は回避できた。もしここが異世界なら、勇者小田原などと呼ばれていたかもしれない。ハゲだけど。




結局、朝の騒動が嘘のように今日は穏やかな一日だった。こっぴどく搾られたイライザ先生も大人しく、目立つような真似をしていない。願わくばこの平穏が卒業まで続いてほしいものだ。


思えば俺の人生は異世界人に振り回されてきた。初めて俺に告白してきたのも異世界人のヴァンパイアで、断るや否や首元を噛まれそうになるという事件を鮮明に覚えている。黒歴史だ。


「イッくん!一緒に帰ろうや!」


穏やかな一日に水を差すことに定評のあるミアコが俺の元に駆け寄ってきた。ちぎれそうなくらい尻尾を振っている。いつものことだが、学校が終わると超がつくほどミアコはご機嫌になる。


「帰りにな、商店街でクレープ食べようや」

「いやだ。そのイッくんって呼び方を変えたら考えてもいい」

「それは出来んな。イッくんはイッくんやし」


曰く、俺の名前のハジメを音読みしてイッくん、とのことだ。訂正するのもいい加減疲れたので最近は容認している。


「思うんやけどウチだけがイッくんって呼ぶの、なんか特別な感じせーへん?だからイッくんも、あだ名で呼んでくれたら…濡れるなぁ」

「アホか!まさか、お前発情期じゃないだろうな?」


ミアコは顔を真っ赤にして首を振った。


「ちゃうよ!発情期は来月。もう、ちゃんと計算してーな」

「誰がするか!」


獣人族は周期的に異性を求める発情期がある。特別な薬で抑えることができるのだが、モノグサなミアコはよく飲み忘れるため、幾度となく純潔を奪われそうになった。


「次に夜這いしたら本気で殴るからな…」

「あれは体が勝手にやったことやし、堪忍なぁ。でもイッくん満更でもない様子だったやん。きゃー、逆にウチが襲われるー!」

「じゃ、俺帰るわ。また明日学校でな」


無視して帰ろうとすると、ミアコが進行方向に立ちふさがった。しつこい奴め。


「冗談よ、冗談。一人で帰るの寂しいねん」

「さっさと俺以外に懐く相手を見つけろ」

「あ、またペット扱いして!ひどいわぁ、たった一人の幼馴染やんかぁ」


ミアコはシュンと尻尾を萎ませた。ミアコは明るく、誰とでも打ち解ける素養があるくせに特定の誰かと仲良くしない。厳密に言えば俺以外の人間と深く関わろうとしないのだ。


もちろん理由なんて知らないが、さして興味もない。


「はぁ…悪いけど、俺このあと用事あるんだよ。だから一緒に帰れない」

「え!マジか!まさか…メス!?」

「メス言うな。この間言っただろ、俺バイト始めるんだよ。その初日で、帰りに寄ってく」

「それなら、まぁしゃあないか。でも浮気したらアカンよ。悲しむ人がおんねんで」

「俺はバイトしに行くだけだ。そして彼女がいないから浮気にならん」

「相変わらずいけずやね。ほな、先に帰るわ。遅くならんようにな」

「母親かお前は…ったく、じゃあな」

「ほななー!」


台風は去った。ようやく自由に動けると思ったが、無駄話をしているうちにバイトが間に合うかどうかという時間になってしまった。初日から遅刻はまずい。俺は急ぎ足で下校ルートとは反対方向にある、住宅街へ向かった。今日から働く「花月堂書店」を目指して…。




花月堂書店は住宅街の一角に構える中型の本屋だ。登下校とは反対方向にあるので、求人を見るまでその存在すら知らなかった。面接に行った際は店長とバイトの大学生らしき人がいるだけで、店内にお客は疎ら。人手が足りていないようには見えなかったが、誰か辞めるとか何か事情があるのだろう。ともかく晴れて採用された俺は初バイトかつ初出勤に漕ぎ着けたわけだ。


