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第四章   通り魔(1)

 朝起きて顔を洗い、軽く口をゆすいで珪は朝食を摂っていた。朝あまり多く食べると具合が悪くなる体質のため、パン一枚、日によっては半切れのこともある。

 テレビでは東京で起きた通り魔殺人のニュースをやっていた。

 時刻は七時二十分。父の(のり)(あき)はそろそろ家を出るところだ。

「そういや珪、最近真面目に稽古に出てるらしいじゃないか」ネクタイを直しながら父が言う。

「どうかな……」

 父は最近は仕事で帰りが遅く、平日の稽古には出られていない。

「いやしっかり稽古しているよ、なあ?」そう祖父の(ただ)(つね)がフォローしてくれる。

 父に鞄を渡し、母は再度ネクタイを直してやる。

「あ、これって門前中の生徒なのよね」

 母が急にテレビの方を向き、大声を出す。

 ニュースはもうローカルに変わっていて、小学校のプールに誰かが夜間侵入し、一升瓶が割られる事件があったらしい。

「やだ。門中って最近荒れてるのかしら?」母の問いに、さあ……と父が返して出ていった。

「珪、あなたも気をつけてね。何かあったら逃げるのよ。武術なんていざというときは何の役にも立たないんですからね!」

 武道家の娘が言うなよ、そういうこと……。

 珪と忠恒は心の中で同じことを思っていた――。

 パンを半切れ残し、急いで支度をしながら考える。正面から襲われるならともかく、背中から切りかかられたらどうしようもないのではないか。背中からの攻撃に対する技。少なくとも珪は陸前流合(りくぜんりゅうあい)(いき)柔術(じゅうじゅつ)の稽古の中で、そんなものは見たことがなかった。

ランドセルを背負い、家を出る直前、忠恒にふと訊ねてみた。

「ねえ、じいちゃん。後ろからナイフで突かれたらさ、躱せる?」

 忠恒は読んでいた本から顔を上げた。背表紙から察するに武道関係の本のようだった。

「――じいちゃんにもそれは難しいな」忠恒は苦笑いをして返す。

 そりゃそうだよな、と珪は思い、「だよねえ」そう言って家を出た。



 もう五月になっていた。

 桜はとうに散ってしまったが、八重桜がきれいに花を咲かせていた。普通のソメイヨシノより、絶対こちらの濃いピンク色の方が鮮やかできれいだよな。毎朝通る大きな屋敷からはみ出ているのを眺めながら珪は思った。

 じいちゃんと一緒に散歩をすると、あれやこれやと木や花のことを教えてくれた。今でも別に草花に興味はないのだが、知識だけは身についてしまった。

 学校に近付くにつれ、黄色の帽子を被った生徒が増えていく。

 前から一人のスーツ姿の男がこちらへ近づいて来る。そして――。

 そのまますれ違った。

 当たり前だよな、何かされるわけがない。

 通り魔ってのは今のように何気なく近づいて、急に切りつけてくるものなんだろうか、最初から通り魔ですよと奇声を発しながら襲ってくるんだろうか。

 そんなことを考えているうちに、いつも通り何事もなく学校の正門前へ辿り着いていた。



 給食後の昼休み、ボールを持って校庭に繰り出そうとしていた珪たちだったが、教卓を囲むようにして集まっていた。

「よおし! ソフトボール投げはやっぱりおれが一番だな」善也(ぜんや)が騒ぐ。

「一番取れたのは長距離走だけか……」

 そう言ってうなだれるのは上田龍之介だ。

 一番があるだけいいだろうがと他の生徒たちから肩をぶつけられている。

 珪たちが見て一喜一憂しているのは、五月の体力測定の結果だった。山岡先生に見せてくれと頼んだら承知してくれたのだ。

「珪はすごいね。五十メートル走は一番だし、他にも一番、二番あるもんね」

 あまりスポーツの得意でない笹川(ささがわ)駿(しゅん)がそう言ってくれた。

「んー」しかしあまり素直に喜べない。ざっと見ると平均的にはやはり善也がトップだろうか。

 珪は苦手な種目はとことん苦手だった。特にソフトボール投げは平均より大きく下だ。

 そんな折、善也がまた素っ頓狂な声を出す。

「あー! おれソフトボール投げ大石に負けてんじゃん」

 うそだろ? いくら大石でも男子の一番には敵わないだろ。そう思い、みなが一斉に女子の欄を覗き込む。

「うお、マジだった」、「すげえな大石」、「これは悔しいだろ、善也」

 驚きと称賛とひやかしの声が上がる。

 そして他は負けてないだろうかと、大石すずの他の項目をチェックし始める。

 そんな中、珪は一人、大石ではなく別のところを見ていた。

 上泉(かみいずみ)(みこと)だ。

 見ると成績はさほどでもない。全体的に中の上くらいか。もちろん走りは珪の方が速いし、懸垂の回数だって珪がずっと上だ。唯一数字で負けたのは立位体前屈くらいか。身体は柔らかいらしい。

 なんだ、おれ上泉に勝ってるじゃん。

 そう思えば多少はドッジボールで負けた悔しさも晴れるが、いまひとつすっきりしない。

 ドッジボールの時もあいつは初め手加減していた。この結果も本気でやっていない可能性がある。

 しかし――、と考えを巡らせる。

 ドッジボールは相手がいるから手加減をしていた節がある。この体力測定は、五十メートル走と千五百メートル走以外は一人でやるものだ。相手に気を遣う必要はないし、それで手加減するならそれこそただの手抜きだ。

 あいつはそんなことをするやつじゃない。

 それならやはり身体能力では自分が大きく勝っていることになるが――。

「ふうん、上泉のやつ、体力測定は大したことないんだな」そんな珪の心を読んだわけでもないだろうが、龍之介が言った。

「本当だな」とみなが同意する。

「でもあの時のドッジボール、あいつすごかったろ」

「だよな。でもソフトボール投げもたいしたことないんだぜ」周りの生徒も表を指さして次々に声を上げた。

「おまえも取れなかったもんな」善也がにやっと笑って珪に言う。

「おまえも大石に後頭部打たれてたろ」

 珪が言い返すのを聞いて、悶絶した善也を思い出しみんなで爆笑した。

 とそこで測定結果のプリントが取り上げられる。

「もういいだろ」そう言って、担任の山岡は出席簿に挟んで教室を出ていく。

 善也はそれを全力で追いかけて、他のクラスの結果も見せてくれとせがんでいた。

 あしらわれる善也を置いて、珪たちは昼休みで賑わう校庭へ出て行った。


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