最終章 不動智(1)
町は寒い冬を迎えていた。とはいえまだ雪はちらつく程度である。たまに膝まで埋まる大雪が降ることもあるが、数日もすれば道路の雪は解け、自転車も問題なく走れるようになるのだった。
度々珪は鉤鳥との戦いを思い出す。そこには忘れられない瞬間があった。上泉が鉤鳥を倒したときのあの眩しい瞬間だった。
美しかった――。
その後稽古していても、あれほどの瞬間には一度も出会えていない。珪はなんとかあの上泉の技に近付きたかった。
だからとにかく稽古に明け暮れた。新年を迎え、水道管が凍るような最も寒い時期になっても、稽古は一日も休まなかった。
しかし真面目に稽古に打ち込んでみて、初めて陸前流の奥深さがわかった。本当に難しい。力を入れ過ぎてもだめ、抜き過ぎてもだめ。自分の手足、体幹、相手の動き、意識すべきことは山ほどある。それらすべてをやって初めて技と呼べるものになる。
先輩たちはそんな稽古を何十年と続けている。それでも開祖陸前武道の技には届かないらしい。
周りの先輩も、そんな珪の熱意に劣るまいと、教えるのにも気合が入った。
珪は一生懸命教わった通りにした。しかしこれが柔術の難しいところで、同じ技でもある人はこうだと言い、別の人はそうではなく別の教え方をした。教わる方は、言われるたびに違うことを教わるので大変だが、珪はまず素直に言われた通りに行い、他の人に訂正されたらまたその通りにやった。
技を学ぶのに理屈は大事だと思う。そうでなければ初心の者は学べない。しかし理屈で考えれば考えるほど、技の本質からは遠ざかっていくように感じていた。
時間はもう残り少ない。珪は焦っていた。
二月になり、学校の中は緊張感が漂ってきた。そろそろ中学受験の試験が迫っているからだった。
試験に落ちればまた善也と中学で会える。受かったならば離れ離れだ。
それでも珪は善也の合格を願った。
そして、珪には珪の戦いがあった。
そうこうして二月も末になると、もうみな卒業のことを考えそわそわしている。
「あーあ、みこっちと一緒に中学行きたかったなあ」、「みこっちと一緒にいられるのも今だけなんだよねえ」
そんな女子の声が聞こえる。そう、上泉は卒業後東京の学校に通うのだ。だからやるなら今しかないのだ。もう機は熟しただろう。待ち過ぎて機を逃すなんて愚かなことはできない。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、ちょうど正面から上泉がやってきた。
上泉とはあれからほとんど口を利いていない。しばらく口を利かないと、声をかけにくくなるものだ。
だがそんなことは言っていられない。
「おい上泉」
上泉は急に呼ばれてびっくりしている。
「え、珪君。な、何?」
「今日の放課後、大橋の下、河川敷まで来い。話がある」
珪は用件だけ短く伝えた。
これでいい。後は今の自分にできることをやるだけだ。珪は、今ここから約束の時間まで、行うすべてのことをその時のために使った。日常の身体の動きも意識もそのためだけに集中した。