「さすがに緊張するな…」


店の入り口までマラソンのペースで走って来たせいで、少し息が上がっている。だが鼓動が早いのは走ったせいだけではない。


「おは、おはようござ…違うな。おはようございまーす!ちょっと明るすぎるか?」


調べによるとバイト先での挨拶は時間帯に関わらずおはようございます、で統一されているらしい。入念に挨拶の練習をして来たが、いざ本番を前にすると声が上ずってしまう。


「最初は明るい印象を持たせるためにグッドモーニング!みたいにフランクさも…いやいや、しかし」

「あの…」

「ひぁひぃ!!す、す、すいません!」

「いえ…」


振り返ると、寒くもないのにエスキモー帽子を被った女性が怪訝そうな顔で俺の様子を伺っていた。同い年か、いや俺より少し年上か。マフラーで口元を隠していて顔はよく見えないが、美人そうな雰囲気が漂っている。


「そこ、お店の入り口なので他のお客様の迷惑になりますから」

「そうですよね…すぐ退きます!」

「はい、お願いします」


女性は頭を下げ、お店の裏手へと消えて行った。もしかして、ここの店員なのだろうか。だとしたら印象は最悪だ。ここは一度家に帰って態勢を整えてから…いやいや、堂々と入店して…。


「おや、君は…」

「あ、店長さん!」

「騒がしい話し声が聞こえて様子を見に来たんだけど、君だったのか」

「ごめんなさい!出勤の時間、オーバーしてますよね…初日から遅刻なんて」

「いいよ、いいよ。学生さんは忙しいだろうから、多少の遅刻は大丈夫」


穏やかな口調で店長は俺を諭した。少し小太りで、見た目通り優しい人だということは面接の時に嫌という程知った。腰が低く、やけに気を使ってくるせいで疲労困憊したのを覚えている。


「それじゃあ、改めまして。この花月堂で店長をしている柳です」

「よろしくお願いします!」

「スイマセーン、レジお願いします」

「はい、ただいまー。ごめんね、先に事務所へ行っててくれないか。面接した二階の部屋だから。多分、紡風くんがいるよ」


そう言って店長は慌ただしくレジへ戻って行った。


「あの人小太りだけど、結構俊敏だな…紡風くんって誰だ?ま、行けばわかるか」




大型のチェーン店には負けるけど、個人経営の書店よりは広い花月堂は販売フロアに隣接して在庫や資材を置くバックルームがある。そしてバックルームの二階に事務所があり、事務仕事のデスクと休憩所を兼ねている、と店長は言っていた。


建物自体も年季が入っており、事務所へ上がる階段は歩くと鉄の軋む音がする。耐震性も期待できないだろうから地震が来たらアウトだな、なんてことを緊張のあまりに考えていた面接前を思い出した。


「ふぅ、ここが俺の新しい居場所…よし!」


目の前の扉を力いっぱい押し開ける。今日から始まる俺の書店ライフ。第一声はもちろん、あれだ。


「おはようございまーっす!」

「…おはよう、ございます?あれ、さっきの…」


事務所にいたのは、髪を束ねようとゴムをくわえている一人の…控えめに言って美しい女性のハイエルフだった。色素の薄いプラチナのロングヘアが絹のようにきらめいていて、透き通るように白い肌が光を弾いている。


先ほどは帽子を被っていて異世界人だとは気づかなかったが、入り口で会った女性だ。細く尖った耳を隠してしまえば、普通の人間と判別がつかない。


「あ、さっきはすいませんでした。今日から働くことになってるんで、よろしくお願いします」

「よろしく…あの、何でおはようございますなの?」

「え?バイト先の挨拶は基本的におはようございますってネットに書いてあってですね」

「そう。ここは挨拶が自由だから、おはようございますでもいいと思うけど…普通は朝に言うものだと思う」

「なっ!?」


恥ずかしい。恥ずかしすぎる。ネットの情報に踊らされて、基本中の基本である挨拶の齟齬を異世界人に指摘されるとは、一生の不覚だ。


ミアコあたりに知られたら「あんた日本人ちゃうんか!アッハッハッハ」などと笑い者にされただろう。何事もスタートが肝心というが、ここまで躓くと逆に清々しい…いや、醜態を晒した相手がハイエルフの時点で屈辱以外の何ものでもない。


