第六章 武士道問答(1)
暗闇の中、突如放たれた拳を往なす。相手の手首を取って、背中合わせになる形から大きく回すように崩して手首を返す。
相手のバランスが崩れるはずが、反対の手で思い切り脇腹を殴られる。
「っ!」
珪は目を覚ました。いや、寝ていたわけではなかったが、稽古のことを考えて夢うつつだったようだ。
辺りは真っ暗だ。目覚まし時計のライトをつけると0時過ぎを指していた。
自分の思い通りになるはずの想像の中なら上手くいきそうなもんだけどな。その中でさえ失敗するんじゃどうしようもない。
そう思い、布団の中でため息をつく。実際身体を動かしたわけでもないのに疲れた気分だ。殴られた感触があるわけではないが、やられたという気持ちは残る。
コチコチコチという妙に大きな秒針の音が部屋に響く。
眠れねえ……。
珪は伊勢森道場に行ってからというもの、熱心に稽古に打ち込むようになっていた。
道場破りの宮本との試合を見たというのもある。祖父忠恒は強かったし、負けたとはいえ果敢に挑んだ成瀬のことも尊敬している。
すると再び暗闇に人影が現れ、襲ってきた。それは上泉の姿をしていた。
もう寝たいのに――。幻影を振り払うように固く目を閉じ、珪は寝返りを打つ。布団に顔をうずめながら、珪は眠りに落ちていった。
一晩明けて、珪は寝不足のまま学校へ向っていた。
まだ梅雨は明けないが、薄く日の差した穏やかな気候だった。湿気をはらんだ風がそよぎ、暖かい空気に包まれ、なんだか頭がしゃきっとしない。
それでもぼんやり考えるのは武術のことだ。
自分には、あの道場破りに来た宮本静流は倒せないだろう。山岡先生にも勝てないだろう。なぜか。技が未熟だから?
当然それもあるが、珪が痛感するのは自分が子供だということだ。体が小さいから。力が弱いから。
では街中で襲われたらどうする? あのとき下校途中に遭遇した宮本静流。社長が止めに入らなければどうなっていただろう。
逃げ切れただろうか? 殺されはしないだろうが、本当に骨折はしていたと思う。それはつまり、相手に殺す気があったら殺されていたということだ。
――珪君は……、死にゆく自分を想像できる?
ふと上泉の言葉を思い出す。
大げさなこと言いやがって。おまえはそんな覚悟できているっていうのかよ。
でも、古の侍たちならできていたのかもな。
この間テレビドラマで合戦シーンを見たが、怒号を上げて槍で刺し合い、刀で斬り合う。自分は刺されるのも嫌だが刺すのも恐ろしくて嫌だ。
そんなことを考えるのも、先週、先々週と学校の特別実習の時間に武士道について調べたからだ。各班ごとに調べて発表をするのだが、珪の班は新渡戸稲造の武士道についての発表をした。始めはまったくやる気がなかったが、パラパラと読んでみると、そこで書かれていることは珪の心を強く打った。昔の武士の言葉の引用がたびたび出てくるのだが、素直に格好良いと感じた。
――平生何程口巧者に言うとも、死にたることのなき侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり。
――一たび心の中にて死したる者には、真田の槍も為朝の矢も透らず。
何度か繰り返し声に出しているうちにそらで言えるくらいに覚えてしまった。
要するに、死を覚悟した者は強いとそういうことだろうか。
そんな漫画のヒーローと同じようなことを、昔の人も言っていたことに驚きを感じたし、同じ班の龍之介も珪の意見と同じだった。
そして今日は武士道について討論をやることになっていた。
教壇に立ち、担任の山岡は指導要綱が書かれたプリントを繰り返し眺めていた。
――武士道について生徒たちに討論させ、その活発な議論を通して様々な観点からの物の見方・考え方を身につけさせる。
その下に教頭の汚い字で、「まずは色々な意見を引き出すために、極端な問題提起をしてみましょう!」と書いてあった。
無理だろ。小学生に武士道調べさせるのはいいけどさ、議論とかできるか? そう内心文句を言いたいのだが、教師である以上指導要綱には逆らえない。そこで山岡の考えた問題提起とは――。
「えー、じゃあ討論会を始めるぞ。先週先々週と、みんなよく調べてきたな。立派な発表だった。今日はそれらを踏まえての討論を行う。そのテーマは……」そう言って後ろの黒板を指す。
「武士道精神は現代において必要か、だ!」




