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第五章   道場破り(1)

 道場から畳を叩く音が響いてくる。真っ黒なシルエットの三階建ての建物、その一階の窓から光が漏れている。

 ここは県の武道館。そこで陸前流合(りくぜんりゅうあい)()柔術(じゅうじゅつ)の稽古は行われていた。

「えー、ご存じの通り、陸前流に限ったことではありませんが、古流武術の型稽古は約束稽古とも呼ばれていまして、このように受けは、殴る、掴むと攻撃方法を限定させて稽古を行います。ただ、逆に言いますと、陸前流は本当は何でもありなんですね。ナイフもあり、蹴りもあり。ただそうしてしまうと、未熟なうちは技を覚えられない。それでこのような約束稽古を行っているわけです」

 たまたま見学の人が来ており、師範神子上(みこがみ)(ただ)(つね)は初心者向けに説明を行っていた。

 今日は基本動作の稽古から始まり、初歩的な基本技をいくつか行っていた。

「成瀬さん、もっと本気で持ってもらっていいから」

「いいんだ? じゃあ本当に力入れるぞ」

 珪は成瀬と組んで、基本技の一つである四方斬りという技の稽古をしていた。

 四方斬りとは、相手に掴まれた手を、あたかも刀を持っているかのように振り上げ斬り下ろす動作によって、相手を投げ倒す技である。

 まずは前方に踏み込みながら振り上げ動作に入るのだが、がっちりと成瀬に掴まれていると一歩目がなかなか踏み込めない。

「さすがに力では負けないぜ、先輩」

 珪が前へ進もうとするたび、壁にドシンとぶつかる感じだ。

 たまに成瀬はふざけて珪のことを先輩と呼ぶ。もともと珪の方が先に陸前流を始めており、成瀬は三年前に入門してきた。その頃は子供も数人おり、大人の稽古が始まる前に子供の稽古の時間があった。大人は誰も参加しない中で、唯一入門したての成瀬が欠かさず子供の稽古の時間から参加していた。子供たちがいなくなってしまったため子供の稽古の時間はなくなったが、今でも珪が稽古に参加して成瀬がいなかったことは一度もない。

 一応先輩にあたる珪に対し、成瀬はずっと珪さんと呼んでいた。大人にさん付けで呼ばれた経験のない珪には、それは非常に居心地悪く、珪でいいと何度もお願いしたのだがしばらくその呼び方が続いた。

 だが珪と成瀬が互いに気兼ねなく稽古し、冗談も言い合えるようになった時、自然と呼び捨てになっていた。

 そして稽古熱心な成瀬は先輩の珪を置き去りにし、どんどん実力をつけ半年前に初段を取った。いまだに珪は白帯のままだ。

「珪、力を抜いてぶつかる方向を逸らしてみたら?」成瀬がアドバイスをする。

「前へプレッシャーをかけながら、ぶつかったところで力を横に逸らす……、そうそう。そのまま振り被って……」

珪は振り被り、後ろを向きながら斬り下ろす。

 成瀬はゆっくりと倒れた。

「いいんじゃないか」

「結局成瀬さん手加減してるじゃん」珪は不服そうにそう漏らす。

「珪、今のでいいぞ」

 師範の忠恒が声をかける。「あとは繰り返し試してみなさい」

 手加減されて技が入ってもなあ、そう思いながらも言われた通りに稽古を続けた。

 稽古時間もあと残り少なくなってきた。忠恒は本日最後の技の説明を始める。

「いろいろ技をやってきましたが、ではどの技が最も効果的なのかというと、相手との関係性で変わってくるため一概には言えません。ただ相手に隙があるならば、最短最速で入る技が効果的と言えるかもしれません。次にやるのは陸前流でも特に古い時代に稽古されていた技です」

 そう言って受けの相手に小幡を呼ぶ。

 珪の隣にいた小幡は、難しい技は勘弁してくれよとぼやいて出て行った。

 忠恒は自分の胸を指差す。小幡は即座に理解して鳩尾を狙って突きに出た。

 が、それより一瞬早く忠恒は前へ突進し、小幡は後ろに崩され畳に転がっていた。

「打ってくるのは顔でも腹でも構いません」

 忠恒が言い終わるや否や小幡の突きが飛んでくるが、やはり忠恒の方が先に動いているように珪には見えた。再び小幡が転がった。

「ゆっくりやるとですね、相手の攻撃に先じてこちらが入り身するわけです。顎を下から突き上げにいきますが、まともに行くと両者ぶつかってしまう。そこで顎に手が届く直前で脱力します。すると入り身したエネルギーが相手に伝わって――、このように」