「それと事務所に入るときはノックをして」

「すいません!き、緊張して…ほんと、あはは」

「私、常識のない人は…嫌い」

「本当にごめんなさ…ん、嫌い?」

「ええ、嫌い。この世界の人間には、そういう人が多いから慣れたけど」


確かに俺は空回りして常識を欠く行動に出た。それは情けないし反省すべきだろう。しかし初対面の相手に向かって嫌いというのも、甚だ失礼だ。


しかも、この世界へ勝手に来て我が物顔で暮らしている異世界人は、言ってみれば部外者。その部外者が、いわば先住民の俺に対して言っていいことと悪いことがある。


「初めて会った人に面と向かって『嫌い』っていうのは、あなたたちハイエルフにとって常識なんですか?」

「さぁ…どうかな。そもそも誰かに直接『嫌い』なんて言うような場面が思い浮かばない」

「じゃあ俺はその第一号ってわけですね」


俺の敵意が彼女にも伝わっているのだろう。発達した耳がピクピクと動いているのは、何か危険を察知している証拠だ。


「なにか勘違いしているみたいだけど…まぁ、いっか。お客様の前に立つときは笑顔が基本だから、売り場へ出る前に鏡の前で表情筋の体操しておいて」


彼女が指差した先には、姿見が立てかけてあった。傍においてあるボードには「人を幸せにできる笑顔の鍛え方」の文字とともに、イラストの少年が顔の体操をしている。花月堂の接客マニュアルのようだ。


「ハイエルフさんは、さぞ笑顔が得意なんですね」

「えぇ、この体操で鍛えたから。…もう行かないと。店長が待ってる」

「…どうぞ、行ってらっしゃい」


急いで髪の毛をまとめて束ねた彼女は、何事もなかったような顔で俺の横をすれ違った。面接の時にいなかったから気づかなかった…まさかハイエルフと同じ職場とは。リサーチ不足だ。


「あの、ひとついいかな」

「ひあっ!?そ、そうですけど何か」


急に声をかけられて、俺は心臓が飛び出るかと思った。


「私はハイエルフさん、なんて名前じゃない。紡風リンカ。覚えておいて」

「紡風先輩、でいいですか」


彼女は俺の顔をじっと見つめ、コクリと頷いた。何とも仏頂面で、不機嫌さを隠そうともしない。ハイエルフは基本的に自身を高貴な種族だと思っている。


他種族を見下し、自分を優位に立たせようとする傾向が見られ、心の中では俺たちを小馬鹿にしていることだろう。シエル先生が珍しいだけで、本来は高慢ちきなのだ。


何様のつもりだ。人の国に土足で上がり込んで、俺たちをバカにするなんて。

俺は異世界人の中でも、特にエルフが嫌いだ。


ダークエルフは粗暴、ローエルフはワガママ、ハイエルフは高飛車。共通して俺たちを下等生物くらいにしか思っていない。


「あなたの名前は?」

「え?」

「名前。あるでしょ」

「あ、ありますよ!俺は、仄木一です」

「よろしく、ハジメくん。どうして花月堂に来たの?」


俺を嫌うなら結構。都合がいい。俺も異世界人と仲良くしようなんて思っていない。だから言ってやる、俺をもっと嫌うために言ってやる。


「この世界から異世界人を追い出すための、資金集めのためです!」


言ってやった。ついに、ついに!心の中の淀みを吐き出すような、一寸の迷いもない主張。下手をすれば社会問題に発展しかねない発言だが、個人の思想は尊重されるべきだ。こうなると、もう止まらない。


「紡風先輩が俺を嫌いなように、俺もハイエルフが嫌いです!ちょっと頭がいいからって人をバカにしたような態度をとって、何回煮え湯を飲まされたことかわかりません!挙げ句の果てには劣等種だ何だって人をからかって、しまいには…しまいには初めてできた彼女まで奪ってく!異世界人なんて、大っ嫌いです!」


全て言った。プライベートな恥ずかしい過去まで、全部。

どうだ、この負の感情。かっこ悪くて、情けなくて、みっともないだろ。それでも俺は…俺は!


「…そう、頑張って貯金して。それじゃ」


紡風先輩は、平然としたままスタスタと売り場へ消えていった。ハイエルフの優秀な耳に、俺の魂の言葉が届かないはずがない。


普通、あんなことを言われれば怒るとか、悲しむとか、驚くとか、相応のリアクションがあるはずだ。何なんだ、あの人は。何なんだ、異世界人って!?

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