 またゆっくりと小幡が転がる。

「倒れるわけです」

 場の雰囲気としても、皆難しいと感じているようだった。

「見学者がいるとうちの先生は、まー張り切っかんなあ」そう言って小幡が戻ってきた。

 珪は大久保と組んで稽古をする。小幡よりは後に入門しているそうだが年齢は大久保がずっと上だ。この小幡と大久保の両名は道場でも一目置かれていた。

 段位が下位の者が先に攻撃することになっているため、まずは珪が突きを打つ――。

「っ!」

頭では本当に技効くのかなと思っていたが、たしかに技は効いた。珪は勢いよく後ろへ倒れ、頭を畳にぶつけそうになった。

 大久保が軽く珪の後頭部を支えてやる。大久保は物静かで、技は切れるが相手に優しかった。

「すみません」そう言いながら珪は、技を受けて身体に残る感触を反芻していた。見るのと受けるのでは全く違う。少し理解できた気がした。

 突きを打つ直前に感じたのは相手の殺気というか攻める意識だ。その意識を受けるから思わず突いてしまうと言うべきか。

 突きが躱され、大久保の威圧する意識の後に強い衝撃が来るだろうと予測するのだが、実際は柔らかく包まれるような感触が来るためこちらは身体に力が入らなくなってバランスを崩されてしまう。そして、最後は強烈に叩きつけられるのだ。

 数回受けを取った後、今度は珪が技をかける番だ。

 身体が固くなるばかりで、技が決められる気がしない。

 大久保はゆっくりと突いてくる。慌てて珪は躱して顎を押し上げ後ろへ倒す。ゆっくりと受けを取ってくれた。

 次は先程と反対の手で突いてくる。これも躱して相手を倒す。

「もっと力が抜けるんじゃないかあ。技を決めようと思わなくていいぞお」

 大久保が優しく声をかける。

「あんたも力が強くなった。毎年腕力強くなってくんだから力抜くってのは難しいかね。ま、俺は年寄りだから毎年弱くなってくんだがなあ」

 でもただ力を抜いたって動けないよ。そう思いながらまた珪が受けを取る。

 ガッときてふわっとしてズダン。

 自分では動けないが、技をかける大久保の気持ちはわかったような気がする。

 大久保も技を決めようとしなくていいと言った。じゃあ本当にそのようにしてみよう。珪は、ガッときてふわっと、のところだけ再現しようと思い動いた。

 タンッ、と一歩目の踏み込みの音だけ響く。

 珪は身体が浮き上ったような気がしてその勢いを止められない。バランスを崩し、軽く大久保にもたれかかるような形で止まった。相手は崩れることも倒れることもない。

「いいじゃないかあ、今の。それだよそれ」

 そこまでで稽古終了となった。

 道場の隅で皆着替えながら、珪は成瀬に訊ねた。

「成瀬さんは、他の道場って行ったことある?」

「俺はここの道場しか知らないよ。どうして?」

珪は今日学校で、道場見学に来ないかと上泉にまた誘われたのだった。もともと行く気はないし、一度断ってもいたのだが、この前泣かせてしまったこともあり、しぶしぶ了承してしまった。

「その、今度学校の友達の行っている道場に見学に行くことになって……」

 友達の――。自分で言った言葉に引っかかった。友達なのか? あいつは。

 いや友達じゃない。だからこそ違和感がある。

「なんだ珪、どこの道場行くんだ?」小幡が会話に割り込んでくる。

「初めてだから、場所もわからないよ」

「何の流派だ?」

「古流武術みたいだけど、流派は聞いたけど忘れちゃった」

 名前ぐらい覚えておけよと小幡は残念そうにする。

「この辺で古流武術の道場あったかねえ」

 大久保も楽しそうに会話に加わる。

「とにかくな、よその道場では陸前流の技は忘れて、先生のやる通りに稽古しろ。うちではこうやるなんてやっちゃあ絶対駄目だぞ。失礼だからな」

 余計なことをするつもりはもちろんなかったが、小幡の言葉を聞いて、ますます明日行くことに気が重くなった。


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